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第32話 彼女の故郷へ

王都を出発して、二日。


馬車の窓から見える景色が、少しずつ懐かしいものへと変わっていく。


「もうすぐです」


向かいに座るエレナが、窓の外を眺めながら言った。


その表情には、王宮にいるときにはあまり見せない、どこか柔らかな笑みが浮かんでいる。


「……楽しそうだな」


アレクシスがそう言うと、エレナは少し照れたように笑った。


「はい。久しぶりですから」


「そうか」


アレクシスは頷いた。


けれど。


自分の胸の鼓動は、さっきから妙に速い。


仕事で重要な会議に出る時ですら、これほど緊張したことはない。


今日会うのは、エレナの両親。


そして、兄。


――つまり。


大切な恋人の家族だ。


「……アレクシスさん?」


「何だ?」


「少し緊張されていますか?」


「…………」


図星だった。


エレナはくすっと笑う。


「大丈夫ですよ。父も母も、怖い人ではありませんから」


「それは分かっている」


「お兄様も、とても優しいです」


「……それも分かっている」


「では、どうしてそんなに難しい顔を?」


「……」


アレクシスは少しだけ視線を逸らした。


「君の家族に、きちんと認めてもらいたいと思っているだけだ」


「……!」


エレナの頬が、ほんのり赤くなる。


「……きっと、大丈夫です」


「そうだといいが」


やがて馬車が速度を落とした。


見慣れた屋敷が見えてくる。


「……着きました」


エレナの声が弾む。


馬車が止まると、先にエレナが降りた。


そして、その姿を見た瞬間。


「おかえりなさい、エレナ」


母が優しく微笑んだ。


「お母様!」


エレナは嬉しそうに駆け寄る。


母も娘を抱きしめる。


「まあ。少し痩せたんじゃない?」


「そんなことありませんよ」


「ちゃんと食べている?」


「食べています」


「本当に?」


「本当です」


そのやり取りを見ていたアレクシスは、思わず微笑んだ。


――これが、エレナの家族。


王宮では見たことのない、彼女の顔だった。


その時。


「……お久しぶりです」


低い声が聞こえた。


エレナの父だった。


厳格そうな顔立ち。


姿勢もまっすぐで、言葉数も少ない。


アレクシスは背筋を正した。


「お久しぶりです。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ。遠いところ、ご苦労でした」


短いやり取り。


けれど父親の視線は、アレクシスを静かに見ていた。


その隣から、青年が歩み寄ってくる。


「久しぶりだな、エレナ」


「お兄様!」


セドリックだった。


エレナが嬉しそうに笑う。


「元気そうでよかった」


「お兄様も」


二人の様子を見ていると、少し離れた場所から女性が歩いてきた。


「エレナ!」


「リディア!」


幼馴染みの二人が、嬉しそうに顔を合わせる。


「久しぶりね」


「うん!」


リディアはエレナを抱きしめ、それから少し離れて顔を眺めた。


「王都にいる間に、ずいぶん綺麗になったわね」


「もう……リディアったら」


エレナが照れる。


そんな二人を見ていたアレクシスに、セドリックが声をかけた。


「アレクシス殿」


「はい」


「改めて。妹がお世話になっています」


「こちらこそ。エレナには、日々助けられています」


「……そうですか」


セドリックがエレナを見る。


妹は、アレクシスのすぐ隣に立っている。


しかも。


いつもの仕事中とは違い、少し恥ずかしそうにしながらも、とても嬉しそうだった。


セドリックは何となく察した。


だが、何も言わなかった。


一方。


リディアは違った。


アレクシスがエレナの荷物を自然に受け取る。


エレナが何かを話すと、アレクシスが柔らかく微笑む。


そしてエレナも、そんな彼を見上げる。


リディアはセドリックの袖をそっと引いた。


「……ねえ、セドリック」


「ん?」


リディアが小声で言う。


「……あれ、相当好きね」


「……やっぱりそう見えるか?」


「ええ」


リディアは楽しそうに笑った。


「エレナもだけど……あの方も相当よ」


「……そうだな」


二人で顔を見合わせる。


そして、同時に二人を見る。


アレクシスはエレナの隣で、彼女が話す故郷のことを真剣に聞いている。


エレナはそんな彼を見ながら、嬉しそうに笑っていた。


「……ふふ」


「……何だ?」


エレナが振り返る。


リディアは何食わぬ顔で答えた。


「ううん。何でもないわ♡」


「……?」


エレナは首を傾げる。


その隣で、セドリックだけが苦笑していた。


⸻


その日の夕食は、いつもより少しだけ賑やかだった。


エレナの母が用意した料理が並び、久しぶりの家族の食卓を囲む。


「王宮のお仕事はどう?」


母が尋ねる。


「忙しいですけど、とてもやりがいがあります」


「そう。よかったわ」


父も静かに頷いた。


「以前より、顔つきがしっかりしたな」


「本当ですか?」


「ああ」


短い言葉。


けれど、エレナにはそれだけで十分だった。


父が、自分の頑張りを認めてくれている。


それが嬉しい。


「それにしても……」


母がちらりとアレクシスを見る。


「エレナが王宮でどんなふうに働いているのか、もっと聞きたいわ」


「もちろんです」


アレクシスは穏やかに答えた。


「エレナは非常に優秀です。仕事も早く、周囲への気配りもできる。私も何度も助けられています」


「まあ」


母が嬉しそうに笑う。


「そうなんですか?」


「はい」


アレクシスは迷いなく頷いた。


「私が局長として、彼女を評価しているのは間違いありません」


エレナは少し照れながら俯いた。


するとリディアが、にこにこと笑いながら言った。


「まあ。エレナったら、素敵な方に見つけてもらったのね」


「リディア……!」


「ふふ」


エレナはますます赤くなる。


そんな二人を見ながら、セドリックは笑った。


父も、ほんの少しだけ口元を緩めている。


その夜。


夕食が終わり、それぞれが部屋へ戻ろうとした時。


「アレクシス殿」


父の声がした。


「はい」


「少し、よろしいですか」


アレクシスが足を止める。


父は静かに続けた。


「明日、改めてお話ししたいことがあります」


「……承知しました」


アレクシスは深く頷いた。


そしてその夜。


エレナの家で眠ることになったアレクシスは――


王宮でどんな難しい仕事を任された時よりも、なかなか寝つけなかった。


一方、エレナも自室のベッドの上で、胸元を押さえていた。


明日。


きっと、大切な話がある。


そう思うと、胸がいっぱいになる。


そして二人はまだ知らない。


翌日、この家で交わされる言葉が――


二人の未来を、正式に決めることになるのを。

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