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第41章 湯の煙と雪の城

第41章 湯の煙と雪の城


山型市中心部の劇的な再生劇「ヤマガタ・クロッシング」の開業から一年。


山型駅前が連日多くの人々で賑わうその様子を、焦燥感を募らせて見つめている人々がいた。山型市のすぐ南隣に位置し、古くから城下町・温泉街として知られる「下山しもやま市」の温泉組合幹部たちである。


初冬の冷え込みが厳しくなったある日、南越急行本社の応接室に、下山市温泉組合の理事長・板垣と数名の旅館主たちが訪れていた。


「篠原社長、大石専務、古賀副社長……藁にもすがる思いで参りました。どうか、我々の下山温泉を救っていただけないでしょうか」


板垣理事長は切迫した面持ちで頭を下げた。手渡された資料を古賀と大石が手分けして目を通す。


「下山市……山型市のすぐ南隣だな。山形新幹線の停車駅があり、国道や高速道路もすぐ近くを通っている。山型市中心部へのアクセスも抜群の場所のはずだが」古賀が記憶を辿りながら言った。


「かつてはそうでした」板垣は悔しそうに顔を歪めた。「昭和から平成の初めにかけては、大型の団体客や宴会客で年間数十万人が訪れる歴史ある名湯でした。山型市へ買い物に来た客がそのまま脚を延ばして泊まってくれたものです。しかし単なる『お風呂と宴会』の観光モデルは完全に時代遅れとなり、近年は客足が激減。さらにインバウンドや若者の旅のスタイルの変化についていけず、廃業する老舗旅館が後を絶ちません」


大石がタブレットを操作しながら補足する。

「データを見ても、下山市は新幹線駅や高速道路という交通の便に恵まれながら、山型市への日帰り観光のついでに寄られる『通過型の観光地』に陥っていますね。これでは温泉街の維持すら困難です」


「そうなんです!」板垣は身を乗り出した。「隣の山型市があれほどの賑わいを取り戻したのを見ました。新山型交通のスマートバスやLRTが走り、人が溢れている。同じ生活圏・観光圏である我が下山温泉にも、あのエネルギーを取り戻したいのです!」


篠原は静かに思考を巡らせた。山型市の南隣という好立地、そして新幹線駅という強力なアクセス拠点を持ちながら、活かしきれていない現状。


「分かりました、板垣理事長。まずは現場を拝見させてください。山型市と下山市の広域連携も含め、南越急行として何ができるか現地で答えを探しましょう」



数日後、篠原、古賀、大石の三人は、うっすらと雪が舞い始めた下山市の温泉街を歩いていた。


昔ながらの風情を残す温泉街の街並みの向こう、蔵王連峰を背にして、異様な存在感を放つ一基の超高層建造物が聳え立っていた。四十階を超える、田園風景と温泉街の中に突如現れる巨大なタワー型マンションである。


「あの高層マンションは……?」篠原が足を止めて見上げた。


案内していた板垣理事長が苦笑いを浮かべた。

「ああ、あれはバブル期に建設された『下山タワーレジデンス』です。当時は都市部の富裕層やリゾート需要向けに売り出され、その圧倒的な高さで話題になりました。ですが今や年月が経ち、空き部屋だらけで、維持管理の難しさが浮き彫りになり『幽霊タワー』になりかけていましてね……」


その時、大石の眼鏡の奥で光が走った。


「篠原社長、古賀副社長。この超高層マンションと下山温泉、そして山型市への近さを組み合わせた再生案が考えられます」


「ほう、聞かせろ大石」古賀が興味深そうに顔を近づける。


大石はタブレットの図面を指し示した。

「下山市は豪雪地帯でありながら、山型新幹線の駅があり、南隣という立地から山型市中心部まで車やLRTで20分程度の距離です。近年、都市部や温暖な地域に住むシニア層の間で、『冬の雪かきや氷結路面の運転から解放されたい』という潜在需要が高まっています。そこで、あの高層マンションの空き部屋を南越急行で買い取り、全室に温泉を引き込んだ『全天候型・温泉付き長期滞在型レジデンス(避雪住宅)』としてリノベーションするのはどうでしょう」


「なるほど!」古賀が手を打った。「高層マンションなら管理会社が雪かきをしてくれるし、一歩も外に出ずに天然温泉を楽しめる。新幹線で東京からも一本、山型市の都市機能もすぐ隣だ。デュアルライフ(二拠点生活)や定住にも最適だ!」


二人の盛り上がりに対し、篠原は腕を組み、深々と腕組みをしたまま高層マンションを見上げていた。


「どうしました、篠原社長? 非常にロジカルで実現性の高い案だと思いますが」大石が尋ねる。


篠原はゆっくりと首を振った。


「大石、古賀さん。確かに良いアイデアだ。だが……これだけでは足りない。『どこでも雪を避けられる温泉マンション』なら、全国の他の豪雪地帯にも似たような物件はある。単に『雪かきが不要で温泉がついている高層マンション』というだけでは、最初は話題になっても、確実に人を呼び続け、下山温泉街全体を活性化させる決定打にはならない」


