第23話 近づく心の距離
次の休日。
エレナは待ち合わせ場所へ向かいながら、何度も深呼吸をしていた。
今日は二度目の休日のお出かけ。
前回よりは、少しだけ慣れている。
……はずだった。
「おはようございます、局長」
「おはよう、エレナ嬢」
顔を合わせた瞬間。
やっぱり緊張した。
「今日は……」
アレクシスが言葉を止める。
「……?」
「いや」
アレクシスは視線を逸らした。
「その服も、よく似合っている」
「……!」
エレナの頬が赤くなる。
「ありがとうございます」
今日のエレナは、淡い色のワンピースに小さな髪飾りをつけていた。
髪はいつも通り下ろしている。
眼鏡もかけている。
けれど。
アレクシスには、それだけで十分だった。
――可愛い。
そう思った。
だが。
本人を前にして、それ以上言えるほどの勇気はない。
「……では、行こうか」
「はい」
二人は並んで歩き始めた。
◇
今日は王都の中心から少し離れた場所にある、庭園を訪れることにした。
色とりどりの花が咲き、休日ということもあって多くの人が訪れている。
「綺麗ですね」
「ああ」
エレナは花を眺めながら歩く。
時々立ち止まっては、楽しそうに微笑む。
そのたびに。
アレクシスは彼女を見ていた。
「……局長?」
「何だ?」
「先ほどから、私を見ていませんか?」
「……」
見ていた。
かなり見ていた。
「気のせいだ」
「そうですか?」
「ああ」
アレクシスは平然と答えた。
エレナは首を傾げる。
けれど。
少しだけ嬉しかった。
◇
庭園の奥に、小さな池があった。
水面に花が映り、とても綺麗だった。
「こちら、見てください」
エレナが少し先へ進む。
「……あ」
その時。
足元の石に靴が引っかかった。
「危ない!」
アレクシスが咄嗟に腕を伸ばす。
エレナの身体がふらつく。
そして。
アレクシスの腕に、そっと支えられた。
「……大丈夫か?」
「……はい」
近い。
顔が。
とても近い。
エレナは息を止めた。
アレクシスも同じだった。
「……」
「……」
数秒。
互いに動けない。
やがてアレクシスが、ゆっくりと手を離した。
「すまない」
「い、いえ……助けていただいて、ありがとうございます」
「怪我は?」
「ありません」
「そうか」
それだけ言って。
二人とも少し離れた。
しかし。
エレナの心臓は、なかなか元に戻らなかった。
◇
少し歩いたところで。
「……あの」
エレナが口を開いた。
「何だ?」
「先ほどは……ありがとうございました」
「気にしなくていい」
「でも」
エレナは少し迷ってから。
「局長がいてくださって、よかったです」
アレクシスが止まった。
「……」
「局長?」
「……いや」
何でもない。
そう言おうとして。
言えなかった。
胸の奥が、熱い。
たった一言。
それだけなのに。
嬉しくて仕方がない。
「……私も」
「はい?」
「君と一緒に来てよかったと思っている」
「……」
今度はエレナが固まった。
二人とも。
顔が赤い。
◇
昼食の時間になり、二人は庭園近くの小さな店に入った。
「何にしますか?」
「君は?」
「私は……」
メニューを見ながらエレナが考える。
「これにします」
「では、私もそれにしよう」
「え?」
「……何か問題があるか?」
「いえ」
エレナは笑った。
「ただ、同じものを選ばれるとは思いませんでした」
「……君が選んだものなら、気になる」
「……」
今の言葉は。
少しだけ。
特別な意味に聞こえた。
エレナは俯いてしまう。
アレクシスも。
自分が何を言ったのか、数秒遅れて気づいた。
「……」
まずい。
言い方を間違えた。
だが。
訂正するのも、もっと不自然だ。
「……楽しみだな」
結局、それだけ言った。
「……はい」
エレナも小さく頷いた。
◇
帰り道。
夕方の街は、昼間より少し静かだった。
二人は並んで歩いている。
けれど。
前回よりも。
ほんの少しだけ。
距離が近い。
エレナはそれに気づいていた。
アレクシスも気づいていた。
けれど。
どちらも何も言わない。
ふと。
エレナの髪が風に揺れた。
その髪がアレクシスの腕に触れる。
「あ……」
エレナが慌てて髪を押さえる。
「すみません」
「いや」
アレクシスは首を振る。
「……そのままでいい」
「え?」
「いや……」
アレクシスは少し困ったように笑った。
「何でもない」
エレナはその横顔を見た。
そして。
ほんの少しだけ。
自分から近づいた。
肩が触れそうな距離。
アレクシスが気づく。
「……」
エレナは前を向いたまま。
「……このくらいの距離なら」
「?」
「……歩きやすいですね」
それだけ。
アレクシスはしばらく黙っていた。
そして。
「……ああ」
小さく答えた。
その声は。
いつもより少しだけ、嬉しそうだった。
◇
帰宅してから。
エレナは自室のベッドに座った。
今日一日のことを思い出す。
庭園。
昼食。
帰り道。
そして。
自分から少し近づいたこと。
「……私」
頬が熱くなる。
「少しずつ……大胆になってる?」
そう呟いて。
自分で恥ずかしくなった。
一方。
アレクシスもまた。
自宅の自室で一人、椅子に座っていた。
「……」
今日のエレナを思い出す。
笑顔。
赤くなった頬。
そして。
帰り道の、あの距離。
「……」
アレクシスは片手で顔を覆った。
「……あれは、反則だろう」
誰も聞いていない部屋で。
小さく呟く。
仕事なら。
どんな難題でも冷静に処理できる。
だが。
好きな女性が、自分から少し近づいてきた。
ただそれだけのことで。
完全に心を乱されていた。
そして二人は。
それぞれの部屋で同じことを思っていた。
――また、一緒に出かけたい。
その気持ちは。
前よりも、少しだけ強くなっていた。




