第53章 黄金の電波とガムテープのレンズ
第53章 黄金の電波とガムテープのレンズ
秋。
新形県新形市にある『新形テレビ20』の本社ビル。
かつて間引きされた蛍光灯で薄暗く、エアコンの設定温度も上げられ、資金ショートと破産宣告の恐怖におびえていたあのどん底の社屋は、いまや日本全国、そして世界中の放送業界関係者が息をのむ「映像コンテンツの聖地」へと完全な変貌を遂げていた。
かつてはキー局の通販番組やショッピングチャンネルを買い受けて流すことすら危ぶまれ、全国で最も小規模で貧弱なローカル民放局と揶揄されていた新形テレビ20。
それが今や、東京都内に君臨する在京大手民放キー局のどこよりも、天文学的な営業利益と純利益を叩き出す「日本一の収益力を誇る怪物テレビ局」として君臨していたのである。
その圧倒的な快進撃と高収益のエンジンとなっていたのは、自前で生み出される「圧倒的な映像コンテンツの力」であった。
南越急行ホールディングスから「報道の自由と編集権の完全独立(新形テレビ20憲章)」を保ったまま60億円の資本注入を受け、破綻の淵から奇跡の生還を果たした新形テレビ20。
その後、南越急行グループが誇る巨大インフラとエンターテインメント網が次々と花開いたことで、新形テレビ20には他局の追随を絶対に許さない「最強のキラーコンテンツ」が怒濤のように流れ込む仕組みが完成していたのだ。
第一の柱が、なんなん線沿線に建設された、北宝映画・米ユニバース・ピクチャーズ・南越急行の三社合弁による東洋一の映画制作拠点『南越グローバル・シネマ・スタジオ』であった。
世界最新鋭の8Kバーチャルプロダクションドームや広大なオープンロケセット、ハリウッド直結のVFXセンターから生み出されるのは、映画だけではない。ハリウッド作品級の制作費と圧倒的な映像クオリティを誇る超大型連続ドラマやSFサスペンス、特撮アクションが、新形テレビ20の独占企画・制作として次々と生み出されていたのである。
新形テレビ20が制作・放送するこれらの地上波ドラマは、一話ごとに世界中の配信プラットフォームへ高額でライセンス販売されるだけでなく、日本全国の民放キー局や地方局が一斉に「放送権を買わせてほしい」と群がり、莫大な番組販売(放映権)収入を新形テレビ20へもたらしていた。
そして第二の柱が、『北塚エンターテインメント』が誇る、夢の殿堂『北塚大劇場』の舞台コンテンツであった。
連日3,000席が超満員となる「北塚歌劇宴劇団(白雪組・光組)」の絢爛豪華なミュージカルやレビュー、男役スターたちの華やかな舞台。新形テレビ20は、劇場内に配備された自前の8K・12K超高精細カメラ網により、この生の舞台の熱気と感動を100%完璧に映像化する独占権利を掌握していた。
「北塚歌劇」の定期特別番組や千秋楽の生中継、アーカイブ番組は、全国のケーブルテレビや衛星放送、地方局へ向けて新形テレビ20から一括配給され、全国の熱狂的な歌劇ファンを呑み込み、計り知れない番組放映権料と配信収益を叩き出していたのである。
さらに——第三の爆発的エンジンとなったのが、先日映画化され、全世界で空前絶後の大ヒットを記録した超大型映画『Rescue Rabbit —孤島救出作戦—』の存在であった。
あの冬、猛烈な時化と暴風雪によって完全孤立した「粟島」と「飛島」の島民数百人を、南越急行が陸・海・空・医療の総力を挙げて救い出した奇跡の真実。
その救援劇を100億円の超巨額予算で映画化したメガヒット大作『Rescue Rabbit』において、新形テレビ20は自社でカメラを回したニュース取材の功績を認められ、北宝やユニバースとともに「地上波放映権・配給パートナー」として参画。
