第44章 漆黒のチェリーとヤマガタの胃袋
第44章 漆黒のチェリーとヤマガタの胃袋
初秋の風が、蔵王の山々から山型盆地へと吹き降ろしていた。
山型鉄道の改革をやり遂げ、南越急行ホールディングスの副社長へと就任した古賀は、久々にまとまった休暇を取り、生まれ故郷である山型へと足を運んでいた。副社長という多忙な身でありながらも、日焼けした野性味のある顔立ちと、現場の匂いを漂わせる大柄な体躯は相変わらずだった。
「古賀先輩、わざわざお越しいただいて……本当にすみません」
山型市内の小さな喫茶店。古賀の向かいに座り、恐縮したように頭を下げたのは、三十代半ばの男・川澤だった。古賀の山型大学時代の後輩であり、現在は山型県内を中心にスーパーマーケットチェーン『スーパーカワサワ』を率いる代表取締役社長である。
『スーパーカワサワ』——。山型県民であれば、誰しもが幼少期からその緑の看板に親しみ、日常の買い物を支えられてきた地元の名門スーパーマーケットであった。かつては県内各地の駅前や住宅街に店舗を構え、山型の食卓の象徴として鎮座していた企業である。
だが、現在の川澤の表情には、深い疲労と絶望の色が濃く刻まれていた。手元に置かれた決算書の数値は、目も当てられないほど真っ赤に染まっている。
「川澤、話を聞こう」古賀は温かいコーヒーに手を付けず、後輩の目をまっすぐ見つめた。「新山型交通の再生やヤマガタ・クロッシングの開業で、山型市内の人通りは戻ってきたはずだ。だが、お前のところはまだ苦しいのか?」
「苦しい、なんてレベルじゃありません……」
川澤は苦い息を吐き出し、力なく首を振った。
「山型県全体の急速な人口減少と少子高齢化の波は、想像以上でした。数年前から不採算店舗の大量閉鎖を断行し、二十店舗以上を涙をのんで解体・撤退させました。固定費を削り、なんとか生き残ろうとしたんです。……ですが、ダメでした」
川澤は震える指先で決算書を指し示した。
「店舗を減らしたことでスケールメリットが失われ、仕入れ原価が跳ね上がりました。そこへ全国大手のディスカウントストアや外資系ECの進出、そしてエネルギー価格の高騰が追い打ちをかけた。不採算店舗を整理したところで、残った店舗の客数も減り続け、今や営業赤字は過去最大。来月の銀行への返済すら、手元資金がショートして不渡りを出しそうな状態なんです……」
川澤は目元を強くぬぐい、古賀に向かって深々と頭を下げた。
「古賀先輩……知っています。先輩が南越急行へ移られ、かつて新形で経営破綻寸前だったスーパー『コメチョウ』を『走る南越マルシェ』として劇的に蘇らせたことを。そして、新山型交通や山型市の再開発を見ごとに成功させたことを。……どうか、どうか我がスーパーカワサワを、山型の胃袋を守るために、知恵と力を貸していただけないでしょうか!」
古賀は腕を組み、重々しく目を閉じた。
かつて新形で起きた『コメチョウ』の危機。そして今、自分の故郷である山型で起きている『スーパーカワサワ』の危機。スーパーマーケットの撤退は、単なる一企業の倒産にとどまらない。その地域から「食のインフラ」が消え、車を持たない高齢者が日常の買い物すらできなくなる「買い物難民」の大量発生を意味していた。
「川澤」古賀は目を開き、力強く後輩の肩を叩いた。「お前が先代から受け継いだカワサワの暖簾と、山型の食卓を、俺が見捨てるわけがないだろう。……すぐに六日町の本社へ来い。篠原社長と大石専務を引き合わせる」
翌日、六日町にある南越急行ホールディングス本社の最高階・超高層役員室。
南越急行CEOの篠原賢人、専務の大石、そして副社長の古賀の三人を前に、カワサワの川澤社長は緊張でガタガタと震えながら財務データを説明していた。
大石は眼鏡の位置を正しながら、タブレットの画面を冷徹な視線でスクロールしていく。
