玲奈への告白――「もっと自分の奥まで、知ってほしいんです」
仕事を終えたあと、美咲は一人で玲奈の店へ向かった。
店の前まで来てから、少しだけ足が止まる。
美咲は小さく息を吐いて、扉を開けた。
店内は、外の明るさから切り離されたように少し暗かった。
やわらかな照明がカウンターと棚の輪郭だけを浮かび上がらせ、静かな音楽が低く流れている。
ほのかに香る甘い香りも、磨かれたカウンターの艶も、以前来たときと変わらない。
「美咲さん」
すぐに玲奈の声がした。
その声を聞いた瞬間、胸が小さく跳ねる。
美咲は声の方へ顔を向けた。
カウンターの向こうに立つ玲奈は、今日も変わらず綺麗だった。
すっと伸びた姿勢。整った顔立ち。落ち着いた微笑み。
何度会っても、こうして目の前にすると少しだけ緊張する。
「玲奈さん。今日は……ちょっと話、聞いていただきたくて」
玲奈は美咲の表情を見て、やわらかく頷いた。
「いいですよ。座りましょうか」
二人でカウンターに並んで腰を下ろす。
玲奈が、美咲へ視線を向けた。
「何にします?」
「ジントニック、お願いします」
玲奈も自分の分を頼む。
ほどなくして、美咲の前に細身のグラスが置かれた。
氷の隙間を細かな泡が上っていく。
美咲はひと口飲んだ。
すっきりした苦みと柑橘の香りが広がって、少しだけ肩の力が抜ける。
玲奈もグラスに口をつけてから、美咲を見る。
「それで。今日は、どうしたんです?」
美咲は少しだけ迷ってから、玲奈を見た。
「その前に……この間は、ありがとうございました」
「デッサンのこと?」
「はい」
美咲は小さく笑った。
「最初は、どうなるかと思いましたけど……行ってよかったです」
玲奈も少し笑う。
「それならよかった」
「玲奈さんが、ずっといてくれたのも……嬉しかったです」
玲奈は何も言わず、やわらかく美咲を見る。
その視線を受けて、美咲は少しだけ目を伏せた。
「それから、ちょっと考えるようになったんです」
玲奈は黙って続きを待つ。
「私、なんであんなに恥ずかしかったのに、嫌じゃなかったんだろうって」
少し間を置いて、美咲は苦笑した。
「というか……嫌じゃないどころか、たぶん、かなり……」
そこまで言って、言葉を濁す。
玲奈は急かさない。
美咲は頬が熱くなるのを感じながら、小さく息を吐いた。
「……最初のときも、そうだったなって」
「最初?」
玲奈が少し首を傾ける。
美咲は小さく頷いた。
「初めて玲奈さんに会った時です」
玲奈の表情が、ほんの少しやわらいだ。
「覚えてますよ」
「私、あのとき……玲奈さんがすごく綺麗で」
言ってから、美咲は少し照れたように笑った。
「なんていうか、見てるだけで緊張するっていうか……」
玲奈は何も言わず、美咲の続きを待った。
美咲はグラスを少し傾けた。
「それで……たぶん、玲奈さんに見てもらいたかったんだと思います」
自分でも少し驚いたように、目を伏せる。
「その時は、そんなふうに思ってるなんて全然分かってなかったんですけど」
玲奈は静かに美咲を見る。
美咲は頬を赤くしたまま、小さく笑った。
「だって私、自分から聞いたんですよね」
少し間が空く。
「……見えてますか、って」
美咲は少しだけ玲奈の方を見た。
「玲奈さん、あの時……変だと思わなかったんですか?」
「変?」
「だって、初対面であんなこと聞く人、普通いないですよね」
自分で言って、また少し恥ずかしくなる。
「変な人だな、とか……そういうふうに思われても仕方なかったのに」
玲奈は少し考えるようにしてから、静かに首を振った。
「変だとは思わなかったですよ」
美咲は玲奈を見る。
「むしろ……自分に正直な人なんだなって思いました」
「正直……?」
「恥ずかしいのに、それでも聞いてみようって思ったんでしょう?」
美咲は言葉に詰まった。
玲奈は続ける。
