翌日の朝――泣いていた後輩を、抱きしめただけのはずでした
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
昨夜、美咲のベッドで眠った奈緒は、目を覚ますと寝室を出た。
シャワーのあとに借りた、美咲のゆったりとしたTシャツとショーツのまま。
リビングでは、美咲がソファで眠っていた。
奈緒が近づく気配に、美咲がゆっくりと目を開けた。
「奈緒ちゃん……起きた?」
「はい」
美咲はTシャツにショートパンツという格好のまま、ゆっくりと身体を起こした。
しばらくして、奈緒はソファに座ったまま俯いた。
「先輩……昨日、ごめんなさい」
美咲は奈緒の顔を見た。
「うん。大丈夫だよ」
「でも私……」
そこで奈緒の声が途切れた。
唇を噛んだと思った次の瞬間、目から涙がこぼれた。
「奈緒ちゃん」
美咲は奈緒の隣へ座った。
背中へ手を回し、ゆっくりとさする。
「大丈夫だから」
その言葉を聞いた途端、奈緒の肩が大きく震えた。
美咲は何も聞かず、そのまま奈緒を抱きしめた。
奈緒は美咲の胸元へ顔を埋めた。
薄いTシャツ越しに、豊かな胸の柔らかな感触が頬に伝わる。
奈緒は一瞬、息を止めた。
しばらく、奈緒はそのまま動かなかった。
美咲の腕の中で、少しずつ呼吸だけが落ち着いていく。
「先輩……」
「ん?」
「怖かったです……」
美咲は奈緒の背中を、ゆっくりと撫でた。
「うん」
奈緒は美咲の胸元へ、もう一度顔を押しつけた。
「先輩に嫌われたと思って……」
声が小さくなる。
「私、自暴自棄になって……」
「奈緒ちゃん……」
「どうでもいいって、思っちゃったんです。自分のこと」
美咲は何も言わず、奈緒を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「……ごめんなさい」
「大丈夫だよ」
美咲は奈緒の髪を撫でた。
その手に、奈緒がそっと自分の手を重ねた。
奈緒は、美咲の手を離さなかった。
髪を撫でていた手を、そのまま両手で包む。
「奈緒ちゃん?」
奈緒がゆっくり顔を上げた。
泣いたあとの目で、美咲を見つめる。
「先輩……私のこと、嫌いになりました?」
「なるわけないでしょ」
美咲は迷わず答えた。
奈緒の指に、少しだけ力が入った。
「嬉しい… じゃあ……」
言いかけて、奈緒は黙った。
そして美咲の肩へ、もう一度額を寄せた。
奈緒の手が、美咲の背中へ回った。
抱き返されたのだと思い、美咲もそのまま奈緒の背中を撫でる。
けれど奈緒は離れなかった。
背中に回した手が、ゆっくりと動き始めた。
指先で、美咲の背中の線を確かめるように辿っていく。
肩甲骨の際をなぞり、背骨に沿ってゆっくりと下り、また戻る。
同じところをもう一度、今度は少しだけゆっくりと。
美咲の背中が、わずかに強張った。
奈緒の指が止まる。
やがて指先は背骨を離れ、腰のくびれへと滑っていった。
そこからさらに下へ。身体の線を確かめるように、ゆっくりと這っていく。
まるで意思を持った小さな生き物のように、止まり、進み、またわずかに方向を変える。
「……っ」
美咲の喉から、小さな声が漏れた。
指は腰のくびれをゆっくりと横へ辿り、今度は脇腹へ向かって戻っていく。
触れているのか、離れかけているのか分からないほどの軽さで、同じ場所には留まらない。
美咲の呼吸が浅くなり、指の動きに身体が反応する。
「……ん」
また、小さく声が漏れた。
美咲はそれを押し殺すように唇を閉じた。
指が動けば息が揺れ、止まれば身体まで次を待つ。まるで奈緒の指先に、身体の反応まで握られてしまったようだった。
「奈緒ちゃん……?」
奈緒がゆっくり顔を上げた。
泣いていたはずの目が、まっすぐ美咲を見ていた。
その視線に、美咲の胸がざわついた。
「……奈緒ちゃん、だめだよ」
美咲は静かに言った。
奈緒は、それでもすぐには離れなかった。
「……嫌ですか?」
「そういうことじゃなくて」
美咲は困ったように奈緒を見る。
「昨日の今日でしょう。今は、こういうことしちゃだめ」
奈緒は俯いた。
「やっぱり私じゃ、だめなんですね」
「奈緒ちゃん……」
また涙が落ちた。
美咲が思わず頬へ手を伸ばす。
奈緒はその手に頬を預けた。
そして、目を閉じた。
美咲は、そのまま奈緒の頬を包んでいた。
「奈緒ちゃん……」
奈緒が目を開ける。
「先輩」
声はまだ涙で濡れていた。
次の瞬間、奈緒の唇が美咲を求めるように近づいた。
美咲は反射的に身体を引いた。
「ごめん。これ以上は、だめ」
今度は美咲も目を逸らさなかった。
奈緒はしばらく美咲を見つめ、それから小さくうなずいた。
二人の間に距離が戻る。
美咲は胸元へ手を置き、呼吸を整えた。
止められたことには安堵している。
けれど、それだけではなかった。
もし、もう少し遅かったら。
そう考えた瞬間、美咲はその先を考えるのをやめた。
奈緒を恋人として選ぶつもりはない。
玲奈への気持ちも変わっていない。
それでも――奈緒に何も感じないとは、もう言えなかった。
奈緒は何も言わず、美咲を見ていた。
その表情にはまだ涙の跡が残っている。
けれど、その奥に生まれた小さな確信を、美咲は知らなかった。
自分には、まだ入り込める場所がある。
奈緒は、それを知ってしまった。




