第45章 越後の米菓と世界のTSURUTA
第45章 越後の米菓と世界のTSURUTA
秋、越後平野は再び眩いばかりの黄金色に染まっていた。
南越急行ホールディングスが主導した『プロジェクト・ライスロード』と子会社「南越アグリ」のAIスマート農業により、新形県内の米の収穫量は過去最高を更新し続けていた。かつて後継者不足や耕作放棄地に悩んでいた農家たちは、高効率な自動化と適正価格での買い取りによって息を吹き返し、黄金の稲穂は新形全体の繁栄を象徴する景色となっていた。
しかし、その豊穣な米を原料として、長年新形から日本全国の食卓へ「伝統の味」を届けてきたある老舗企業が、時代の構造変化の波の前で密かに喘いでいた。
新形市に本社を置く、日本を代表する米菓・製菓メーカー『鶴田製菓』である。
「鶴田のおせんべい」「鶴田の柿の種」——。新形県民にとって、そして日本人にとって、鶴田製菓の米菓は子どもの頃から親しまれてきた国民的おやつであり、新形が世界に誇る「米の文化」そのものであった。独自の製法で香ばしく焼き上げられた米菓の数々は、長年にわたり圧倒的な国内シェアを誇ってきた。
だが、日本全体を覆う不可逆的な人口減少、そして急速な少子高齢化の影は、この巨木の足元をも静かに削り取っていた。
若年層の減少に伴う国内菓子市場の縮小、原材料費やエネルギー価格の激しい高騰、さらには大手外資系スナック菓子の台頭。鶴田製菓は長年、国内市場に過度に依存した経営を続けてきたため、国内の需要減退がそのまま売上の連続減少となって直撃していたのだ。不採算商品の整理や工場ラインの合理化を図ったものの、じわじわと滲み出るような赤字の沼から抜け出せず、財務状況は年々悪化の一途を辿っていた。
「——篠原社長、お時間をいただき感謝いたします」
六日町にある南越急行ホールディングス本社の最高階・超高層役員室。
そう言って頭を下げたのは、前年に越後中央銀行の頭取へと就任した中川であった。かつて小林頭取のもとで資金証券部長として頭角を現し、南越急行による地銀買収と「南越信託銀行」の設立を現場で支え抜いてきた生え抜きのバンカーである。
応接セットの革椅子には、CEOの篠原賢人、専務の大石、そして副社長の古賀が座っていた。
「中川頭取、改まってどうしたんだ?」古賀が温かいジャスミン茶を口に含みながら尋ねた。
中川頭取は、手に抱えていた一冊の厳重な融資査定レポートをテーブルの上に静かに置いた。その表紙に印字された社名を目にした瞬間、篠原の目元がかすかに動いた。
『鶴田製菓株式会社 財務格付け見直しおよび事業再生に関する緊急報告書』
「鶴田製菓か……」古賀が声を漏らした。「新形の誇る、あの鶴田製菓か。あそこも厳しかったのか」
中川頭取は苦渋の表情で頷き、レポートのページを開いた。
「はい。鶴田製菓様は我が越後中央銀行にとって、創業以来の最も重要なメインバンク取引先の一つです。しかし……直近の決算で三期連続の営業赤字を計上いたしました。国内の米菓市場の縮小と原材料高を吸収しきれず、長期借入金の返済負担が重くのしかかっています。このまま国内主力のビジネスモデルを放置すれば、数年以内に債務超過へ転落するおそれが非常に高いという査定結果が出ました」
中川頭取は、篠原の目をまっすぐに見つめた。
「我が行の融資方針としても、これ以上の無条件の追加融資や返済猶予は困難な段階に入っております。……ですが、鶴田製菓様が潰れるようなことがあれば、新形の米の需要そのものが激減し、何より新形県民の誇りが傷つきます。同行のメインバンクとして、そして南越急行グループの金融部門として、この危機を放置するわけにはいかないと判断し、篠原社長へご報告に上がった次第です」
室内を重苦しい静寂が包んだ。
大石がタブレットで瞬時にデータを分析し、冷徹な声で呟いた。
「データを見ても、非常に深刻ですね。国内の米菓市場全体が年間数パーセントずつ縮小しています。鶴田製菓の製造技術や品質コントロールは世界最高水準ですが、市場そのものが萎んでいる以上、国内での既存の営業努力だけでV字回復させることは不可能です」
大石の冷徹な財務分析を静かに聞いていた篠原は、ゆっくりと胸ポケットから一袋の小さなパッケージを取り出した。
鶴田製菓が誇る超ロングセラー商品「鶴田の柿の種」の個包装である。
篠原は静かにパッケージを開け、香ばしい醤油の香りが広がる柿の種を数粒手にとると、口へと運んだ。パリッという心地よい歯応えと、ピリッとした唐辛子の辛み、そして新形米ならではの深い旨味が広がる。
「……美味い」