「……なるほど。典型的な『縮小均衡の悪循環』ですね」大石の鋭い声が室内に響く。「不採算店舗の閉鎖によって一時の赤字は圧縮できても、売上規模が縮小したことで大手食品メーカーや卸業者に対する買い叩き交渉力が低下。結果として販売価格を上げざるを得なくなり、顧客がディスカウントストアへ流出する。典型的な死の破綻スパイラルです」
「大石、冷たい言い方すんな」古賀が横から口を挟む。「川澤は山型の食卓を必死で守ろうとしてきたんだ」
「情論ではありません、古賀副社長。現実の財務分析です」大石は表情一つ変えずに答えた。「現在のカワサワの有利子負債は約三十億円。手元キャッシュは数千万円まで底をついています。このままでは今月末の手形落ちで倒産します」
川澤社長は顔を蒼白にし、冷や汗を流して俯いた。
その時、静かにジャスミン茶を口含んでいた篠原が、穏やかな声で口を開いた。
「川澤社長。ご安心ください」
「え……?」川澤が弾かれたように顔を上げた。
篠原の口元には、いつもの不敵で透明な笑みが浮かんでいた。
「我が南越急行ホールディングスは、スーパーカワサワの経営支援およびグループ傘下収容(完全子会社化)を引き受けます。本日付で、カワサワが抱える三十億円の有利子負債および買掛金を、我が社の潤沢なキャッシュで一括弁済・肩代わりいたします」
「さ、三十億円を一括返済……!?」川澤は目を見開いた。
大石がすかさず補足する。「さらに、南越急行からカワサワへ五十億円の第三者割当増資を実施します。これにより、カワサワの自己資本比率は即座に超健全水準へと跳ね上がり、キャッシュフローの全懸念が完全に消滅します」
「そんな……! なぜそこまでして我が社を……!」川澤の目からボロボロと涙が溢れ出た。
古賀がニヤリと笑い、川澤の背中をバシッと叩いた。「言っただろ、川澤。南越急行はな、地域を救うためなら金惜しみはしねえんだよ。……だがな、川澤。篠原社長が言いたいのは、ただ金を出して助けるだけじゃねえぞ」
篠原が深く頷き、ホワイトボードに向かって歩み出た。
「その通りです。キャッシュフローの改善は、あくまで呼吸を整えたに過ぎません。本質的な解決策は一つ……お客様をカワサワの店舗へ、そしてサービスへ呼び戻し、爆発的に買い物を楽しんでもらう『増客の工夫』です」
篠原は黒のマーカーを握り締め、鮮やかに新構想を書き打った。
【南越急行・スーパーカワサワ再生&山型食卓イノベーション構想】
『第一の矢:自前物流網(日本海バイパス・南越物流)との完全統合による「圧倒的安値&フレッシュ直輸」』
前章で構築した「ムギリ」とのアライアンス物流網(日本海シー&ロードバイパス)をカワサワへ全面適用。
海外からの輸入食材や国内の大手メーカー品を、新形港経由でカワサワの各店舗へダイレクト輸送。中間マージンを完全カットし、ディスカウントストアに対向できる「地域最安値」を実現。
『第二の矢:新山型交通・AIデマンドバスと連携した「買い物送迎&全自動宅配システム」』
新山型交通が運行する自動運転EVバスやLRTと、カワサワの各店舗を完全直結。
カワサワで一定額以上の買い物をした顧客(特に高齢者)は、自宅までの帰りのバス・デマンドタクシー運賃を「完全無料」化。さらに重い米や水、買い出し品は、南越物流の軽EVトラックが「最短一時間で自宅の玄関まで無料即日配送」。
『第三の矢:山型名物・特産品の「産直エンターテインメント化」と自前ドローン配送』
カワサワの売り場を単なるスーパーから「山型の旬が集まる食のテーマパーク」へ改装。地元農家が朝採りしたサクランボやラ・フランス、山型牛、米澤牛、地酒を、カワサワの店舗から全土・全国へ、南越急行の「ドローン配送網」で送料完全無料で超速直送。