「決定打、ですか」大石が思案顔になる。


「そうだ。南越急行がやるからには、ただマンションの部屋を埋めるだけでは意味がない。あのインパクトのある高層タワーを拠点にしつつ、『わざわざ下山に来なければ絶対に体験できない、もう一ひねりの強烈なアイデア』が必要だ」


篠原の目が、雪煙の舞う温泉街と遠く見合える蔵王の山並みをじっと見つめていた。


その夜、老舗旅館の一室で、三人は深夜まで膝を突き合わせた。


「もう一ひねり……何だ?」古賀が頭を抱える。「温泉があって、雪かきが不要で、新幹線が止まって、山型市もすぐ隣。これ以上の条件がどこにある?」


大石もノートPCの画面を見つめながら唸っていた。「単なる居住や滞在ではなく、ここに居続けること自体が目的となる付加価値……医療連携か? それともエンターテインメントか?」


篠原は部屋の窓を開けた。冷たい雪風とともに、ほのかに硫黄の香りと、近くの湯畑から立ち上る湯煙の匂いが部屋に流れ込んでくる。


「古賀さん、大石。下山温泉の最大の弱点は何だと思う?」


「弱点? そりゃあ、冬の強烈な大雪と、山型市に比べて夜の娯楽が少ないことだろう」古賀が答える。


「そうなんだ」篠原は振り返り、二人の目をまっすぐ見つめた。「雪と寒さを『避けたい邪魔もの』として扱っているから、勝ちきれないんだ。逆だよ。雪と湯煙、そして蔵王から吹き下ろす極寒の外気という『寒暖差』そのものを、世界最高のエンターテインメントと健康体験に変えるんだ」


大石が目を見開いた。「寒暖差を……体験に?」


篠原は机の上のノートに、素早く図を描き始めた。


「新幹線駅と高層タワーという圧倒的なランドマークを活かし、マンションを『滞在拠点』にするだけじゃない。私たちが提案するのは、下山温泉街全体を巨大な『サーマル・ウェルネス&バイオハック・リゾート』へと生まれ変わらせる計画だ」


篠原の口から飛び出したのは、従来の温泉地の概念を根本から覆す構想だった。


【超高層スノー&サウナ・ドーム(天空の極限体験)】

あの四十階を超えるタワーマンションの最上階と屋上エリアを全面改修し、標高と極寒の外気をダイレクトに感じながら、超高温サウナと源泉掛け流しの温泉、そして極上のととのい体験を提供するガラスドーム型の「天空スパ」を新設する。蔵王の樹氷と雪景色を見下ろし、雪が舞う中で味わう究極の温冷交互浴体験である。


気候療法クアオルト×最新AI医療データ解析】

ただ温泉に入るだけでなく、大石の得意とするデジタル技術を導入。下山特有の豊かな自然と蔵王おろしの気候を活かしたウォーキングコース(クアオルト)を設定。滞在者のバイタルデータをスマートリング等で常時計測し、専門医とコンシェルジュが「気候運動×温泉泉質×温冷刺激」による最適な健康増進プログラムを自動生成する。


【湯煙スノープロムナードと山型市直行スマートモビリティ】

タワーマンションから温泉街、そして駅へと続く歩道を、温泉の排湯を活用した完全ロードヒーティング仕様とし、ノースノーで歩けるようにする。さらに新山型交通のデマンドバスやLRT延伸により、昼は山型市で「ヤマガタ・クロッシング」の商業や文化を楽しみ、夜は下山温泉で極上の癒やしを得るという「隣接二都市一体型の回遊性」を構築する。


「これだ……!」古賀が興奮で立ち上がった。「これなら『雪かきを避ける』どころか、『あのタワーから雪景色と温泉を楽しむために、世界中から人が来たくなる』!」


大石も眼鏡の位置を直しながら、急速に胸の鼓動が高まるのを感じていた。

「素晴らしい……! 単なる不動産再生ではなく、下山市の『大雪』という弱点を、世界に誇る『超高付加価値コンテンツ』へと反転させるスキームです。隣の山型市との回遊性も高まり、両市の経済効果は掛け算になります!」


篠原は力強く頷いた。

「下山温泉の雪と高さは、害ではない。宝なんだ。この計画で、下山を世界が注目するリゾートへ変えよう!」


「温泉街のタワーマンションを……AI医療と超高層サウナのテーマパークにするだと!?」


数日後、下山市役所の大会議室で、板垣理事長をはじめとする温泉組合の主たちが目を丸くしていた。


南越急行が提示した『下山スノー&サーマル・リゾート構想』の全貌に、参加者からは驚きと半信半疑の声が漏れる。


「そんなハイカラなものが、この歴史ある温泉街に受け入れられるのか?」

「だいたい、あの巨大なタワーマンションの買収や改修にどれだけの資金がかかると思っているんだ!」


騒然とする室内。その疑問に答えたのは、大石だった。


「資金調達については、すでに南越急行が主導し、グローバルなウェルネス投資ファンドおよび海外投資家からのESG投資枠として百五十億円の調達目処を立てています。さらに、タワーマンションの所有者組合および管理会社との間で、南越急行による一括借り上げ・一部取得の優先交渉権を得ました」