篠原がぽつりと呟いた。その声には、普段の金融の冷徹さとは異なる、温かく、そして力強い情熱が宿っていた。
「私はね、中川頭取。昔からこの鶴田製菓の柿の種が大好物なんだよ。外資系証券会社時代、ウォール街で徹夜のディーリングをこなしていた頃も、デスクの引き出しにはいつも新形から取り寄せた鶴田の柿の種があった。過酷な修労場で疲弊した頭と心を、この新形の米の味がどれほど救ってくれたか分からない」
篠原はグラスのジャスミン茶(南越ビバレッジの特選一級品)を一口含み、眼下に広がる黄金色の新形平野を見つめた。
「新形の清らかな水と米、そして職人の情熱が創り上げたこの味は、新形の宝であり、日本の誇りだ。それを人口減少や国内市場の縮小という理由だけで衰退させ、消え去らせるわけには絶対にいかない」
篠原は振り返り、中川頭取、大石、古賀の三人を見渡した。
「中川頭取。報告に感謝します。……我が南越急行ホールディングスが全面に出て、鶴田製菓の経営再生とグローバル大改革に乗り出します」
「篠原社長……! ありがとうございます!」中川頭取が深々と頭を下げた。
古賀がニヤリと笑い、豪快に膝を叩いた。「よし! 篠原社長がそう言うなら決まりだ! だがな篠原社長、大石の言う通り、国内でただ煎餅を売っているだけじゃジリ貧だぞ。具体的にどうやって鶴田を救うんだ?」
篠原の目が、鋭く青い光を放った。
「戦場を変えるのです」
篠原はホワイトボードに向かって歩み出ると、黒のマーカーを握り締め、力強い字で世界地図を描き始めた。
「日本国内の市場が縮小しているなら、世界80億人の市場へ打って出ればいい。北米、欧州、東南アジア——世界中には今、グルテンフリー(小麦不使用)や健康志向のヘルシースナックを求める巨大なニーズが渦巻いています。お米から作られる鶴田の米菓は、まさに世界が喉から手が出るほど求めている最高品質のナチュラル・スナックなのです!」
篠原は鮮やかに新構想を書き叩いた。
【南越急行・鶴田製菓グローバル再生構想(プロジェクト・TSURUTA WORLD)】
『第一の矢:南越急行ホールディングスによる資本参加(100億円の資金注入)と財務基盤の完全盤石化』
南越急行ホールディングスが鶴田製菓の第三者割当増資を引き受け、第三者割当および株式取得により完全子会社化(または筆頭株主化)。
100億円の一括キャッシュ注入により、過去の有利子負債を全額完済。越後中央銀行からの融資条件を最優遇へ切り替え、財務の懸念を即座にゼロ化。
『第二の矢:グローバルブランド『TSURUTA』の立ち上げと、北米・欧州・東南アジアへの世界多角化戦略』
【北米市場】: 「Gluten-Free Rice Cracker」としてブランディング。現地の大手オーガニックスーパーやメガECと提携し、スパイシーフレーバーやシーソルト味など現地の好みに合わせた『TSURUTA』ブランドを展開。
【欧州市場】: パリやロンドンを拠点に、ワインやチーズ、クラフトビールに完璧に合う「高級アペリティフ(おつまみ)スナック」として展開。南越海運の自社船と南越エアラインズの航空網をフル活用した超高速直輸。
【東南アジア市場】: タイ、シンガポール、インドネシアなどの急成長する中産階級へ向け、南越物流と連動したハラル認証対応のフレッシュ米菓網を構築。
『第三の矢:自前エコシステム(南越アグリ・南越建設・南越総合大学)の総結集』
【原料】: 南越アグリが生産する最高級の『南越コシヒカリ』を100%使用し、圧倒的な品質向上を達成。
【工場】: 南越建設の施工により、新形東港(南越海運の港)に直結した世界最大級の全自動スマート米菓工場「TSURUTAグローバルファクトリー」を建設。
【研究】: 南越総合大学アグリ・バイオ生命科学部と共同で、世界中の嗜好に合わせた新しいフレーバーや、湿気に強い特殊パッケージ技術を開発。
大石が眼鏡の位置を正しながら、感嘆の息を漏らした。
「完璧です……! 単なる国内のコストカットではなく、我がグループが持つ『日本海物流バイパス(南越海運・南越物流)』『航空網(南越エアラインズ)』『原料(南越アグリ)』『技術(南越建設・南越総合大学)』をすべて注ぎ込み、鶴田製菓を世界的なスナック巨頭へと飛躍させるスキームです。これなら過去最高の営業利益を叩き出せます!」
「だろ!」古賀が豪快に笑う。「新形の柿の種や煎餅が、アメリカやヨーロッパの奴らにバカ受けする姿が目に浮かぶぜ!」
篠原は中川頭取に向き直った。「中川頭取。すぐに鶴田製菓の経営陣との緊急会談をセットしてください。新形の誇りを、世界へ羽ばたかせましょう!」
数日後。新形市内にある鶴田製菓の本社役員応接室。