映画のヒットに伴う配給マージンや関連番組の収益に加え、同作の特番や独占放映権を自社で保持したことで、新形テレビ20の広告枠には国内外の超大手グローバル企業から「いくら金を払ってもいいからCM枠を売ってくれ!」と注文が殺到。
タイムCM、スポットCMの広告収入は、かつての在京キー局の全盛期すら軽々と抜き去る「途方もない天文学的な数字」へと跳ね上がっていたのである。
「——井上さん! 本産の特別提供枠のCM枠、15秒で数千万円の提示が入りましたが、これ以上差し込む枠がありません! どう調整しましょう!?」
「井上さん! 明日開幕する『北塚歌劇・白雪組公演』の千秋楽中継のカメラ配置図、最終チェックをお願いします! キー局各社から『追加のカメラ映像も配信枠で買いたい』と悲鳴が入っています!」
新形テレビ20本社ビル5階の巨大な「映像報道・撮影統括デスク」。
怒濤のように飛び交う指示と電話のベル音の中、テキパキと指示を出し、巨大モニター群の前に立っていたのは、一人の男であった。
井上(30代半ば)。
かつて、新形テレビ20が倒産寸前・資金ショートの暗闇の中にあった頃、壊れかけた古い取材カメラのズームモーターが滑るのを、ガムテープでグルグル巻きに補修しながら、ベテラン記者の高橋とともに現場へ駆け回っていた、あの若いカメラマンの井上であった。
十数年の歳月が流れた今、かつての若手カメラマン・井上は、数々の現場をくぐり抜けた揺るぎない腕と審美眼を持つ「超ベテランカメラマン」へと成長を遂げていた。
それだけではない。現在の井上の肩書は、新形テレビ20の『撮影技術部最高統括 兼 報道カメラマン統括デスク』。
『南越グローバル・シネマ・スタジオ』で撮影されるハリウッド級ドラマや、映画のメイキング、そして『北塚大劇場』で展開される最高峰の舞台撮影において、レンズの角度、照明とのカット割り、演者の魅力を100%引き出すカメラワークの「絶対的第一人者」として、映画界や劇団からも指名が殺到するトップ技師となっていたのだ。
さらに井上は、事件事故、豪雪災害、台風、行政の監視、地域密着取材を前線で担う「報道カメラマンチーム」の全体を束ねる総責任者でもあった。
「デスク! ニュース20のカメラ班、新形港の南越海運コンテナターミナルへ向かいました! 新造船の着岸シーン、8Kドローンで押さえます!」
「よし、ドローン班は風速と港湾航空局への申請コードを二重確認しろ! 画面の横揺れは絶対に許さんぞ!『事実を正確に映す』のがうちのレンズだ!」
井上の声には、数多くの現場を仕切ってきたプロフェッショナルとしての圧倒的な風格と誇りが宿っていた。
だが——そんな殺人的な忙しさの中で、井上は時折、ふとした瞬間に自分の原点を思い出すことがあった。
スタジオの最新鋭12Kシネマカメラの黒いボディや、耐衝撃アルミケースに収められた最高級レンズ群を拭いている時。
ふと、自分の指先に残る「あの感触」が蘇るのだ。
今から十数年前、あの凍えそうな秋の日。
新形テレビ20は、完全に崩壊寸前だった。
スポンサーは相次いで撤退し、会社の銀行口座からは残高が消え去り、社員の給料すら遅配しかけていた。
当時、井上が手にしていた主力取材カメラは、長年の酷使によってズームモーターのギアが噛み合わなくなり、撮影中にレンズが勝手にずり落ちてしまうという悲惨な状態だった。
新しいカメラを買う予算など、1円すらなかった。
井上は、文房具棚から探してきた「黄色い粘着ガムテープ」を何重にもレンズの筒に巻き付け、手動で無理やり固定しながら、高橋記者とともに六日町にある南越急行ホールディングス本本社前へ向かったのだった。
