↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/42

第33話 娘をよろしく

 翌朝。


 朝食を終えたあと、エレナは母に促されるまま、少し離れた場所で父とアレクシスが向かい合っている部屋へ向かった。


 扉の前まで来たところで、エレナの足が止まる。


「……緊張します」


 隣にいた母が、優しく微笑んだ。


「大丈夫よ」


「でも……」


「あなたが自分で選んだ人なのでしょう?」


「……はい」


 エレナは小さく頷いた。


 母がそっと背中を押す。


「なら、胸を張っていらっしゃい」


「はい」


 エレナが扉を開ける。


 部屋の中には、父とアレクシスがいた。


 父はいつもの厳しい表情。


 アレクシスもまた、普段以上に真剣な顔をしている。


「座りなさい」


 父に言われ、エレナはアレクシスの隣に座った。


 しばらくの沈黙。


 やがて、アレクシスが立ち上がった。


「アーデル伯爵」


 父が顔を上げる。


 アレクシスは深く頭を下げた。


「本日は、改めてお願いしたいことがあり、伺いました」


「……聞こう」


 アレクシスは一度だけエレナを見た。


 その瞳には、迷いがなかった。


「私は、エレナさんを生涯の伴侶として迎えたいと思っています」


 エレナの胸が、大きく鳴った。


「エレナさんとの結婚を、正式に申し込ませてください」


 部屋が静まり返る。


 父はしばらく何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりとエレナへ視線を向ける。


「エレナ」


「はい」


「お前は、どうしたい?」


 エレナは少しだけ息を呑んだ。


 けれど、すぐにアレクシスを見た。


 彼もまた、静かに彼女を見つめている。


 初めて出会った時。


 怖い人だと思った。


 仕事では厳しくて、近寄りがたくて。


 けれど、一緒に仕事をするうちに。


 雨の日も。


 休日も。


 花祭りの夜も。


 たくさんの時間を重ねて。


 今では、この人の隣にいることが当たり前になっていた。


「……私は」


 エレナは、ゆっくりと言葉を続ける。


「アレクシスさんと一緒にいたいです」


 父は黙って聞いている。


「仕事も大切です。これからも続けたいと思っています」


「分かっている」


「それでも……」


 エレナは少し照れながら微笑んだ。


「これから先の人生も、アレクシスさんと一緒に過ごしたいです」


 アレクシスの瞳が、わずかに揺れた。


 父はそんな娘をじっと見つめていた。


 そして――


 ふっと表情を和らげた。


「そうか」


 短い言葉。


 けれど、それだけでエレナには十分だった。


 父はアレクシスへ向き直る。


「アレクシス殿」


「はい」


「私は、娘のことをあまり器用に褒めてやれる父親ではなかった」


 エレナが目を瞬く。


「ですが、幼い頃からずっと見てきました」


 父の声は、いつもと変わらず落ち着いている。


「真面目で、責任感が強い。自分で決めたことには、最後まで努力する子です」


「……はい」


 アレクシスが静かに答える。


「王宮で働きたいと言った時も、心配はしました」


 エレナは少し俯いた。


「ですが、あの子がどれだけ努力していたかも知っています。だから、反対するつもりはありませんでした」


 父は一度、娘を見る。


「今回も同じです」


 そして、アレクシスをまっすぐ見据えた。


「エレナが自分で選んだ相手なら、私はその意思を尊重します」


「……ありがとうございます」


 アレクシスが頭を下げる。


 父はしばらく黙っていた。


 そして、静かに言った。


「ただし」


 アレクシスが顔を上げる。


「娘は、強そうに見えて無理をするところがあります」


「はい」


「辛いことがあっても、自分一人で抱え込むことがある」


「……はい」


 アレクシスは、はっきりと頷いた。


「そのことは、私も知っています」


 父の目が少しだけ細くなる。


「ならば――」


 ほんのわずかに、声が柔らかくなった。


「どうか、これからも娘を大切にしてやってください」


 エレナの瞳が潤む。


 父は続けた。


