第5話 眠れない夜
結局、眠りについたのは、空が白み始める頃だった。
原因は分かっている。
――昨日、街で見かけた女性。
いや。
正確には、エレナ・アーデル。
眼鏡を外し、長い金色の髪を下ろしていた彼女。
明るい色の口紅。
いつも職場で見る姿とは、まるで違っていた。
けれど。
あれが彼女だということだけは、間違いない。
そこまで考えて、私は眉間を押さえた。
「……何をしているんだ、私は」
仕事なら、どれだけ難しい案件でも眠れなくなることなどない。
それなのに。
昨日は何度目を閉じても、あの姿が浮かんできた。
自分でも呆れる。
そんなことを考えているうちに朝になってしまった。
当然、寝不足だ。
◇
「おはようございます、局長」
いつもの声が聞こえた。
「……ああ。おはよう」
顔を上げる。
エレナが立っていた。
いつも通り、きちんと髪をまとめ、眼鏡をかけている。
昨日とはまるで違う。
……いや。
同じだ。
髪をまとめて、眼鏡をかけているだけで。
昨日の彼女と、同じ顔。
「……」
そう思った瞬間、昨日の姿が頭に蘇った。
明るい色の口紅。
下ろされた金色の髪。
そして――楽しそうに笑っていた顔。
「局長?」
「……なんだ」
「いえ……」
エレナが少し心配そうに私を見る。
「お疲れではありませんか?」
「……そう見えるか?」
「少しだけ」
彼女は言葉を選ぶように、ほんの少し間を置いた。
「目元が、いつもよりお疲れのように見えます」
「……」
まさか。
君のせいだ。
そんなことを言えるはずもない。
「少し眠れなかっただけだ」
「そうでしたか」
エレナはそれ以上、理由を尋ねなかった。
「でしたら、今日はあまり無理をなさらないでくださいね」
「……ああ」
「何か私にできることがあれば、おっしゃってください」
そう言って、彼女は自分の席へ戻っていく。
「……」
私はその背中を見送った。
そして思う。
昨日もそうだった。
彼女の優しさには、押しつけがない。
ただ、こちらを気遣ってくれる。
それだけだ。
なのに――。
なぜだろう。
昨日よりもずっと。
彼女のことが気になって仕方がない。
私は小さく息を吐き、机の上の書類へ目を落とした。
今日こそは、仕事に集中しよう。
そう思った。
……思っただけだった。