他局の民放やMHKがピカピカの最新4Kカメラや中継車をズラリと並べ、若手カメラマンだった井上を嘲笑するように突き飛ばしてくる中、井上はガムテープが痛々しく巻かれたカメラを肩に担ぎ、ファインダーを覗き込んだ。
『すまん井上、機材がショボくて情けないな……』
高橋記者が申し訳なさそうに頭を下げた時、井上は笑って答えたのだ。
『関係ないですよ先輩! 画質の美しさやカメラの値段でニュースを作るんじゃない! 何が起きているのか、目の前の事実をそのまま撮るのが僕たちの仕事です!』
ガムテープで固定したレンズの向こうに見えたのは、ハゲタカを返り討ちにし、巨大JRを傘下に収め、冷徹でありながらも地域の人々の暮らしを守るために命がけで戦っていた、南越急行の渡辺会長、篠原賢人、長谷川専務たちの熱い瞳であった。
そして、あの夜。
南越急行の資金支援と、報道の自由を守る『新形テレビ20憲章』が締結され、会社が奇跡の生還を果たしたあの日。
渡辺会長や篠原賢人は、ガムテープが巻かれた井上の古いカメラを見て、笑うどころか深々と頭を下げて言ってくれたのだ。
『君たちがその古いカメラで、嘘偽りなく事実を追い続けてくれたからこそ、我々は自分たちの姿を正しく省みることができた。君たちのペンとカメラは、この新形の宝だ』
あの時の言葉、ガムテープのベタつく感触、そして悔しさと情熱が混ざり合った胸の熱さ。
井上は、統括デスクの引き出しの奥に、今でも大切に保管してある「一巻の古びたガムテープ」にそっと手を触れた。
「……あの日を忘れたら、おしまいだ」
井上は低く呟いた。
今、新形テレビ20には何百億円という莫大な収益が舞い込み、撮影現場には世界最高峰の12KカメラやAIドローン、全自動クレーンがズラリと揃っている。
だが、どれほど機材が豪華になり、世界中から称賛されようとも、カメラの向こうにある「真実と人間の情熱」を見つめるレンズの魂だけは、あのガムテープの時代と一ミリも変わってはならない。
井上は一人、引き出しを閉じると、気合を入れるように己の頬をパンと叩いた。
「よし……! 準備完了だ。北塚大劇場へ向かうぞ!」
その日の夕刻。なんなん線「シネマ・パーク前駅」直結の『北塚大劇場』。
大劇場の楽屋口から搬入口にかけては、新形テレビ20の大型中継車や最新鋭の映像伝送車がズラリと横付けされていた。
今夜行われるのは、北塚歌劇宴劇団「白雪組」のトップ男役・鳳月が主演を務める、超人気演目の特別生中継公演であった。
劇場内の2階客席中央に設置された、特設の撮影コントロールピット。
そこに陣取っていたのは、ヘッドセットを装着し、超高精細シネマカメラの前に立つ井上であった。
井上の両脇には、新形テレビ20が自前で育成した若いカメラマンやアシスタントたちが、緊張した面持ちで控えている。
「いいか、全員」
井上はマイクを通じて、全館に配置された16台のカメラ班へ向かって静かに、しかし熱い声を送った。
「北塚の舞台は、ただ綺麗に撮ればいいんじゃない。男役の一瞬の視線、指先のしなやかさ、娘役のステップの踏み込み、そして銀橋へ進み出た時のスターの『魂の汗』を捉えるんだ。舞台の上の乙女たちが命がけで稽古してきた成果を、レンズの向こうで観ている全国のお客様へ届けるのが、俺たちの使命だ!」
「はいっ!!」
若いカメラマンたちの威勢の良い返事がインカムに響く。
ブツンと場内の照明が落ち、3,000人の客席が息をのむ完全な静寂に包まれた。
オーケストラピットからの壮大な生演奏とともに、スポットライトが銀橋の中央を激しく照らし出す。
そこへ現れたのは、真白なタキシードを纏い、威風堂々と舞い降りたトップ男役・鳳月!
