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第97章 古賀の日常

第97章 古賀の日常


六日町にある古賀副社長の邸宅の離れには、家族すらめったに入ることのない彼だけの聖域があった。


部屋の壁一面を埋め尽くすガラスケースには、整然と並べられた無数の模型プラモデルが静かに佇んでいる。精巧に塗られたNゲージやHOゲージの鉄道模型をはじめ、ボトルの中で帆を張るボトルシップ、往年の名車や最新EVのスケールモデル、緻密にディテールアップされた旅客機や戦闘機、そして大空を飛ばすための大型ラジコン機まで、ありとあらゆる「乗り物」の模型が所狭しと飾られていた。


南越急行の現場を泥臭く支え、やがて巨大グループの重工業・航空宇宙部門を統括する「南越重工業」の社長に就任した古賀にとって、模型づくりは単なる暇つぶしの趣味ではなかった。小さなパーツを一つひとつ切り出し、ヤスリをかけ、ミリ単位の誤差を調整しながら組み上げていくその作業こそが、彼のモノづくりに対する絶対的な情熱と精度の原点だったのだ。


「自分の趣味がそのまま仕事になるんだから、こんなに幸せな男はいないよな」


かつて山型鉄道に所属していた時や、破綻しかけた地方交通の現場を飛び回っていた頃も、古賀はどれほど多忙であっても、深夜にわずかな時間を見つけてはエアブラシを握り、模型の塗装に没頭していた。手の中で完成していく小さな世界は、常に彼にインスピレーションを与え、現場での問題解決のヒントをもたらしてくれた。


そして今、古賀は南越重工業のトップとして、文字通り「本物の世界」を動かしていた。


自社で開発する180km/h対応の超高速電車「NK2000系」や全自動AIバス、南越海運の巨大自動車船、南越エアラインズの超エコ大型旅客機「B7107」、さらには前人未到の超大型宇宙ステーション『グランド・ラビット』や、地球軌道上と新新形国際空港をダイレクトに結ぶ最新鋭宇宙シャトル『ラビット・シャトル』に至るまで、彼が指揮を執る対象は地球から宇宙空間へと広がっていた。


中でも、宇宙ステーション『グランド・ラビット』と地上を往復する『ラビット・シャトル』の建造プロジェクトにおいて、古賀の熱量は異次元の域に達していた。


新形臨海地区に新設された巨大な宇宙機ギガファクトリーには、毎日早朝からヘルメットをかぶった古賀の姿があった。


「おい、そこの耐熱セラミックタイルの目地! 0.5ミリ浮いているぞ! 大気圏再突入のときのプラズマ加熱を甘く見るな! 完璧に平滑を出せ!」


「主翼のチタン合金カウル、表面の歪みが微細に残っている! 流体解析の数値通りに仕上げないと、超音速領域で不要な振動が出るぞ! 磨き直せ!」


工場内に古賀の怒号にも似た熱い指導が響き渡る。


かつてプラモデルの塗装やパーツのチリ合わせ(隙間調整)にミリ単位でこだわってきた古賀の目は、ハイテクなAIセンサーや自動計測器すら凌駕する圧倒的な精度を誇っていた。機体のわずかな歪み、ボルトの締め付けトルクの微細なバラつき、塗装のムラに至るまで、彼が通りかかった場所の不備はすべて見破られた。


あまりの細かさと毎日の突撃視察に、現場の精鋭エンジニアや作業員たちは舌を巻きつつも、古賀の乗り物に対する狂気的なまでの愛と知識に感服し、必死についていった。


しかし、そんな古賀の暴走気味な熱量を見かねて、ある日、グループCEOである篠原賢人が臨海工場へやってきた。


重厚な宇宙シャトルの翼の下で、図面を広げて若い技師に身乗り出して指示を出していた古賀の背中に、篠原が呆れたような、だが温かい苦笑いを浮かべて声をかける。


「古賀さん。また朝から張り付いているんですか。そろそろ現場の技術者たちに任せなさい」


古賀は振り返り、照れくさそうに頭をかいた。


「いやぁ、篠原社長。任せてないわけじゃないんですよ。ただね、このシャトルの翼のライン、見てくださいよ。図面通りのR(曲率)が出た瞬間の美しさと言ったら……たまらんのですよ。プラモじゃなくて、本物の宇宙船でこれが実現できるなんて、見ているだけで飯が何杯でも食えますからね」


