第19話 初めてのデート
休日の朝。
エレナは鏡の前に立っていた。
「……どうしよう」
いつもなら、出勤するために髪をきっちりとまとめ、眼鏡をかける。
けれど今日は休日だ。
アレクシスと出かける。
それだけなのに、いつもより服を選ぶのに時間がかかっていた。
淡い色のワンピース。
髪はまとめず、背中に流す。
そして、いつもの眼鏡。
――外そうか。
一瞬迷った。
けれど。
「……やっぱり、このままでいいかな」
普段の自分の方が落ち着く。
そう思って眼鏡をかけた。
鏡に映った自分を見て、小さく息を吐く。
ただの休日のお出かけだ。
そう。
ただの――。
なのに。
胸の奥が、少しだけそわそわしていた。
◇
待ち合わせの時間より少し早く、エレナは王宮の門へ向かった。
すると。
「エレナ嬢」
「……局長」
すでにアレクシスが立っていた。
いつもの執務服ではない。
濃い色の上着に、シンプルなシャツ。
仕事中よりもずっと柔らかな雰囲気だった。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや。私も今来たところだ」
――嘘だった。
アレクシスは三十分前から来ていた。
だが、それを言う必要はない。
「では、行こうか」
「はい」
二人は並んで歩き始めた。
それだけなのに。
エレナは少し緊張していた。
職場ではいつも机を挟んで話している。
廊下で会えば挨拶をする。
仕事の相談もする。
けれど。
こうして休日に二人で歩くのは初めてだった。
「今日は、どちらへ?」
「まずは君が以前話していた店へ行ってみたい」
「覚えていたんですか?」
「ああ」
さらりと言われて、エレナは目を瞬かせた。
以前、昼休みにほんの少し話しただけだった。
王都にある、小さな雑貨店。
可愛らしい文房具や髪飾り、リボンなどを扱っている店だ。
「よく覚えていらっしゃいましたね」
「……君が話していたことだからな」
その言葉に。
エレナの胸が、ほんの少しだけ跳ねた。
◇
店に入ると、エレナの表情が一気に明るくなった。
「わぁ……」
棚には色とりどりの小物。
可愛らしいリボン。
小さな花を模した髪飾り。
美しい装飾が施された便箋。
「……可愛い」
ぽつりと漏れた声。
その瞬間、エレナは少し恥ずかしくなった。
職場では、こんな顔をしているところを見せたことがない。
「すみません。つい……」
「なぜ謝る?」
「え?」
「楽しそうで何よりだ」
アレクシスはそう言った。
エレナはしばらく彼を見つめた。
そして。
「……ありがとうございます」
小さく笑った。
アレクシスは、その笑顔から目を逸らせなくなった。
――やはり。
笑った顔が好きだ。
仕事中の真剣な顔も好きだ。
少し困ったような顔も。
そして今のように、好きなものを前にして嬉しそうにしている顔も。
全部、もっと見たい。
「局長?」
「……何でもない」
アレクシスは慌てて視線を店内へ戻した。
だが。
エレナは少しだけ首を傾げた。
最近。
彼は時々、こうして自分を見ている。
以前からだっただろうか。
――違う。
たぶん。
雨の夜を境に、少し変わった。
そう思うと。
胸の奥が、また小さく跳ねた。
◇
「こちらはいかがですか?」
エレナが手に取ったのは、小さな銀色の髪飾りだった。
「綺麗だな」
「ですよね」
エレナは嬉しそうに頷く。
「姉君にも似合いそうですね」
「ああ」
「でしたら、お土産にいかがですか?」
「……君が選んでくれるなら、そうしよう」
「え?」
「姉への贈り物だ」
アレクシスは何でもないように言った。
「以前、君に選んでもらったものを姉がとても気に入っていた」
「本当ですか?」
「ああ」
エレナの顔がぱっと明るくなる。
「よかった……!」
その瞬間。
アレクシスは思った。
――まただ。
こういう顔を見るのが好きだ。
自分が何かしたわけではない。
ただ、彼女が喜んでいるだけなのに。
自分まで嬉しくなる。
「では、これにしましょう」
「そうしよう」
二人で髪飾りを選ぶ。
それだけの時間が、妙に心地よかった。
◇
店を出たあと。
「少し休むか?」
アレクシスが尋ねた。
「はい」
二人は近くのカフェへ入った。
窓際の席。
向かい合わせに座る。
仕事の時とは違う。
書類もない。
報告書もない。
上司と部下という立場を、少しだけ忘れられる時間だった。
「……不思議ですね」
「何が?」
「こうして局長と仕事以外のお話をするのが」
「私もだ」
「でも……」
エレナは紅茶を一口飲んだ。
「楽しいです」
アレクシスは黙った。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「……私も楽しい」
その言葉に、エレナが顔を上げる。
目が合った。
しばらく。
二人とも何も言わなかった。
ただ、静かな時間が流れる。
エレナはふと思った。
この人のことを。
もっと知りたい。
雨の夜に見た優しい顔。
子どもに向けた柔らかな笑顔。
仕事で自分を認めてくれた言葉。
そして今。
自分と一緒にいることを「楽しい」と言ってくれた。
胸の奥が、また小さく鳴った。
――どうしてだろう。
この人といると。
こんなにも嬉しい。
◇
帰り道。
夕暮れの街を二人で歩く。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「とても楽しかったです」
「……私もだ」
アレクシスは少しだけ笑った。
「また、行かないか?」
エレナは驚いて彼を見る。
「……また?」
「ああ」
「……はい」
自然に返事をしてから。
エレナは気づいた。
自分は今。
少し嬉しいと思っている。
また、この人と出かけられることが。
そのことが。
どうしてこんなに嬉しいのか。
まだ、答えは出なかった。
ただ。
隣を歩くアレクシスの横顔を見ながら。
エレナは小さく微笑んだ。
――もう少しだけ。
この人のことを知りたい。
そんな気持ちが、以前よりずっと大きくなっていた。