「清く、正しく、美しく——そして強く!」
鳳月の透き通ったハスキーボイスが響き渡ると同時に、井上は吸い付くようなスムーズな手つきでフォーカスリングを回し、ズームノッチを握りしめた。
画面いっぱいに映し出される、鳳月の瞳に宿る真剣な情熱と、額に光る一筋の美しい汗。
井上のカメラワークは、まさに「神業」であった。
舞台全体の引きの映像から、トップスターのアップ、そして手元や衣裳の躍動感に至るまで、カットが変わるたびに客席の感動と舞台の熱量が寸分違わぬリアルさで画面越しに伝わっていく。
生中継の映像は、新形テレビ20の自前送信網と衛星回線を通じて、即座に全国のTV局、ケーブル局、配信プラットフォームへ超高画質で一斉配給された。
全国のテレビの前で観ている数百万人、数十万人のファンたちが、その圧倒的な映像美と臨場感に歓声を上げ、涙を流した。
『新形テレビ20の北塚中継、映像が凄すぎる! まるで劇場の最前列で観ているみたいだ!』
『カメラワークが神がかっている! スターの表情の捉え方が完璧すぎる!』
SNSやネット上には、新形テレビ20の撮影技術に対する絶賛のコメントが溢れかえったのである。
無事に3時間の生中継公演が終了し、割れんばかりのスタンディングオベーションの中で幕が下りた。
撤収作業を指示し、機材の点検を終えた井上が、汗を拭いながら劇場のスカイラウンジへ向かうと、そこには懐かしい顔が待っていた。
今や新形テレビ20の取締役報道局長へと上り詰めたベテラン記者・高橋と、南越急行ホールディングスCEOの篠原賢人、専務の大石、副社長の古賀の三人であった。
「井上! 今夜の中継も完璧だったぞ!」
高橋局長が、嬉しそうに井上の肩を叩いた。
「全国の提携局から『新形テレビ20のカメラ映像は世界一だ』と感謝の電話が鳴り止まないよ。ガムテープでズームノッチを固定していたあの頃の青造が、今や日本中のカメラマンのトップなんだからな!」
古賀副社長も豪快に大笑いしながら、井上に温かいジャスミン茶(南越ビバレッジ)の缶を手渡した。
「ハハハ! 見ろよ篠原社長! 井上カメラマンの撮る映像は、昔から熱いんだ! 画面から現場の匂いが伝わってくるんだよ!」
大石専務もタブレットを閉じながら、珍しく満足そうに微笑んだ。
「新形テレビ20の今期事業収入ですが、海外へのコンテンツ輸出と国内番組販売の激増により、在京大手民放5社の合計利益すら上回る勢いです。我がグループ内でも最高クラスのROIを叩き出しています」
篠原賢人は温かいジャスミン茶を一口含み、穏やかな笑みを浮かべて井上を見つめた。
「井上さん。素晴らしい撮影でした。我がグループがどれほど巨大なインフラを築こうとも、それを正しく映し出し、感動として人々の心へ届けてくれるのは、あなた方のカメラと情熱なのです」
井上は深々と頭を下げた。
「篠原社長……高橋局長……ありがとうございます。僕は……あの日を忘れていません。倒産寸前で、ガムテープをカメラに巻いて取材していたあの日を。……あの時に篠原社長や渡辺前社長が『君たちのペンとカメラは宝だ』と言ってくださったから、今の僕があります」
井上は窓の外の美しい夜景を見つめた。
眼下に広がる『南越ワールド・シネマ・パーク』の光り輝くシネマドーム群と、なんなん線の複線軌道を滑らかに駆け抜けていく超高速AI電車「NK3500系」の光のライン。
そして、新形市内の街並みには、新形テレビ20の電波を受信し、笑顔でテレビやスマホの画面を楽しんでいる無数の家族たちの暖かい灯りが点いていた。
井上は力強く拳を握りしめた。
(孤軍奮闘……どこまでもやってやる。どんなに時代が変わっても、俺は現場のカメラマンだ。真実と感動を撮り続けるんだ!)
井上の胸の中に、あのガムテープの時代から一度も絶えることのない不滅の報道魂と撮影情熱が、どこまでも熱く、誇らしく燃え上がっていた。
2兆250億円という前代未聞の純利益から始まった、弱小第三セクター「南越急行」の奇跡の反撃劇。
不滅の情熱と地域の絆、そして「真実と感動を撮り続けるレンズの誇り」までも胸に刻んだ彼らの走るレールと電波は、鉄道、地銀、自動車、航空、港湾、建設、物流、報道、ホテル、食卓、豪雪防衛、百貨店、人生の信託、手厚き医療、未来の教育、創薬、名物飲料、地域の胃袋、伝統の米菓、映画、歌劇、極上の寿司、電子インフラ、孤島防衛、そして「日本一の黄金コンテンツ(新形テレビ20)」までも自前で繋ぎ合わせ、どこまでも、




