第21話 嫉妬と恋の自覚
アレクシスとのデートから数日。
エレナは、少し困っていた。
最近。
アレクシスの姿を見ると、嬉しくなる。
朝、王宮へ来て彼の姿を見つけると、自然と気持ちが明るくなる。
仕事で声をかけられれば、少し緊張する。
名前を呼ばれるだけでも、以前とは違う感覚があった。
そして。
休日に一緒に出かけた日のことを思い出すと、胸の奥が温かくなる。
「……どうしてなんだろう」
エレナは小さく呟いた。
けれど、答えは出ない。
尊敬しているから。
きっと、そうなのだ。
仕事のできる人だし、困った時には助けてくれる。
優しいところもある。
だから。
特別に感じるのは、当然なのだろう。
そう思っていた。
――その日までは。
◇
「局長、こちらの書類をお持ちしました」
「ああ。ありがとう」
午後。
執務室に、王宮の別部署から一人の女性文官がやってきた。
エレナからは少し離れた場所だった。
女性はアレクシスに書類を渡しながら、何やら楽しそうに話している。
「先日の件、とても助かりました」
「いや。必要な処理をしただけだ」
「それでも、局長に直接確認していただけて安心しました」
「そうか」
アレクシスはいつもの落ち着いた表情だった。
女性は少し笑って。
「……今度、お礼をさせていただいても?」
「必要ない」
「そうおっしゃると思いました」
くすりと笑う。
それだけの会話だった。
何もおかしくない。
仕事上のやり取り。
それだけだ。
なのに。
「……」
エレナはなぜか、手元の書類に集中できなくなっていた。
ペンが止まる。
もう一度、書類を見る。
数字を確認する。
……頭に入ってこない。
ちらり。
またアレクシスを見る。
女性はまだ話している。
アレクシスも普通に答えている。
その光景を見ていると。
胸の奥が、もやもやした。
「……」
エレナは眉を寄せた。
何だろう。
この感じ。
なんとなく。
面白くない。
◇
やがて女性が去っていった。
「失礼いたします」
「ああ」
扉が閉まる。
アレクシスが自席へ戻る。
エレナは慌てて書類に視線を戻した。
「……」
何をしているのだろう。
自分は。
別に、何もない。
局長が女性と話していただけ。
仕事なのだから当然だ。
そんなことは分かっている。
分かっているのに。
胸の奥のもやもやは消えなかった。
「エレナ嬢」
「はいっ」
突然呼ばれて、肩が跳ねる。
「……この資料だが」
「は、はい」
アレクシスが書類を差し出す。
「ここの数字だけ、確認してもらえるか」
「承知しました」
受け取る。
指先が触れないように、妙に慎重になってしまった。
「……?」
アレクシスが少し首を傾げる。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません」
「そうか」
アレクシスはそれ以上聞かなかった。
けれど。
エレナは、自分の胸がまた大きく鳴ったことに気づいてしまった。
◇
昼休み。
エレナは一人で窓際に座っていた。
紅茶を飲みながら、ぼんやり考える。
さっきのこと。
どうしてあんなに気になったのだろう。
女性がアレクシスと話していたから?
でも。
アレクシスは仕事で、誰とでも話す。
女性文官と話すことだって珍しくない。
それなのに。
「……嫌だった」
ぽつり。
言葉にしてしまって、エレナは自分で驚いた。
嫌だった。
あの女性が。
アレクシスと親しそうに話しているのが。
嫌だった。
「……」
エレナはしばらく黙っていた。
そして。
胸の奥に浮かんだ、ひとつの考え。
――もしかして。
私は。
「……局長のことが」
そこまで言って、口を閉じる。
心臓が、どくんと鳴った。
まさか。
そんな。
だって。
アレクシスは上司だ。
尊敬している。
それだけだと思っていた。
けれど。
昨日、また誘ってもらえると聞いた時。
嬉しかった。
今日、朝に姿を見た時も嬉しかった。
仕事で名前を呼ばれるだけで、少し緊張する。
笑っているところを見ると、もっと見たいと思う。
子どもに優しくしている姿を見た時には、胸が温かくなった。
休日に二人で過ごした時間を、何度も思い出してしまう。
そして。
他の女性と話していると。
嫌だった。
「……」
エレナは両手で頬を包んだ。
顔が熱い。
「……嘘」
ようやく。
ひとつの可能性が、はっきりと形になった。
「……私」
小さく息を吸う。
「局長のこと……好き、なの?」
口にした瞬間。
心臓が大きく跳ねた。
答えは。
すぐには出なかった。
けれど。
否定することも、できなかった。
◇
午後。
エレナはいつも通り仕事をした。
いや。
正確には。
いつも通り仕事をしようとした。
「エレナ嬢」
「はい」
「この件について、少し意見を聞きたい」
「……はい」
アレクシスが自分の机の横に立っている。
近い。
いつもなら何とも思わなかった距離なのに。
今日は意識してしまう。
眼鏡の奥から見つめられる。
落ち着いた声。
整った顔。
「どう思う?」
「……え?」
「この予算案だ」
「あ……はい!」
慌てて資料を見る。
アレクシスが少し不思議そうな顔をした。
「……今日は少し上の空だな」
「す、すみません」
「疲れているのか?」
「いえ。大丈夫です」
「そうか」
アレクシスは少し心配そうにエレナを見た。
「無理はしないように」
「……はい」
その優しい声に。
また胸が跳ねた。
エレナは思った。
――やっぱり。
この人が好きなのかもしれない。
そう思っただけで。
いつもの仕事場が、少し違って見えた。
◇
仕事を終えたエレナは、一人で廊下を歩いていた。
まだ完全に自信はない。
これが恋なのか。
本当に自分はアレクシスを好きなのか。
まだ分からない。
けれど。
ひとつだけ。
確かなことがある。
もっと、この人のことを知りたい。
もっと、一緒にいたい。
そして。
できることなら。
自分のことも。
彼に知ってほしい。
「……」
エレナは小さく笑った。
「……困ったな」
初めて。
自分の中に芽生えた気持ちを。
少しだけ、大切にしてみたいと思った。
その頃。
執務室ではアレクシスが。
「……今日は、少し様子がおかしかったな」
エレナのことを考えていた。
そして。
彼はまだ知らない。
今日、エレナの中で。
自分への気持ちが、ほんの少しだけ。
恋へと形を変え始めたことを。




