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第34話 婚約者、始めました

アーデル家での滞在を終え、王都へ戻る日。


エレナは玄関先で家族に見送られていた。


「身体に気をつけるのよ」


母がエレナの手を握る。


「はい。お母様も」


「仕事ばかり頑張りすぎないこと」


「分かっています」


「本当に?」


「……はい」


そのやり取りに、セドリックが苦笑する。


「母さん、エレナはもう子どもじゃないよ」


「分かっているわ。でも心配なの」


「お兄様まで……」


エレナが困ったように笑う。


少し離れたところでは、アレクシスが父と話していた。


「改めて、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


父は短く答える。


「娘を頼みます」


「はい」


その言葉に、アレクシスは深く頭を下げた。


そして馬車に乗り込む。


「行ってらっしゃい!」


家族に手を振るエレナ。


馬車がゆっくりと動き出した。


しばらくして、屋敷が見えなくなる。


「……寂しいです」


エレナが小さく呟く。


「また来ればいい」


「はい」


アレクシスが微笑む。


「次に来る時は……婚約者として、だな」


「……!」


エレナの顔が一気に赤くなった。


「もう……アレクシスさん」


「事実だろう?」


「そうですけど……」


「私は嬉しい」


その言葉に、エレナは黙ってしまう。


けれど。


口元は、少しだけ嬉しそうに緩んでいた。


⸻


王都へ戻ると、二人はまず王宮へ向かった。


婚約についての正式な手続きを済ませるためだ。


書類に二人の名前が並ぶ。


アレクシス・ヴァレンティン


そして。


エレナ・アーデル


エレナはその名前を見つめた。


まだ姓は変わっていない。


けれど、その横には確かに――


婚約者としての名前がある。


「……なんだか、不思議ですね」


「何が?」


「こうして書類に並んでいると……本当に婚約したんだなって」


アレクシスは隣から書類を見る。


「私も同じことを思った」


「アレクシスさんも?」


「ああ」


そして、ほんの少し笑った。


「嬉しい」


まただ。


最近のアレクシスは、以前よりずっと素直だ。


エレナは頬を赤くしながら笑った。


「……私もです」


⸻


翌朝。


領政財務局。


いつも通り、職員たちは仕事を始めていた。


「おはようございます、局長」


「おはよう」


アレクシスはいつものように席につく。


そして。


エレナが書類を抱えて入ってくる。


「局長、こちらの――」


そこで一瞬、言葉が止まった。


二人とも、同時に思い出したのだ。


――婚約した。


今までは恋人。


けれど今日からは、正式な婚約者。


「……エレナ」


「……はい」


ほんの少しだけ、二人とも照れる。


それを見ていたルーカスが、すぐに何かを察した。


「……お前ら」


「何だ」


「いや」


ルーカスは二人を交互に見る。


「何かあっただろ?」


「別に」


「その顔で?」


「どんな顔だ」


「めちゃくちゃ幸せそうな顔」


「…………」


アレクシスは無言で仕事に戻った。


しかし。


その口元は、ほんの少し緩んでいた。


ルーカスは呆れたように笑う。


「はいはい。聞かなくても分かった」


昼休み。


エレナが席を立とうとすると、


「エレナ」


アレクシスが呼び止める。


「はい?」


「昼食は?」


「これから食堂へ……」


「一緒に行こう」


「……はい」


二人が並んで歩いていく。


それを見ていた同僚たちが、ひそひそと話し始める。


「……もしかして」


「いや、まさか」


「でも最近、局長の態度が……」


「それに今日の二人、なんか雰囲気が違わない?」


そこへルーカスが通りかかる。


「婚約したらしいぞ」


「ええっ!?」


局内がざわつく。


「やっぱり!」


「いつの間に!?」


「局長が婚約……!」


その頃、本人たちは何も知らず。


食堂で向かい合って昼食を食べていた。


「……なんだか、今日は皆さんの視線を感じます」


「気にしなくていい」


「でも……」


「婚約したのだから、そのうち知られる」


「……そうですね」


エレナが笑う。


するとアレクシスが、ふと彼女の手元を見る。


「エレナ」


「はい?」


「その指に、何もないな」


「え?」


「婚約した証があった方がいいと思う」


エレナは目を瞬いた。


「……婚約指輪、ですか?」


「ああ」


「でも……」


「嫌か?」


「いえ!」


慌てて首を振る。


「嫌ではありません。ただ……」


「ただ?」


エレナは少し恥ずかしそうに笑った。


「……嬉しすぎて、ちゃんと身につけられるか分かりません」


アレクシスは一瞬黙って。


それから、柔らかく笑った。


「なら、私が選ぶのを手伝ってくれ」


「……はい」


二人の婚約指輪を選ぶ日が決まった。


そしてその日の帰り。


王宮の門を出たところで、アレクシスがエレナの手を取る。


「エレナ」


「はい?」


「これからもよろしく」


「……こちらこそ」


繋いだ手に、少しだけ力が込められる。


恋人から、婚約者へ。


二人の関係は、また一歩先へ進んだ。


エレナは隣を歩く彼を見上げる。


そして、小さく笑った。


「……婚約者、ですね」


「ああ」


アレクシスも笑う。


「私の婚約者だ」


その言葉だけで。


エレナの胸は、また幸せでいっぱいになった。

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