セルフフォトで――「私の印を、残してもいいですか」
「次、行きましょう」
奈緒が指した先では、夜の明かりに包まれたメリーゴーラウンドが回っていた。
観覧車を降りた時点で、美咲はすでに黒いレザーショーツ姿だった。濡れたスカートは奈緒のバッグに収められ、隠すための服はほかにない。
「奈緒ちゃん、少し休まない?」
「あれに乗ったら休めますよ」
奈緒が選んだのは、一人ずつ乗る馬ではなく、二人で腰掛けられる大きな白馬だった。
先に乗った美咲が前へ座り、奈緒がその後ろへ腰を下ろす。美咲が少しでも間を空けようとすると、奈緒は背後から腰へ両腕を回した。
「ちゃんと座ってください」
「座ってるわよ」
「離れたら危ないですよ」
奈緒はそう言って、美咲を自分の身体へ深く引き寄せた。安全を気遣う言葉とは反対に、その腕は美咲が逃げられないよう腰を固定していた。
音楽が鳴り、白馬がゆっくりと動き始める。
最初の上下動が黒革のショートパンツ越しに伝わった瞬間、美咲は支柱を握る指へ力を込めた。
白馬が上がり、少し遅れて下がる。規則的な動きのたびに、身体の中心へ同じ刺激が繰り返し届く。姿勢を変えようとしても、前には支柱があり、後ろからは奈緒の腕に腰を抱かれている。
「奈緒ちゃん、少し離れて」
「だめです。危ないですから」
奈緒の着衣越しの胸が美咲の背中へ触れ、白馬が動くたびに密着の強さが変わる。首筋へ顔を寄せられ、吐息が肌へかかった。
周囲には家族連れや恋人たちがいる。誰にも二人の事情など分からない。それでも美咲には、自分の赤くなった顔も、不自然に浅い呼吸も、すべて見られているように思えた。
「先輩、力を抜いてください」
「無理よ……」
「私に寄りかかっていれば大丈夫です」
奈緒は大きな動きを加えなかった。ただ美咲の腰を抱き、耳元へ優しい言葉を落としながら、白馬の上下動が美咲の平静を奪っていくのを見守っていた。
美咲が姿勢を保とうとするほど、身体は奈緒の腕の中へ深く預けられていく。やがて支柱を握る力さえ弱まり、美咲は背中を奈緒の胸へつけたまま目を閉じた。
音楽が終わり、白馬の動きがゆっくりと止まる。
奈緒が先に地面へ降りた。美咲も続こうとしたが、足へ十分な力が入らない。馬から降りた途端、奈緒の肩へぐったりと寄りかかった。
奈緒はそんな美咲を正面から受け止め、そのまま腰へ両腕を回した。
「先輩、ちゃんと脚を閉じて」
耳元で言われ、美咲は慌てて膝を寄せた。
奈緒は美咲の顔を覗き込み、楽しそうに笑う。
「ちょっと顔が赤いなあ」
「揺れたからよ」
「メリーゴーラウンド、そんなに怖かったですか?」
答えを待つことなく、奈緒は抱擁を緩めた。けれど離れはせず、美咲の腕へ自分の腕を絡める。
歩き出そうとした美咲の膝が、わずかに揺れた。
「あっ……」
すぐに奈緒の腕が腰へ回る。
「私が隣にいますから」
そう言うと、奈緒は美咲をさらに強く抱き寄せた。
柔らかな胸の感触が、美咲の身体へ押しつけられる。顔を背けようとしても、奈緒は逃がすまいとするように間近から美咲を見つめていた。
「本当に、顔が赤いですね」
「だから、揺れたせいだって……」
美咲は視線を落とした。
園内の照明を反射し、黒いレザーショーツが鈍く光っている。スカートがないため、少し歩くだけでも腰から脚の付け根までを周囲へさらしているように感じられた。
すれ違う人の姿が目に入るたび、美咲は無意識に脚を寄せる。
奈緒は美咲を守るように腰を抱いている。けれど、その密着した姿勢のせいで、かえって二人へ視線が集まっているようにも思えた。
「奈緒ちゃん……少し休ませて」
「まだ足に力が入らないんですか?」
耳元で確かめられ、美咲は小さくうなずいた。
「少し休めば戻るから」
「それなら、ちょうどいいところがあります」
奈緒が明るい声を上げ、進行方向を変えた。
「待って。どこへ行くの?」
腰を抱かれたまま、美咲もそちらへ向かされる。
奈緒が指した先には、セルフフォトスタジオの看板があった。明るく照らされた入口の奥に、カーテンで仕切られた撮影ブースがいくつも並んでいる。
「奈緒ちゃん、まさか写真を撮るつもりじゃ……」
「中なら座れますよ。人目も気になりません」
奈緒は質問に答えず、楽しそうに美咲の腕を引いた。
「ほら、先輩。行きましょう」
帰りたいと言い出す間もなく、美咲は黒いレザーショーツ姿のまま、奈緒に連れられて写真ブースの入口をくぐった。
小さな受付で手続きを済ませ、二人で画面を操作して照明と背景を選ぶと、店員から撮影用のリモコンを渡された。
奈緒が選んだのは、黒に近い深い赤の背景だった。
ブースの入口は厚い布のカーテンで仕切られているだけだった。奈緒は先に中へ入り、美咲の手を引く。カーテンが閉じると、外のざわめきが遠ざかり、柔らかな照明の中に二人だけが残された。
「まずは普通に撮りましょうか」
奈緒はそう言ったが、美咲の横へ並ぶだけではなかった。
座った奈緒は、自分の前へ美咲を立たせると、その腰へ両腕を回した。背中から引き寄せられ、美咲の身体が奈緒の胸元へ密着する。
「奈緒ちゃん、近すぎない?」