創業家出身の代表取締役社長である鶴田(50代)は、青ざめた顔で書類を見つめていた。メインバンクの越後中央銀行から「緊急の経営協議」が申し入れられ、倒産通告でもされるのではないかと恐怖に震えていたのだ。
そこへ、重いドアが開き、南越急行ホールディングスCEOの篠原賢人、専務の大石、副社長の古賀、そして越後中央銀行の中川頭取が入ってきた。
鶴田社長は弾かれたように立ち上がった。「篠原社長……! 中川頭取……! なぜ南越急行のトップの皆様が我が社へ……」
篠原は静かに歩み出ると、革のセカンドバッグから黄金色の協定書を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。
『鶴田製菓株式会社に対する100億円の資本注入および「TSURUTAグローバルプロジェクト」包括提携書』
鶴田社長が震える手で書類を開いた。そこに書かれていた目眩のするような支援内容と、世界多角化のスケールを目にした瞬間、彼の声が激しく震えた。
「な……なんですかこれは……!? 100億円の資本注入……!? 我が社の過去の借金の全額完済……!? さらに……北米・欧州・東南アジアへの世界進出と、新形東港への最新スマート工場の建設……!? 夢か……!? 破綻寸前の我が社を、なぜここまでして救ってくださるのですか!?」
篠原は、テーブルの上に置かれていた「鶴田の柿の種」のパッケージを愛おしそうに見つめた。
「鶴田社長。私はね、あなたの作るこの柿の種と煎餅を心から愛しているのです。過酷な金融の修羅場で疲弊した私の魂を救ってくれたのは、この新形の米の味でした」
篠原は鶴田社長の目をまっすぐ見つめた。
「日本の人口が減り、国内の市場が縮小したからといって、この世界一の味を衰退させてたまるか。日本人が愛してきたこの味は、必ず世界中の人々の心を魅了します。……お金の心配も、物流の心配も、工場の心配も、すべて我が南越急行グループが引き受けます。あなた方は、世界一美味いお菓子を作り続けることだけに100%の情熱を注いでください!」
鶴田社長は床に膝をつき、激しい泣き声とともに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます南越急行様……! 創業以来のこの味を、新形の誇りを……世界へ届けてみせます……!」
プロジェクトは即座に、怒濤のスピードで始動した。
まず、南越急行ホールディングスからの100億円の資金注入により、鶴田製菓の負債は一瞬で全額返済された。財務の懸念が完全に消え去ったことで、社員や研究員たちの顔に活気が戻った。
そして、南越建設の「全自動施工チーム」の手によって、新形東港の臨海部に、最新鋭のAI品質管理と全自動ロボットラインを備えた巨大工場『TSURUTAグローバルファクトリー』の建設が一斉に着工された。
新工場は、南越海運の大型自動車・貨物船「ホワイトラビット・グローバル号」が横付けされる岸壁と専用レールで直結。できたて熱々の米菓が、ロスタイムゼロで世界へ向けて船積みできる夢のスマート工場である。
同時に、篠原と大石、そして鶴田製菓の海外事業チームによる「世界多角化戦略」が猛烈な勢いで開始された。
まず第1のターゲットとされたのが、北米市場であった。
南越総合大学のマーケティングチームと、現地のアメリカ人フードプロデューサーがタッグを組み、グローバルブランド『TSURUTA』を立ち上げた。
従来の醤油味に加え、現地で絶大な人気を誇る「スモーキーBBQ」「ソルト&ビネガー」「サワークリーム&オニオン」、そしてヘルシーな「オーガニック・シーソルト」の4フレーバーを開発。パッケージも、和風の古くさいデザインから、スタイリッシュで洗練されたシルバーと赤のスタンドパウチへと一新した。
「100%オーガニックな新形米使用」「ノンフライでヘルシー」「完全にグルテンフリー」という強力なメッセージとともに、南越急行の自前物流(南越海運&南越エアラインズ)によって北米の大手スーパーや全米規模のECモールへ一挙に投入されたのである。
その結果は、現地での空前の大爆発であった!
「オーマイゴッド! このサクサクした食感は何だ!? ノンフライなのに超スパイシーで美味すぎる!」
「ポテトチップスみたいに油っぽくなくてヘルシー! 子どものおやつにも、ビールのおつまみにも最高だ!」
ハリウッドのセレブやスポーツ選手がSNSで「TSURUTAのライススナックが手放せない」と投稿したことで人気に火がつき、全米のスーパーで棚が空になるほどの空前の大ヒットを記録!
