第30話 家族に紹介します
休日の朝。
エレナは、鏡の前で何度目か分からないほど自分の姿を確認していた。
淡い色のワンピース。
髪は丁寧に整えてある。
眼鏡もかけている。
いつもより少しだけ上品な服を選んだ。
「……大丈夫よね」
今日は、アレクシスの実家へ行く。
つまり――。
恋人になったばかりの自分を、彼の家族に紹介してもらう日だ。
緊張しないほうがおかしい。
迎えに来た馬車に乗り込み、エレナは隣に座るアレクシスを見た。
「……本当に、私で大丈夫でしょうか」
「何が?」
「ご家族へのご挨拶です」
アレクシスは一瞬きょとんとした。
そして、静かに言った。
「もちろんだ」
あまりにも迷いのない返事だった。
「父も母も、君を歓迎するだろう」
「……そうでしょうか」
「姉も」
「セシリア様も……?」
「ああ」
少し間を置いてから、アレクシスが付け加える。
「むしろ、姉は喜びすぎると思う」
「……?」
その意味を、エレナはまだ知らなかった。
*
ヴァレンティン家。
馬車が屋敷の前に止まると、アレクシスが先に降り、エレナへ手を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
その手を取った瞬間。
屋敷の玄関から、女性が勢いよく出てきた。
「アレクシス!」
「姉上」
セシリアだった。
そして、その後ろには両親の姿もある。
セシリアはエレナを見るなり、ぱっと笑顔になった。
「まあ……!」
エレナの手を両手で包む。
「あなたがエレナさんね!」
「は、はい。エレナ・アーデルと申します」
「そんなにかしこまらなくていいのよ!」
セシリアは嬉しそうに笑った。
「ずっと会いたかったの!」
「姉上、少し落ち着いて」
「無理よ!」
即答だった。
アレクシスが小さくため息をつく。
その様子を見て、エレナは思わず笑ってしまった。
――家では、こんな顔をするんだ。
仕事中の冷静な姿とは全然違う。
それがなんだか嬉しかった。
*
応接室に通されると、アレクシスの両親が改めてエレナを迎えてくれた。
「来てくれてありがとう、エレナさん」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「アレクシスから話は聞いているよ」
父親が穏やかに微笑む。
「とても優秀な文官だそうだね」
「いえ、まだまだです」
「謙虚なところも、息子が気に入るわけね」
母親が嬉しそうに言う。
「母上」
「何?」
「……余計なことを言わないでください」
「あら、私は何も言っていないわ」
セシリアが隣で笑いを堪えている。
「ねえ、アレクシス」
「何だ」
「エレナさん、とっても可愛いわね」
「……そうだな」
即答だった。
「…………」
「…………」
エレナの顔が赤くなる。
セシリアの目が輝いた。
「まあ!」
「姉上」
「今の聞いた!?」
「聞かなくていい」
「昔のあなたなら絶対にそんなこと言わなかったのに!」
アレクシスは黙った。
エレナは俯いたまま、耳まで真っ赤だった。
そんな二人を見て、両親も微笑む。
「なるほど」
父親が静かに頷く。
「本当に大切に思っているんだな」
「……はい」
アレクシスが答える。
その声だけは、いつもの仕事のときとは違った。
迷いがなかった。
*
そして。
話は思いのほか早く進んだ。
「それで、二人は婚約については――」
「父上?」
エレナが目を瞬く。
「まだ恋人になったばかりで……」
「そうなの?」
母親が驚いたようにアレクシスを見る。
「はい」
「まあ……」
セシリアが嬉しそうに手を叩く。
「じゃあ、婚約はこれからなのね!」
「姉上、話が早すぎます」
「だって、せっかく素敵な子を見つけたんでしょう?」
「……」
アレクシスが黙る。
父親が穏やかに笑った。
「私は賛成だよ」
「父上まで……」
「エレナさんがよければ、正式に婚約の話を進めてもいいと思っている」
「……え?」
エレナが固まる。
「もちろん、急かすつもりはないよ」
父親は優しく続ける。
「だが、我が家としては歓迎したい」
母親も頷く。
「私も賛成。こんなに可愛らしくて、しっかりしたお嬢さんなら大歓迎よ」
「私も!」
セシリアが元気よく手を挙げる。
「むしろ、今すぐ妹になってほしいくらい!」
「姉上……」
アレクシスは額に手を当てた。
「まだ恋人になって数日ですよ」
「だから何?」
セシリアは首を傾げる。
「好きな人と結婚するのに、何年待つ必要があるの?」
「……」
アレクシスが言葉に詰まった。
そしてエレナを見る。
「……エレナ」
「は、はい」
「私は……その」
珍しく言葉を選んでいる。
「できることなら、早く君と正式な関係になりたいと思っている」
「……っ」
エレナの顔が真っ赤になる。
「ですが、君の気持ちを無視して進めるつもりはない」
「……」
エレナはしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……私も、嬉しいです」
その言葉に、アレクシスの表情が柔らかくなる。
――こうして。
恋人になってまだ間もない二人の婚約話は、本人たちが思っていた以上の速度で進み始めた。
*
帰りの馬車。
エレナは隣に座るアレクシスをちらりと見る。
「……今日は、すごかったですね」
「……ああ」
「婚約のお話まで出るとは思いませんでした」
「私もだ」
少し沈黙する。
そして。
「エレナ」
「はい?」
「一つ、お願いがある」
「何でしょう?」
アレクシスは少しだけ視線を逸らした。
「……そろそろ」
「?」
「私のことを『アレク』と呼んでくれないか」
「…………え?」
「アレクシスさん、では少し距離がある気がする」
「でも……」
「恋人なのだから」
その言葉に、エレナの頬が赤くなる。
「……アレク」
小さな声だった。
アレクシスが固まる。
「……もう一度」
「えっ?」
「聞きたい」
「……アレク」
今度は少しだけ大きな声。
アレクシスは目を伏せた。
「……うん」
その表情が、あまりにも嬉しそうで。
エレナもつられて笑ってしまった。
恋人になったばかり。
まだ手を繋ぐだけでも少し緊張する。
それなのに。
婚約の話まで進んで。
呼び方まで変わった。
二人の距離は、少しずつ。
確実に近づいていた。




