第12話 それ、恋だろ
休日が明けた月曜日。
アレクシスは、いつもと変わらない時間に登庁した。
いつもと変わらない身支度。
いつもと変わらない表情。
いつもと変わらない歩調。
――ただ一つだけ。
以前より、王宮へ向かう足取りが軽かった。
理由は分かっている。
今日も、彼女に会える。
そう思うだけで、自然と気持ちが浮き立つのだ。
しかし。
「おはようございます、局長」
「……おはよう」
執務室に入ったエレナが、いつものように頭を下げる。
たったそれだけのことなのに。
「……」
アレクシスは一瞬、返事をするのが遅れた。
「局長?」
「いや。何でもない」
――まただ。
以前なら、こんなことはなかった。
普通に話せていた。
それなのに、好きだと自覚してからというもの、彼女を前にすると妙に意識してしまう。
視線を向ければ気になる。
声を聞けば嬉しくなる。
近くを通れば、つい目で追ってしまう。
そして。
他の男と話していれば、面白くない。
……我ながら、分かりやすい。
そう思っていたところへ。
「おや?」
聞き覚えのある声がした。
「ずいぶん難しい顔をしているな」
「……お前か」
執務室の入口に立っていたのは、アレクシスの学院時代からの友人ルーカスだった。
この男は社交的で人付き合いが上手く、恋愛にもそれなりに経験がある。何より、アレクシスに対してだけは昔から遠慮がない。
「久しぶりだな。相変わらず忙しそうだ」
「見ての通りだ」
「相変わらず愛想がない」
「余計なお世話だ」
ルーカスは笑いながら、空いている椅子に腰を下ろした。
彼は王宮の別部署に勤めているが、今日は用事でこちらへ来たらしい。
「それにしても、お前がずいぶん機嫌がよさそうなのは珍しいな」
「そうか?」
「ああ」
「気のせいだ」
「ふうん」
ルーカスはアレクシスをじっと見る。
そして、ふと視線を動かした。
その先には、書類を整理しているエレナがいる。
「……なるほど」
「何がだ」
「いや」
ルーカスは意味ありげに笑った。
「何でもない」
アレクシスは眉を寄せた。
嫌な予感がする。
「ところで」
ルーカスが声を潜めた。
「最近、気になる女性でもできたか?」
「……っ」
アレクシスの手が止まった。
「なぜそう思う」
「分かりやすいから」
「……」
姉にも同じことを言われた。
なぜだ。
自分は仕事に支障を出しているわけではない。
判断を誤ったこともない。
今日だって、朝から決裁書類を十数件処理している。
何も問題はないはずだ。
「お前、昔から仕事に関しては完璧だからな」
ルーカスは苦笑した。
「だからこそ、仕事以外のところが分かりやすいんだよ」
「……どういう意味だ」
「さっきから、あの女性を目で追っている」
「……」
アレクシスは反射的にエレナを見る。
ちょうど彼女が別の職員に書類を渡しているところだった。
そして、そのまま小さく笑った。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥が、わずかに温かくなる。
「ほら」
「……何がだ」
「今も見てただろ」
「……」
言い返せない。
ルーカスは、とうとう笑いを堪えきれなくなった。
「お前、それは恋だろ」
「……」
「違うのか?」
「……いや」
アレクシスは少しだけ考えた。
そして、静かに答えた。
「……そうなのだと思う」
口に出すと、不思議なくらい納得できた。
好きなのだ。
エレナが。
仕事をしている姿も。
時折見せる柔らかな笑顔も。
さりげなく気遣ってくれるところも。
可愛いものを前にしたとき、少しだけ楽しそうになるところも。
もっと知りたいと思う。
もっと話したいと思う。
できることなら、自分のことも知ってほしい。
そして――
誰か別の男の隣で、あんなふうに笑ってほしくない。
そこまで考えて、アレクシスは小さく息を吐いた。
「……重症だな」
「何?」
「いや。こちらの話だ」
友人は呆れたように笑った。
「お前、本当に恋愛になると駄目だな」
「……否定できない」
「まあ、仕事では相変わらず完璧だからいいけどな」
その言葉に、アレクシスは少しだけ胸を張った。
「当然だ」
「そこだけは自信あるんだな」
友人が笑う。
そのとき。
「局長、こちらの書類ですが――」
エレナが近づいてきた。
「……ああ」
アレクシスは顔を上げる。
目が合った。
「どうかなさいましたか?」
「いや」
――可愛い。
また思った。
「……問題ない。確認しておこう」
「はい。お願いいたします」
エレナは微笑んで、自分の席へ戻っていく。
その背中を見送ったあと。
「……」
「……」
ルーカスとアレクシスの間に、妙な沈黙が落ちた。
「お前」
「何だ」
「今、ものすごく嬉しそうな顔してたぞ」
「……していない」
「してた」
「していない」
「してた」
「……仕事に戻れ」
「はいはい」
ルーカスは笑いながら立ち上がった。
そして扉へ向かいながら、振り返る。
「頑張れよ、恋する局長殿」
「……余計なことを言うな」
扉が閉まる。
一人になったアレクシスは、深く息を吐いた。
だが、その口元には。
ほんのわずかに、笑みが浮かんでいた。
――好きだ。
そう自覚してから。
彼女のことを考える時間は、ますます増えていた。