「写真ですから。仲がいいほうが素敵です」
奈緒はさらに腕へ力を込めた。黒いレザーショーツに包まれた美咲の腰が、奈緒の腕の中へ収まる。
「先輩、少しだけ身体をこっちへ向けて」
奈緒の言葉に従って、美咲が上半身をひねる。頬が触れそうなところまで顔を寄せられ、そのまま一枚目のシャッターが切られた。
画面へ映し出された写真を見て、奈緒は嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり先輩、きれい」
「奈緒ちゃんの顔が近いから、緊張しているだけよ」
「その顔が好きなんです」
次は奈緒が立ち、美咲を椅子へ座らせた。
奈緒の指が顎へ添えられる。促されるまま顔を上げると、奈緒がすぐ近くから見下ろしていた。
「もう少し上を向いてください」
「こう?」
「はい。すごく素敵です」
顎に触れた指は、シャッターが切られたあとも離れなかった。
奈緒は美咲の表情を確かめるように見つめ、それから親指で頬をそっとなぞる。美咲が身じろぎすると、その動きを止めるように、もう片方の手が肩へ置かれた。
「動かないで。もう一枚だけ」
口調は優しい。それなのに、美咲の姿勢も顔の角度も、すべて奈緒に決められていた。
次の写真では、奈緒が美咲の背後へ回った。
腕を腰へ巻きつけ、肩越しに顔を寄せる。奈緒の頬が髪へ触れ、鼻先がうなじへ近づいた。
「先輩って、こんな匂いなんですね」
「急に何を言ってるの」
「ずっと近くで確かめてみたかったんです」
奈緒がゆっくりと息を吸う。
くすぐったさに首をすくめた美咲を、奈緒は逃がさないように抱き締めた。そのままリモコンを持った手だけを前へ伸ばし、シャッターを切る。
撮影された一枚には、美咲を背後から抱き込む奈緒と、その腕の中で頬を赤くした美咲が映っていた。
「先輩、かわいい」
「奈緒ちゃん、さっきからそればかり」
「だって、今の先輩を見られるのは私だけでしょう?」
奈緒は美咲の髪を片側へ払い、あらわになったうなじを見つめた。
「先輩、ここなら誰にも見えませんね」
「何をするつもり?」
「私の印を、残してもいいですか」
美咲は答えられず、腰へ回された奈緒の腕に指を重ねた。拒む代わりに、自分で髪を押さえて首をわずかに傾ける。
それを返事として受け取った奈緒は、美咲のうなじへ唇を押し当てた。
触れるだけのキスではなかった。柔らかな場所を選び、そこへ自分の存在を刻みつけるように、奈緒はしばらく唇を離さなかった。
美咲が小さく息を漏らす。奈緒の腕へ力がこもり、背中からさらに深く抱き込まれる。
そのまま奈緒がリモコンを押した。
シャッターの音が響いても、うなじに触れた唇は離れなかった。
やがて顔を上げた奈緒は、肌に残った赤い印を指先でそっとなぞった。その目には、憧れてきた相手へ触れられた喜びと、誰にも渡したくないという思いが滲んでいた。
「きれいにつきました」
「奈緒ちゃん……」
「私が先輩につけた印です。消えるまでは、今日のことを忘れないでくださいね」
奈緒は髪を元へ戻し、印を丁寧に覆い隠した。
「これは、私たち以外には見せません」
画面には、美咲を背後から抱き、うなじへ唇を重ねる奈緒の姿が映っていた。
奈緒は美咲の正面へ回ると、腰へ手を置いた。身体の線を確かめるように、ゆっくりと両手を滑らせる。美咲の呼吸が浅くなるのを見て、奈緒は動きを止めた。
「……やめますか?」
美咲は奈緒を見つめたまま、小さく首を振った。
「ううん」
奈緒の顔に、隠しきれない喜びが浮かんだ。
「ありがとうございます、先輩」
腰を抱く手に、再び力がこもる。美咲もためらいながら奈緒の背中へ腕を回した。
画面の隅で、最後のカウントダウンが始まった。
「先輩、こっちを向いて」
美咲が顔を向けると、奈緒の手が頬へ触れた。
「奈緒ちゃ――」
呼びかけは、重なった唇に遮られた。
驚いて目を見開いた美咲を、奈緒は腰を抱いたまま逃がさない。けれど美咲も離れようとはしなかった。奈緒の背中へ回した腕に、無意識のうちに力が入る。
シャッターの音が、狭いブースの中へ響いた。
唇が離れたあとも、二人はしばらく同じ距離で見つめ合っていた。
「……今のも、撮ったの?」
「最後の一枚です」
奈緒は満足そうに笑い、美咲の手を引いて画面の前へ連れていった。
最後に表示された写真を見て、美咲は何も言えなくなった。
そこに映っていたのは、恋人同士の口づけというより、支配する者と、それを喜んで受け入れる者の姿だった。
奈緒の腕は、美咲を自分のものだと示すように腰を捉えている。その腕の中で、美咲は抗う気配もなく身体を預け、目を閉じて唇を受け入れていた。
頬に浮かんでいるのは、恥じらいだけではない。奈緒に委ね、支配されることに酔った者だけが見せる、甘くほどけた表情だった。
奈緒はその写真を選び、二人のスマートフォンへ共有した。
「これは、二人だけの秘密です」
奈緒はそう囁き、美咲の手を握った。
カーテンを開けると、園内には夜の明かりが灯り始めていた。奈緒は何事もなかったように美咲の腕へ自分の腕を絡める。
二人は腕を組んだまま、夜のゲートをくぐった。




