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第31話 星に願う夜

 王都で、一年に一度の祭りが開かれた。


 その名は――星送り。


 夜になると、街の人々が小さな灯籠に願いを書き、火を灯す。


 そして決められた時刻になると、一斉に空へと放つのだ。


 地上から無数の灯籠が昇っていく様子は、まるで星が空へ帰っていくようだと言われている。


「綺麗……」


 夜空を見上げながら、エレナが呟いた。


 隣にはアレクシスがいる。


 今日は仕事ではない。


 もちろん、二人きりの休日だ。


「初めて見るのか?」


「はい。学院にいた頃は、予定が合わなくて……」


「そうか」


 アレクシスはエレナの横顔を見た。


 眼鏡越しの瞳が、灯籠の明かりを映している。


「……来られてよかったな」


「はい」


 エレナが嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見て、アレクシスも自然と口元を緩めた。


 やがて、祭りの開始を告げる鐘が鳴った。


 周囲の人々が一斉に灯籠を空へ放つ。


 ひとつ。


 またひとつ。


 そして瞬く間に、無数の灯りが夜空へと昇っていった。


「わあ……」


 エレナが思わず一歩前へ出る。


 その瞬間。


 人の流れが動いた。


「……エレナ!」


 身体がふらついたエレナの腕を、アレクシスがとっさに掴む。


「危ない」


 そのまま、彼女の身体を引き寄せた。


「……!」


 気づけば、エレナはアレクシスの腕の中にいた。


「大丈夫か?」


「……はい」


 答えたものの、離れようとすることができない。


 アレクシスもまた、すぐには腕を離さなかった。


 以前なら、触れた瞬間に距離を取っていただろう。


 けれど今は――恋人だ。


「……もう少し、このままでいてもいいだろうか」


 低い声でそう聞かれて、エレナは顔を上げた。


「……はい」


 小さく頷く。


 アレクシスの腕が、ほんの少しだけ強くなる。


 胸の奥が、どきどきする。


 聞こえてしまうのではないかと思うほどだった。


「……アレク」


「ん?」


「星送り……来られて、よかったです」


「ああ」


 アレクシスは空を見上げる。


 無数の灯籠が、星のように夜空を彩っている。


「綺麗だな」


「はい」


 けれど。


 アレクシスが見つめていたのは、夜空ではなかった。


 腕の中にいるエレナだった。


「……君も」


「え?」


「とても綺麗だ」


 エレナの頬が、一瞬で赤くなる。


「……もう」


「何か?」


「そういうことを、さらっと言うのは……反則です」


「本当のことを言っただけだ」


「……」


 エレナは恥ずかしくなって、胸元に顔を伏せた。


 アレクシスはそんな彼女を見て、少しだけ笑う。


 そして。


 ふと、真剣な表情になった。


「エレナ」


「……はい」


「一つ、聞きたいことがある」


「なんでしょう?」


 少しだけ間を置いて。


 アレクシスは、静かに尋ねた。


「……キスしてもいいだろうか」


 エレナの瞳が大きくなる。


「…………」


 心臓が、跳ねた。


 けれど。


 嫌ではなかった。


 エレナは恥ずかしそうに俯いて――小さく頷く。


「……はい」


 アレクシスはゆっくりと顔を近づけた。


 そして。


 ほんの一瞬だけ、優しく唇を重ねた。


 それだけだった。


 けれど二人にとっては、十分すぎるほど特別な時間だった。


 離れたあとも、二人とも何も言えない。


 エレナは真っ赤な顔で俯いている。


 アレクシスも、珍しく耳まで赤くなっていた。


「…………」


「…………」


 しばらくして、エレナが小さな声で呟く。


「……緊張しました」


「……私もだ」


「アレクも?」


「……ああ」


 その答えが少し意外で、エレナは顔を上げた。


 アレクシスは照れたように目を逸らしている。


 それを見て、エレナはくすっと笑った。


「ふふ……」


「……何だ?」


「なんだか、安心しました」


「そうか」


 アレクシスも笑う。


 そして、もう一度だけ彼女の手を取った。


 指先をそっと絡める。


「……帰ろうか」


「はい」


 二人は手を繋いだまま、ゆっくりと歩き始めた。


 夜空には、まだたくさんの灯籠が浮かんでいる。


 エレナは空を見上げながら、胸の中でそっと願った。


 ――この人と、これからも一緒にいられますように。


 隣を歩くアレクシスもまた、同じ夜空を見上げていた。


 けれど彼が願っていたのは、もっと単純だった。


 ――どうか、これからも彼女の隣にいられますように。


 二人の頭上を、最後の灯籠がゆっくりと昇っていった。

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