「金を出して借金を消し、物流の力で安くし、新山型交通のバスで客をタダで送り迎えし、ドローンで全国へ名物を届ける……!」長谷川前副社長から引き継いだ現場魂を持つ古賀が、感嘆の声を上げた。
大石も眼鏡の位置を直しながら頷く。「極めて合理的です。カワサワの持つ『地元の信頼』に、我がグループの『物流・交通・デジタル』の全アセットをドッキングさせる。これなら、郊外の大型モールや外資系ECを完全に凌駕できます」
篠原は川澤社長を見つめた。「川澤社長。資金の心配はすべて我が社が引き受けます。あなたは、山型のお客様を笑顔にする最高の売り場作りに全力を注いでください」
川澤社長は床に膝をつき、激しい泣き声とともに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます南越急行様……! 命を懸けて、カワサワを、山型の食卓を蘇らせます……!」
プロジェクトは即座に、凄まじいスピードで動き出した。
まず、南越急行ホールディングスからの五十億円の資本注入と債務の一括返済により、スーパーカワサワの財務基盤は一瞬で盤石なものとなった。
取引先の食品卸業者や地元の農家たちは、「あの南越急行が親会社になったのなら倒産の心配は一切ない!」と歓喜し、カワサワへの商品供給を激増させた。
そして、古賀と大石が主導する「現場改革」が始まった。
古賀は連日のように山型県内にあるカワサワの各店舗を精力的に回り、現場の店長やパート従業員たちと膝を突き合わせた。
「いいか、みんな!」古賀の声がカワサワのバックヤードに響く。「今までは『店を減らして耐える』暗い雰囲気だったろうが、今日からは違うぞ! お前たちが売るのはただの野菜や肉じゃねえ、山型の人たちの毎日の元気なんだ! 笑顔で客を出迎えろ!」
古賀の圧倒的な熱量に、長年の赤字で自信を失っていたカワサワの従業員たちの目の色が変わっていった。
一方、大石はロジスティクスと交通連携のスキームを完璧に組み上げた。
新形港から南越物流のトラック隊が、新鮮な海産物や海外資材をカワサワの物流センターへ連日怒濤のスピードで直送。中間コストが削減されたことで、カワサワの店頭にはディスカウントストアに負けない驚きの安値でフレッシュな食材がズラリと並べられた。
さらに、新山型交通との「買い物モビリティ連携」がスタートした。
カワサワの各店舗前には、新山型交通のAIデマンドバスやLRTの専用乗り場が設置された。
「カワサワで二千円以上お買い上げのお客様は、お帰りのバス・デマンドタクシー代が完全無料!」
このアナウンスが地元のテレビ(新形テレビ20および山型局)で報じられると、買い物に行けずに困り果てていた地元の高齢者や主婦層が大殺到した。
「まあ! カワサワで買い物をしたら、お店の前のバスが家の前までタダで乗せていってくれるの!?」
「重いお米や醤油を買っても、カワサワの配達車がすぐに家に届けてくれるから、腰が痛い私でも安心して買い物ができるわ!」
カワサワの店内は、何年ぶり……いや何十年ぶりかの熱気と客の笑顔で溢れかえった。
車を持たない高齢者たちが、新山型交通の自動運転バスに乗って続々とカワサワへやってきて、明るい店内で井戸端会議を楽しみながら買い物を楽しむ。カワサワは単なるスーパーを超えて、「地域の温かいコミュニティ拠点」として劇的な復活を遂げたのである。
さらに、篠原が仕掛けた最大の「増客の目玉」が、山型特産品の全国ドローン配送サービス『カワサワ・プレミアム産直便』であった。
山型県は、サクランボ(佐藤錦・紅秀峰)やラ・フランス、枝豆(だだちゃ豆)、山型牛など、日本屈指の絶品特産品の宝庫である。