「ちょっと勇気を出して、一歩踏み出したように見えました」
美咲は、玲奈を見たまま一瞬言葉を失った。
「……そんなふうに、思ってくれてたんですか」
声が、少し震えた。
玲奈が静かに頷く。
美咲は目を伏せ、小さく笑った。
「……すごく、嬉しいです」
少しして、美咲は気持ちを切り替えるように口を開いた。
「奈緒ちゃん、最初にここに来たときに、その……話してたと思うんですけど」
玲奈が小さく頷く。
「奈緒ちゃんにせがまれて、あの水着でヨガみたいなことやったんですよ」
美咲は少しだけ照れたように笑った。
「最初は、そんなに深く考えてなくて。奈緒ちゃんも見たがってたし、先生も興味あるって言ってたから」
美咲はグラスに目を落とした。
「でも、終わったあとに、脱いだ水着のボトムを見たら……」
そこで少し言葉が止まる。
「私、あんなに反応してたんだって分かって……」
美咲は少しだけ唇を噛んだ。
「多分、奈緒ちゃん……それ、気付いてたみたいで」
少し間を置く。
「それで、そのあと奈緒ちゃんに、テーマパークに遊びに行こうって誘われたんです」
玲奈が静かに美咲を見る。
美咲は少し苦笑した。
「テーマパークに行って、私、観覧車でお漏らししちゃったんです」
「いや……今思うと、させられたっていうか」
「させられた?」
「乗る前に、お手洗い行きたいって言ったんです。でも奈緒ちゃん、時間ないからって……そのまま観覧車に乗ることになって」
美咲はグラスに目を落とした。
「途中からもう我慢できなくなって……奈緒ちゃんに、我慢しなくていいって言われて」
少し間を置く。
「結局、お漏らしした後の処理も、あそこ拭いてくれたり、着替えとか全部やってくれちゃって」
美咲は少し困ったように笑った。
「私、本当に言われるままだったんです」
ふと、美咲の表情が止まる。
「……そういえば」
玲奈が美咲を見る。
「奈緒ちゃん、替えの黒いショートパンツ、持ってたんですよ」
自分で口にしてから、美咲は少し眉を寄せた。
「おかしいですよね。そんなの、普通持っていかないですよね」
「……もしかして、最初から」
そこまで言って、美咲は苦笑した。
「私、今まで気づいてなかった」
少しして、美咲はグラスに目を落とした。
「でも……あの時、奈緒ちゃんに全部任せて、自分で何も考えなくてよくなったの」
小さく息を吐く。
「すごく、気持ちよかったんです」
「そのあと、奈緒ちゃんに連れられて、ホテルで知らない女の人の前に裸を晒したことがあって」
美咲は少し言いにくそうに続けた。
「そこで、奈緒ちゃんに“ペット”みたいに扱われたんです」
玲奈は黙って聞いている。
「その人が、私に触っていいかを、私じゃなくて奈緒ちゃんに聞いて」
少し間を置く。
「奈緒ちゃんが、いいですよって答えたんです」
美咲はそこで、わずかに息を止めた。
「その瞬間……私、奈緒ちゃんのものなんだって思って」
目を伏せる。
「それが、ぞくっとするくらい気持ちよかったんです」
玲奈は少しだけ目を細めた。
「……そうだったんですね」
否定も驚きもせず、ただ静かに受け止める。
「で、この前……奈緒ちゃんが、私のことを自分の所有物みたいに思ってるんだって、分かっちゃったきっかけがあって」
玲奈が少しだけ表情を変える。
「きっかけ?」
「ナイトプールに一緒に行った時なんですけど……」
美咲はグラスに目を落とした。
「そこで男の人と知り合って。奈緒ちゃんも一緒だったんです」
少し間を置く。
「そのうちの一人と、だんだん距離が近くなって……」
「あとで奈緒ちゃんに聞いたら、その人に、私にスキンシップするように言ってたの、奈緒ちゃんだったんです」
玲奈は黙って聞いている。
「私が男の人とそうなるところを、見てみたかったんだって」
美咲は少し考えるように黙った。
「なのに……私が本気で反応してるのを見たら、奈緒ちゃん、泣いちゃって」
