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第8章 AIバブルの咆哮

第8章 AIバブルの咆哮


2026年。世界経済の動脈を揺るがす地鳴りは、太平洋を隔てたシリコンバレーから始まった。


「AIの進化に、データセンターの記憶容量が追いつかない」


その一言が世界中のIT巨頭たちをパニックに陥れた。生成AIがテキストから高精細な動画、さらにはリアルタイムの複雑な物理シミュレーションまでを秒単位でこなす時代に突入し、全世界のデータセンターで「NAND型フラッシュメモリの超深刻な枯渇」が発生したのだ。


買い漁られたのは、高層積層技術で世界をリードするキオクシェアの製品だった。


「……篠原、これは一体何が起きているんだ?」


翌朝、青ざめた顔で財務課に駆け込んできた長谷川専務の目に飛び込んできたのは、見たこともない異常な株価チャートだった。


前夜の米国市場での熱狂を引き継ぎ、東京証券取引所が開場すると同時にキオクシェア(285A)の株価は買い注文が殺到。寄り付きから値つかずのまま気配値を切り上げ、連日のストップ高を連発した。


1,455円の公募価格近辺を這いずり回っていた株価は、一瞬で3,000円を突破し、5,000円、10,000円へと垂直登坂を始めた。


「言ったはずです」


篠原は静かにコーヒーを一口すすり、画面を見つめた。その瞳には、すべてを予見していた者の冷徹な光が宿っていた。


「需要の津波が来たと。世界中のハイテク企業が、自社のAIサービスを止容させないために、いくら金を積んででもキオクシェアのメモリを確保しようとしています。これは単なる買い注文ではありません。『生存を賭けた奪い合い』です」


かつて「35億円の含み損」を理由に渡辺社長の解任と株式の売却を迫っていた新形県庁や自治体の幹部たちは、手のひらを返したように沈黙した。


含み損は一瞬にして消え去り、南越急行が保有する約1,443万株の評価額は膨れ上がっていく。


投資額:210億円。


それが、株価10,000円で約1,440億円へ。

株価30,000円で約4,330億円へ。


「おいおい……正気かよ……」


総務課の出向組チーフ・佐藤は、端末に表示される含み益の数字を二度見し、思わず膝をガクガクと震わせた。

かつて辞表を叩きつけ、監査請求を盾に反乱を起こしかけた自分が、歴史的な怪物投資の当事者になっている現実に眩暈めまいを覚えていた。


「佐藤君、苦情対応の電話は鳴っているか?」長谷川が声をかける。


「い、いえ……」佐藤は引きつった笑みを浮かべた。「苦情の電話は一本も来なくなりました。代わりに……『南越急行の株を買いたいのだがどこで上場しているのか』という勘違いの電話と、国内外のファンドや証券会社からの取材依頼が鳴り止みません……!」


狂乱は、そこからさらに加速した。


「テンバガー(10倍)」などという言葉は通過点に過ぎなかった。世界のAI投資は過熱を極め、キオクシェアの四半期決算は過去最高益を天文学的な数値で更新。市場では「世界のデータインフラの鍵を握るプラットフォーム」として狂乱的な買戻し(ショートスクイーズ)が巻き起こる。


50,000円……70,000円……100,000円。


株価の数字が跳ね上がるたび、六日町の本社ビル内には言葉にならない静寂と、恐ろしいほどの緊張感が漂った。


南越急行の保有資産の評価額は、1兆円の大台を軽々と突き破った。


「1兆円……」


渡辺社長は、自室のデスクで震える手で電卓を叩いていた。

かつて「なんたか」を失い、年間十数億円の赤字に苦しみ、自治体へ頭を下げて回っていた小さな第三セクター鉄道会社。それが今や、日本の上場企業の大半を凌駕する超巨大な金融資産を抱え込んでいるのだ。


「渡辺社長」


財務課からやってきた長谷川と篠原が、社長室のドアを開けた。


長谷川の顔は強ばっていた。「県知事から直接電話がありました。『もう十分すぎるほどの利益だ。今すぐ売却して、利益を確定させてくれ』と、泣きつかんばかりの声でした」


当然の要求だった。すでに含み益は1兆円を超えている。今すぐ売れば、南越急行は未来永劫、赤字に怯えることのない「日本一の富豪鉄道」として君臨できるのだ。


だが、篠原は首を横に振った。


「まだです」


「まだだと!?」長谷川が叫んだ。「篠原、1兆円だぞ! これ以上何を望むというんだ! バブルは必ず弾ける。天井で売ろうとする欲張りが、最後には破滅するんだぞ!」


「長谷川専務。これは『欲』ではありません。『市場の心理学』です」


篠原は冷然と言い放った。


「現在のAIバブルは、今まさに『狂熱の絶頂クライマックス』に向かっています。機関投資家たちのアルゴリズムが狂い、空売り勢の強制決済が巻き込まれ、理性を失った買いが買いを呼ぶラストワンマイル……それこそが、歴史的な最高値トップを作ります」


篠原は渡辺社長の目を真っ直ぐに見つめた。


「公務員や一般的な投資家は、上がっている最中に恐怖で手放してしまう。だが、我々は極限の頂点まで引きつけます。南越急行が手にするのは、単なる『延命資金』ではない。この国の構造すら変えうる『絶対的な力』です」


渡辺社長はゆっくりと立ち上がった。

かつて210億円の投資を決断した時のように、老社長の瞳には覚悟の炎が宿っていた。


「知事には私から伝えておこう。『現場の指揮官(篠原)が合図を出すまで、一株たりとも売らない』とな」


「社長……!」


吹雪の去った六日町の空に、狂気の太陽が昇り詰めていく。

株価はついに、前人未到の100,000円の壁を突き破り、さらなる高み——歴史的な大天井へと向かって咆哮を上げていた。

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