カワサワの店内に特設された「産直プレミアムコーナー」には、地元の農家が今朝摘んだばかりのピチピチのサクランボやラ・フランスがズラリと並べられた。
そして、カワサワの屋上に建設されたドローンポートから、南越急行の全天候型配送ドローン「ラビット・スカイフリート」が次々と飛翔。
山型県内はもちろん、隣の新形県、さらには南越急行の超高速列車「NK3500系」や「南越エアラインズ」の航空網と連携し、都心や全国の顧客の元へ「朝摘みのサクランボ」が、送料完全無料でその日のうちに届くシステムが完成したのだ。
「ええっ……!? 山型のカワサワで朝採れたばかりの完熟サクランボが、夕方には東京の自宅にドローンで届くの!? しかも送料ゼロ!?」
「新鮮さが全然違う! まるで山型の農園で直接食べているみたいだ!」
全国からの注文が爆発。カワサワの産直ECサイトは連日サーバーがダウンするほどの大ヒットとなり、地元のサクランボ農家や畜産農家たちの懐には莫大な収益が転がり込んだ。
「カワサワさんのおかげで、丹精込めて作ったサクランボが全国で一番高い評価で売れる! ありがとうカワサワさん!」
地元の農家たちが、涙を流して川澤社長の手を握りしめた。
再生プロジェクトの始動からわずか一年。
破綻寸前だった『スーパーカワサワ』の業績は、奇跡的なV字回復を達成。
全店舗で客数が前年比「200%」を突破し、過去最高売上・過去最高益を天文学的な数値で更新したのである。
撤退を余儀なくされていたかつての店舗跡地にも、南越不動産と南越建設の手によって「コンパクト型カワサワ・スマートショップ」が再オープンし、山型県全域から「買い物難民」という言葉が完全に消滅したのだった。
秋晴れの爽やかな日。
新装オープンした『スーパーカワサワ山型本店』の屋上ドローンポート。
青く澄み渡る山型の空へ、完熟のサクランボや山形牛を載せた赤と白の配送ドローン「ラビット・スカイフリート」が、白鷺の群れのように美しく次々と飛び立っていく。
その圧巻の光景を、屋上デッキから見つめる篠原、古賀、大石、そしてカワサワの川澤社長。
川澤社長は、感無量の面持ちで目元をぬぐいながら言った。
「篠原社長、古賀先輩、大石専務……本当に、本当にありがとうございました。破産を覚悟していた我が社が、こんなにもお客様の笑顔で溢れ、山型の農家さんたちと一緒に全国へ羽ばたけるなんて……。カワサワの暖簾は、救われました」
古賀が豪快に笑いながら、川澤の肩を抱いた。「言っただろ、川澤。俺たち南越急行がついているんだ。山型の胃袋は、絶対に俺たちが守り抜くさ!」
大石もタブレットを閉じながら、珍しく満足そうに微笑んだ。「カワサワの黒字化により、南越急行グループの食品・流通部門の収益性はさらに向上しました。新山型交通とのモビリティ相乗効果も完璧な数値を叩き出しています」
篠原は穏やかな笑みを浮かべ、秋空へ飛んでいくドローン群と、遠くに見える蔵王の山並みを見つめた。
「川澤社長。スーパーとは、単に物を売る場所ではありません。地域の人々の毎日の命を支え、人と人を温かく繋ぐ『街の心臓』なのです。我がグループの資金と技術は、この山型の笑顔を守るためにあったのです」
遠くから、新山型交通のスマートバスの誇らしげな警笛と、カワサワから買い物を終えて出てくる地域の人々の賑やかな歓声が聞こえてくる。
2兆250億円という前代未聞の純利益から始まった、弱小第三セクター「南越急行」の奇跡の反撃劇。
不滅の情熱と地域の絆を胸に刻んだ彼らの走る道は、鉄道、地銀、自動車、航空、港湾、建設、物流、報道、ホテル、食卓、豪雪防衛、百貨店、人生の信託、手厚き医療、未来の教育、創薬、名物飲料、そして「地域の胃袋」までも自前で繋ぎ合わせ、どこまでも、どこまでも光り輝く未来へ向かって、永久に力強く走り続けていくのだった。