続いて仕掛けた第2のターゲット・欧州市場でも、奇跡が起きた。
パリやロンドンの高級デパートやワインショップにおいて、鶴田製菓の米菓は「日本の繊細な醸造技術と米の芸術品」としてプロモーションされた。
南越ビバレッジの技術を応用した「極上出汁醤油味」や「トリュフ・ブラックペッパー味」の柿の種は、フランスのソムリエたちから「赤ワインやボルドー、シャンパンに完璧にマッチする最高のアペリティフ(おつまみ)」として絶賛の嵐を浴びたのである。
さらに、第3のターゲット・東南アジア(タイ・シンガポール・インドネシア)市場では、南越アグリと連携した「ハラル認証100%対応ライン」を新工場に構築。急成長する中産階級のファミリー層へ向け、南越物流のネットワークを使ってフレッシュな米菓を低価格で配給し、市場シェアを瞬く間に独占した。
世界多角化作戦の開始からわずか二年。
鶴田製菓の業績は、かつての衰退が嘘のような天文学的なV字回復を達成した。
海外売上比率はかつての「数パーセント」から一気に「60%」を突破!
鶴田製菓全体の売上高・営業利益は創業以来の過去最高を大幅に更新し、新形の本社工場と新形東港のグローバル工場は昼夜フル稼働状態となった。
自社工場で働く何千人もの地元社員たちの給料は跳ね上がり、鶴田製菓へ米を納入する「南越アグリ」や地元の契約農家たちにも莫大な還元が行われたのである。
国内の衰退に頭を抱えていた老舗企業が、南越急行の潤沢な資金と陸・海・空・金融・教育の生態系と合体したことで、世界中の人々から愛される「グローバル・スナック巨頭」へと見事に脱皮を遂げたのだ。
翌年、秋。
新形東港のコンテナターミナル。
秋の爽やかな潮風が吹き抜ける岸壁には、南越海運の巨大貨物船「ホワイトラビット・グローバル号」が横付けされていた。
新工場から引かれた専用レールから、出来立ての『TSURUTA』ブランドの米菓を満載したコンテナが、全自動クレーンによって船内へスムーズに積み込まれていく。そのコンテナには、南越急行の「ホワイトラビット」と鶴田製菓の「鶴」のマークが誇らしく並んで描かれていた。
この船はこれから太平洋を渡り、ロサンゼルス、ニューヨーク、そして欧州のル・アーヴル港へと向かうのだ。
出航を見守る視察デッキの上。
南越急行CEOの篠原賢人、専務の大石、副社長の古賀、越後中央銀行の中川頭取、そして鶴田製菓の鶴田社長の姿があった。
鶴田社長は、感無量の面持ちで目元を拭いながら言った。
「篠原社長、中川頭取……夢のようです。国内の縮小に怯え、倒産を覚悟していた我が社が、世界中の人々からこんなにも愛され、新形のお米の美味しさを地球の裏側まで届けられるなんて……。鶴田製菓の暖簾は、救われました」
古賀が豪快に笑いながら、鶴田社長の肩を叩いた。「言っただろ、鶴田社長! 新形の米と職人の技は世界一なんだ! 胸を張って世界中へ売りまくってくれ!」
大石もタブレットを閉じながら、満足そうに頷いた。「海外事業の利益率は驚異的です。国内での販売単価の数倍で飛ぶように売れているため、鶴田製菓のキャッシュフローは我がグループ内でもトップクラスの健全性を誇っています」
篠原は温かいジャスミン茶を口含み、日本海の青い水平線へ向けて出航していく巨大船を見つめた。
「鶴田社長。技術や美味しさとは、国境を越えて人々の心を繋ぐ『平和の言葉』です。新形の大地が育んだお米の美味しさを、世界中の人々が笑顔で味わっている……。我がグループの資金と技術は、この新形の誇りを世界へ解き放つためにあったのです」
フォォォォン————!!
ホワイトラビット・グローバル号の雄大な汽笛が、秋の新形港の空と海へどこまでも響き渡る。
かつて北陸新幹線の開業で特急『なんたか』を失い、雪の中でただ消え去るのを待つだけだった弱小第三セクター「南越急行」。
2兆250億円という前代未聞の狂気の純利益から始まったその反撃の物語は、銀行を呑み、車を作り、空を飛び、海を渡し、街を創り、巨大JRを傘下に収め、命を救い、教育を興し、そしてついに「郷土の伝統の味」までも世界の頂点へ羽ばたかせた。
不滅の情熱と地域の絆を胸に刻んだ彼らの走るレールと航路は、日本の、そして世界の未来を乗せて、どこまでも、どこまでも光り輝く果てしなき未来へ向かって、永久に力強く走り続けていくのだった。




