第13話 この気持ちは何?
その日は、王宮に少しだけ賑やかな空気が流れていた。
王都にある孤児院の子どもたちが、内務府を訪れていたのだ。
支援金や生活物資に関する手続きの確認と、今後の支援についての意見交換。
領政財務局にとっては重要な仕事の一つだった。
「こちらが今年度の支援に関する資料です」
担当者が説明を続ける中、エレナは少し離れたところで資料を整理していた。
子どもたちは、初めて見る王宮に緊張しているらしい。
大人たちの話が続くにつれ、少しずつ落ち着かなくなっていく。
そんな中。
「……疲れたか?」
低い声がした。
エレナが顔を上げる。
アレクシスだった。
いつもの執務中と変わらない、整った表情。
けれど、その視線の先にいるのは書類ではない。
一人の小さな女の子だった。
「……」
女の子はこくんと頷いた。
「そうか」
アレクシスは少し考えるようにしてから、女の子の目線に合わせるようにしゃがんだ。
「ここは少し長い話になる。外で待っていてもいい」
「……いいの?」
「ああ」
「怒られない?」
「私が許可した」
女の子が、ぱっと顔を明るくした。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「……お兄ちゃん?」
アレクシスが少し困った顔をする。
その様子がおかしくて、エレナは思わず小さく笑った。
いつもの彼なら、こんな表情はしない。
仕事中は厳しく、隙がなくて、近寄りがたい。
それなのに今は。
少し困ったような顔をしながら、子どもの話をきちんと聞いている。
「お兄ちゃん、お仕事してるの?」
「ああ」
「難しい?」
「難しいこともある」
「じゃあ、頑張ってね!」
「……ああ」
アレクシスが、ほんの少しだけ笑った。
それは、エレナが見たことのない笑顔だった。
柔らかくて。
優しくて。
どこか、嬉しそうで。
「……」
胸の奥が、ふわりと揺れた。
エレナは慌てて視線を資料へ戻した。
――今のは、何だったのだろう。
しばらくして、子どもたちが帰る時間になった。
「お兄ちゃん、また来てね!」
「ああ。元気でな」
アレクシスはそう答えた。
子どもたちが去っていく。
最後の一人が振り返り、小さな手を振る。
アレクシスも、静かに手を上げた。
その姿を見ていると。
「エレナ嬢」
「はい?」
突然、声をかけられた。
「さっきから何か言いたそうだが」
「えっ」
エレナは慌てる。
「いえ、その……」
何を言えばいいのか分からない。
けれど、気づけば口から言葉が出ていた。
「……お優しいんですね」
「……」
アレクシスが目を瞬く。
「子どもたちに、とても優しく接していらっしゃったので」
「そうか?」
「はい」
エレナは頷いた。
「少し意外でした」
「……意外?」
「申し訳ありません」
思わず苦笑する。
「普段は、とても厳しい方なので」
「……なるほど」
アレクシスは少し考えてから、ふっと笑った。
「君には、そう見えているのか」
「はい」
「では、覚えておく」
「何をですか?」
「少なくとも、君の前ではもう少し優しくした方がいいらしい」
「え……」
思わず顔が熱くなる。
「そ、そういう意味では……!」
慌てて言い直すエレナを見て、アレクシスはまた小さく笑った。
「分かっている」
「……」
その笑顔を見てしまう。
また、胸が跳ねた。
――困る。
最近、どうしてこんなに、この人のことが気になるのだろう。
仕事をしている姿を見ると、つい目で追ってしまう。
声が聞こえると、自然とそちらを見てしまう。
そして今のように、普段とは違う表情を見せられると。
もっと見たいと思ってしまう。
「……エレナ嬢?」
「はい?」
「どうかしたか?」
「いえ……」
エレナは小さく首を振った。
「何でもありません」
そう答えながら。
胸の奥に生まれた小さな気持ちを、まだ名前のないものとしてしまい込んだ。
けれどその夜。
ベッドに入ってからも、昼間の光景が何度も蘇った。
子どもと目線を合わせるアレクシス。
少し困ったような表情。
そして、柔らかい笑顔。
「……知らなかった」
ぽつりと呟く。
自分は、彼のことを何も知らない。
仕事の顔しか、知らなかった。
家族のことも。
好きなものも。
どんな時に笑うのかも。
――もっと、知りたい。
そう思った瞬間。
エレナは胸元に手を当てた。
「……どうして、こんなに気になるんだろう」
答えは、まだ見つからなかった。