「泣いたんですか?」
「はい。嫌だったって。すごく嫌だったって」
美咲は小さく息を吐いた。
「それ聞いた時は、私もびっくりしたんですけど……」
少しして、玲奈を見る。
「でも、あとから考えたら……ああ、奈緒ちゃん、私のこと、本当に自分のものみたいに、奈緒ちゃんが興奮するためのものみたいに思ってるんだなって」
「そう考えると……前に奈緒ちゃんと一緒に、玲奈さんのところに水着を選びに行った時のことも、今ならちょっと分かる気がして」
玲奈が美咲を見る。
「私、玲奈さんにまた会えた時、すごく嬉しかったんですよね」
美咲は少し照れたように笑った。
「覚えててくれたのも嬉しかったし、似合うって言ってもらえたのも嬉しくて」
少し間を置く。
「奈緒ちゃん、その時ずっと、“私が選ぶ”とか、“私が着せる”とか言ってたでしょう」
玲奈が小さく頷く。
「今思うと……あれ、玲奈さんに張り合ってたんですね」
口にしてから、美咲は少し驚いたように笑った。
「私、全然気づいてなかった」
グラスに目を落とす。
「試着室に入ってからも、奈緒ちゃん、いつも以上に私の反応を引き出そうとしてた気がして」
少し考えてから続ける。
「でも私、あの時あんまり奈緒ちゃんの方に集中できてなかったんですよね」
美咲は玲奈を見る。
「たぶん……玲奈さんのこと、ずっと意識してたから」
玲奈は何も言わず、美咲の続きを待った。
「最初に会った時からそうだったけど、私、玲奈さんに見てもらったり、褒めてもらったりするのが……すごく嬉しかったんです」
美咲は少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「しかも、普通なら引かれても仕方ないようなことまで話してるのに、玲奈さん、一度も私のこと変だって言わないでしょう」
少しだけ笑う。
「むしろ、さっきみたいに……私が自分に正直だったって言ってくれて」
美咲はしばらく黙っていた。
「だからなのかな」
顔を上げる。
「私、玲奈さんには……もっと自分の奥まで、知ってほしいんです」
少し間を置いて、息を吐く。
「もっと、もっと深いところまで」
玲奈は、しばらく何も言わなかった。
美咲の言葉を、そのまま受け止めるように見つめている。
やがて、静かに口を開いた。
「いいんじゃないですか」
美咲が玲奈を見る。
玲奈は続ける。
「無理に答えを決めなくてもいいと思います」
「好きなのか、嫌いなのか。どうしてそう感じるのか」
「少しずつ分かっていけばいいんじゃないですか」
美咲の目が、ゆっくり潤んでいく。
玲奈はそれに気づいても、言葉を止めなかった。
「美咲さんが、自分のことを知りたいって思ってるなら」
玲奈はまっすぐ美咲を見る。
「私も、一緒に見つけていきたいです」
美咲の目から、涙が落ちた。
「……玲奈さん」
一度こぼれると、もう止まらなかった。
美咲は慌てて目元を押さえる。
「ごめんなさい。なんか……」
声が続かない。
玲奈はすぐに美咲へ身体を寄せた。
「泣かないで」
そう言って、美咲をそっと抱き寄せる。
その瞬間、美咲の涙がさらに溢れた。
玲奈の胸元へ顔を埋める。
「……だめです。そんなこと言われたら、余計に……」
声が震える。
玲奈は何も言わず、美咲の背中をゆっくり撫でた。
美咲はもう堪えようとしなかった。
玲奈の胸に顔を埋めたまま、肩を震わせて泣いた。
*
入口の扉が開いた。
「ここなんだ」
隣で友人が小さく声を上げる。
奈緒は返事をしかけて、店の奥を見た。
カウンターの近くに、女性が二人いる。
片方は玲奈だった。
その腕の中にいる女性の、肩まで落ちた髪と、今日会社で見たのと同じブラウスが目に入る。
奈緒の足が止まった。
美咲だった。
玲奈の胸元に顔を埋めている。
玲奈の手が、その背中をゆっくりと撫でていた。