「気持ちは痛いほど分かりますが、あなたは今や南越重工業の社長であり、グループの重鎮です。経営の舵取りや国際交渉、宇宙庁との打ち合わせも詰まっているんですから、現場のチリ合わせまで自ら買い込んで体を出出がらしにしないでください。優秀な現場のスタッフたちを信頼して任せることも、トップの重要な仕事ですよ」


篠原の正論に、古賀は「うぐっ」と言葉を詰まらせ、参ったというように降参の手を上げた。


「わかりましたよ、篠原さん。現場の連中も俺が毎日来ると胃が痛くなるかもしれないしな……よし、視察は週二回に減らします」


「週二回でも多い気がしますが……まあ、古賀さんから現場を取り上げたら元気がなくなりますからね。そこまでは言いませんよ」


二人は顔を見合わせて笑い合った。


だが、どれほど多忙を極め、世界や宇宙を相手にスケールの大きな仕事をこなすようになっても、古賀の胸の奧には、ずっと大切に温め続けている「もう一つの夢」があった。


それは、自分の仕事が一区切りついた将来、自宅近くの広大な空き地に、自らの手で「巨大な乗り物模型博物館」を建設することだった。


今は南越重工業の経営と次々と舞い込む国家級・宇宙級の巨大プロジェクトに追われ、自らの手でじっくりと模型を組み立てる時間はほとんど取れなくなっていた。夜遅くに帰宅し、離れの部屋でコレクションを眺めながら一杯のウイスキーを飲むのが唯一の癒やしだった。


だからこそ、古賀は仕事の合間や、移動中の車内、出張先の飛行機の中など、ふとした隙間時間ができると、ノートを開いて「夢の博物館」の設計プランを練っていた。


(敷地は三千坪は欲しいな。中央には巨大なジオラマを配置する。1/87スケールで、かつての『なんたか』が走った北陸の雪景色から、今の六日町メガロポリス、さらには新新形国際空港と宇宙港までを一本の線路と道路で繋ぐんだ……)


古賀のノートには、細かな手書きのスケッチや間取り図がびっしりと書き込まれていた。


館内には、自身が半生をかけて収集した数千点のコレクションを展示するだけでなく、誰もが自由に模型を組み立てられる広大なワークショップ(作業場)を作る。そこには最高峰の工具やエアブース、3Dプリンターを完備し、地元の子供たちや若い鉄道ファン、モノづくりを目指す若者たちが一日中没頭できる環境を整えるのだ。


さらには、自分がこれまで手掛けてきた「本物の乗り物」の設計思想や、旧新形鉄工場の職人たちから受け継いだ技術の歴史、そして宇宙シャトルの構造模型までを展示し、未来のエンジニアたちを育てる拠点にしたいという想いもあった。


「古賀副社長、何をそんなに楽しそうに書いていらっしゃるんですか?」


移動中の社用車の中で、若い秘書が覗き込むように尋ねると、古賀は少年のような無邪気な笑顔を見せてノートを少しだけ開いて見せた。


「これかい? 俺の『老後の秘密基地』のプランさ。ここに自作の1/150スケール巨大ジオラマを作ってね、自社製のAI電車と超高速トラックを走らせるんだ。子どもたちが目を輝かせて見に来るような、最高の博物館にするつもりなんだよ」


「わあ、素晴らしいですね! でも、古賀副社長が作られるとなると、展示される模型の精度が凄すぎて、展示品というより本物の縮小版になりそうですね」


「ハハハ! それが模型の醍醐味じゃないか。本物と同じ情熱を注ぐからこそ、小さな模型にも魂が宿るんだ」


古賀の夢は、単なる老後の道楽にとどまらなかった。


彼にとって、目の前の巨大な宇宙シャトルを造ることも、ノートの上に思い描く小さな博物館のジオラマを作ることも、すべて根底では一つに繋がっていた。


乗り物への圧倒的な愛と、モノづくりへの飽くなき情熱。


それがある限り、古賀の指先からは、世界を驚かせる本物の機械も、人々の心をワクワクさせる小さな模型も、無限に生み出され続けていくのだった。


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