第4話 休日の街で
休日の昼下がり。
アレクシスは一人、馬車に揺られながら王都の街へ向かっていた。
今日は特に予定があるわけではない。
平日の仕事から離れ、少し街を歩いて気分転換でもしようと思っただけだった。
何気なく窓の外へ視線を向ける。
休日の王都は、平日よりもずっと賑やかだ。
店先には色とりどりの商品が並び、通りを行き交う人々の表情もどこか明るい。
そんな景色をぼんやりと眺めていた、その時だった。
「……あれは?」
人混みの中に、一人の女性がいた。
淡い色のワンピース。
肩から流れる、長く美しい金色の髪。
普段、王宮で見慣れている姿とはまるで違う。
髪はきっちりとまとめられておらず、柔らかな毛先が背中へ流れている。
そして何より――眼鏡をかけていない。
顔立ちが、はっきりと見えた。
大きく印象的な瞳。
長い睫毛。
すっと整った鼻筋。
そして、いつも控えめな色をしている唇には――
「……」
思わず、目を奪われる。
明るく柔らかな桃色の口紅。
以前、自分がふと考えた色とよく似ていた。
――もう少し明るい色でも、似合うのではないだろうか。
――淡い桃色など。
数日前、彼女を見ながらそんなことを考えてしまった自分を思い出す。
まさか。
そんな偶然があるはずがない。
アレクシスはもう一度、その女性を見た。
店先で商品を手に取り、楽しそうに眺めている。
時折、髪を耳にかける仕草。
商品を見つめる瞳。
そして、ふっとこぼれる笑顔。
「……エレナ嬢?」
口から、名前がこぼれた。
よく似た女性、というわけではない。
長い金髪も。
整った顔立ちも。
あの長い睫毛も。
最近、自分でも気づかないうちによく見ていたからこそ分かる。
間違いない。
エレナ・アーデルだ。
王宮ではいつも眼鏡をかけ、髪をきっちりとまとめている。
服装も控えめで、姿勢も所作も隙がない。
けれど、今目の前にいる彼女は――まるで別人のようだった。
いや。
別人ではない。
知らなかっただけだ。
こんな顔で笑うことも。
こんなふうに髪を下ろすことも。
こんな明るい色の口紅が似合うことも。
可愛い店の前で、あんなに嬉しそうな顔をすることも。
「…………」
気づけば、馬車が停まっていた。
アレクシスはしばらく窓の外を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「少し、歩くか」
そう呟いて、馬車を降りた。
エレナに声をかけるつもりだった。
……少なくとも、最初は。
しかし。
近づこうとしたところで、足が止まった。
何と言えばいい?
休日に街で偶然会った部下に、
『君は眼鏡を外すとそんな顔をしているのだな』
などと言えるはずもない。
そもそも、なぜ自分は彼女を追いかけようとしているのだ。
アレクシスは自分の行動を冷静に考えようとした。
――だが。
エレナが店の中へ入っていく。
その姿を、つい目で追ってしまう。
少しして店から出てくると、今度は別の店へ向かっていく。
また、追ってしまう。
一定の距離を保ちながら。
気づかれないように。
……完全に怪しい。
「私は、何をしているんだ……」
小さく呟いた。
仕事では、どれほど難しい案件でも冷静に処理できる。
数字の確認も、予算の調整も、複雑な領地間の問題も、迷うことなどほとんどない。
それなのに。
たった一人の女性が休日の街を歩いているだけで、どうしてこうも気になってしまうのか。
エレナはそんなことには気づかず、店先に並んだ小物を眺めている。
手に取って。
少し考えて。
嬉しそうに微笑む。
その横顔を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなった。
やがて、エレナは別の通りへ歩いていく。
アレクシスも、その後ろ姿を見送った。
声をかけることは、結局できなかった。
しばらくその場に立ち尽くしたあと、彼はようやく踵を返す。
「……帰るか」
来た時よりも、ずっと疲れていた。
屋敷へ戻ってからも、仕事のことを考えようとする。
明日の予定。
未処理の書類。
来週の会議。
いつもなら頭の中で自然に整理されるはずなのに。
今日は、何をしていても浮かんでくる。
眼鏡を外した彼女。
下ろした金色の髪。
明るい桃色の唇。
そして――あの笑顔。
「…………」
夜になっても、眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じると彼女の姿が浮かぶ。
どうしてこんなに気になるのか。
自分でも、まだ分からない。
ただ一つ分かるのは――
今日、街で見かけた彼女の姿が、頭から離れないということだけだった。
何度寝返りを打っても眠れず、アレクシスはとうとう諦めて天井を見つめた。
「……明日は仕事だというのに」
小さくため息をつく。
それでも、瞼の裏には彼女の笑顔が残っていた。
結局、眠りについたのは、空が白み始める頃だった。
明日から1日2話、7:00と17:00に投稿していきます
完結まで予約投稿となっていますので、是非読んでいってください