「エレナを、よろしく頼みます」


 アレクシスは深く、深く頭を下げた。


「はい」


 そして顔を上げる。


「必ず、大切にします」


 その言葉には、仕事の時の冷静さとは違う、強い決意が込められていた。


「エレナが大切にしているものを、私も大切にします」


 エレナの目から、とうとう一粒だけ涙が落ちた。


「……お父様」


 父は少し困ったように眉を寄せる。


「泣くな」


「だって……」


「まだ嫁に出したわけではない」


「……はい」


 その言葉に、アレクシスがほんの少し笑った。


 すると扉の外から、


「お父さんったら……」


 母の声が聞こえた。


 どうやら聞いていたらしい。


「お母様……」


 母は目元をそっと押さえながら、微笑んだ。


「よかったわね、エレナ」


「……はい」


 その時だった。


「では、私からも一つ」


 セドリックが部屋へ入ってきた。


「お兄様?」


 アレクシスが少しだけ姿勢を正す。


 セドリックは真剣な顔で彼を見る。


「アレクシス殿。少し、男同士で話をしても?」


「もちろんです」


「エレナは、母さんとリディアと一緒にいてくれるか」


「え?」


 エレナが不安そうな顔をする。


「大丈夫だ」


 セドリックが笑った。


「少し話すだけだ」


「……はい」


 エレナが母と部屋を出ていく。


 扉が閉まった。


 途端に。


 セドリックが腕を組んだ。


「妹は、少し頑張りすぎるところがあります」


「はい」


「自分のことより、人のことを優先することもある」


「分かっています」


「無理をしていても、自分からは言わない」


「……はい」


 セドリックはしばらくアレクシスを見つめた。


「なら、これからはあなたが気づいてあげてください」


 アレクシスは迷わず答えた。


「分かりました」


「それと」


 セドリックが少しだけ真顔になる。


「妹を泣かせたら――」


 アレクシスの表情が固まった。


「……はい」


「兄として、話をしに行きます」


「……肝に銘じておきます」


 セドリックはしばらく黙っていた。


 そして――


「冗談です」


 アレクシスがほっと息を吐く。


「……半分は」


「…………」


 セドリックは堪えきれず笑った。


「すみません」


「いえ……」


 アレクシスも苦笑する。


「ですが、言いたいことは分かりました」


「なら、よかった」


 セドリックは少しだけ表情を柔らかくした。


「妹があなたのことを話す時、とても嬉しそうなんです」


「……そうですか」


「だから」


 セドリックは手を差し出した。


「これからも、あの顔を見せてやってください」


 アレクシスはその手をしっかりと握った。


「約束します」


 その頃、部屋の外では。


 エレナが落ち着かない様子で扉を見つめていた。


「……まだかしら」


 リディアが隣で笑う。


「大丈夫よ」


「でも……」


「ふふ」


 リディアはエレナの顔を覗き込んだ。


「それにしても――」


「?」


「エレナ、本当に幸せそうね」


 エレナは一瞬驚いて。


 それから、恥ずかしそうに笑った。


「……うん」


 その笑顔を見て、母も嬉しそうに微笑む。


 やがて扉が開いた。


 セドリックとアレクシスが戻ってくる。


 エレナはすぐにアレクシスへ駆け寄った。


「アレクシスさん……」


「うん」


「お兄様、何か変なことを言いませんでした?」


「いや」


 アレクシスは少し考えてから答えた。


「君が、とても大切にされていることを改めて教えてもらった」


「……お兄様」


 セドリックは照れくさそうに視線を逸らした。


「妹だからな」


 アレクシスはエレナの手をそっと取る。


「私も、大切にする」


 エレナの頬が赤くなる。


「……はい」


 その様子を見ていたリディアが、母に小声で囁いた。


「……相当好きですよね」


 母も笑う。


「ええ。本当に」


 二人の視線の先では。


 エレナとアレクシスが、照れながら手を繋いでいた。


 こうして。


 二人は正式に、婚約へ向けて歩き始めることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。