大石の完璧な財務裏付けに、会議室が静まり返る。


そこへ古賀が一歩踏み出した。


「板垣理事長、そして老舗旅館の旦那方! 昔ながらの『宴会と温泉』の時代はもう戻ってこねえんだ。だがな、あんたらが長年守ってきたこの下山の『名湯』と『歴史ある街並み』の価値が消えたわけじゃない! 時代に合わせた最高のパッケージを着せてやれば、世界中から人が押し寄せる最高の温泉地に生まれ変われるんだよ!」


古賀は力強く拳を握りしめた。


「旅館の経営を捨てろって言ってるんじゃない。あのタワーに長期滞在する客たちが、夜になればあんたらの中華屋や居酒屋に飲みに出て、昼間は地元の商店で買い物をする。隣の山型市からもどんどん客が流れてくる。南越急行が作る新しい拠点が、温泉街全体に金を落とす巨大なポンプになるんだ! 俺たちと一緒に、もう一度賭けてみないか!」


古賀の血の通った熱弁と、大石の完璧な数字、そして静かに確信に満ちた眼差しを注ぐ篠原の姿。


板垣理事長はゆっくりと立ち上がり、深く息を吐いた。


「……老生は、下山の雪とあの巨大なマンションを持て余していました。雪のせいで客が減り、タワーは街の異物になっているとすら思っていた。しかし、南越急行さんはその雪もタワーも『宝だ』と言ってくれた。——篠原社長、古賀さん、大石さん。この下山温泉の未来、南越急行さんに預けます!」


満場一致の拍手が、会議室に鳴り響いた。


それから二年の月日が流れた。


かつて空き部屋の多さが懸念されていた巨大タワーは、洗練されたデザインと最新の環境技術が融合した『南越下山タワー・サーマルレジデンス』として劇的な変貌を遂げていた。


屋外は激しい吹雪が吹き荒れる真冬の夜。


しかし、タワーの最上階に新設されたガラスドーム型「天空スパ」の中は、極上の熱気と温泉の香りに包まれていた。


「……オー、これは素晴らしい……!」


最上階のサウナで汗を流し、源泉掛け流しの水風呂で身体を締めた客たちが、外気浴デッキへと足を踏み出す。マイナス10度の極寒の風と舞い散る雪が火照った身体を包み込み、眼下には白銀の世界と、プロジェクションマッピングで虹色に輝く下山温泉街の湯煙、そして遠く山型市の美しい夜景が広がっている。


「アメイジング……! この高さ、この雪、そして温泉の組み合わせは世界のどこにもない!」

滞在している欧州からの投資家が、感嘆の声を上げた。


街へ出れば、完全ロードヒーティングが施された「湯煙スノープロムナード」を、暖かい防寒着を着た長期滞在客や観光客たちが楽しそうに行き交っている。新山型交通のスマートバスが山型市と下山市を頻繁に往復し、二つの街は一つの巨大な「観光・生活都市圏」として融合していた。かつてシャッターが目立った温泉街の居酒屋や飲食店は、連日満席の盛況ぶりだった。


「篠原社長、大石専務、古賀副社長!」


温泉街のプロムナードで、板垣理事長が駆け寄ってきた。その顔は寒さではなく、歓喜で赤く染まっている。


「今期の温泉街全体の宿泊・滞在者数、そして地域での消費額が過去最高を記録しました! タワーレジデンスの長期滞在枠は来年までキャンセル待ちです!」


「やりましたね、板垣理事長」篠原が温かい笑顔で握手を交わした。


大石がタブレットを見ながら、珍しく満足そうに頷いた。

「新幹線下山駅の利用客数も前年比230%増。さらに、山型市のヤマガタ・クロッシングとの相乗効果により、両市間を移動する旅客収入も激増しています。本プロジェクトの投資回収率は予定より三期早く達成できる見込みです」


「ハハハ! 相変わらず大石は計算が早いな!」

古賀が豪快に笑いながら、大石の肩をポンと叩いた。


「ですが古賀副社長」大石は眼鏡の位置を正しながら続けた。「『雪と高さを害ではなく宝に変える』という篠原社長のアイデアと、それを現場に泥臭く叩き込んだ古賀副社長の実行力がなければ、この数字は絶対に生まれませんでした」


大石の言葉に、古賀は一瞬驚いた顔を見せ、それから照れくさそうに頭をかいた。


「けっ、たまには良いこと言うじゃねえか、大石」


二人の様子を見つめながら、篠原は夜空へと舞い上がる温かな湯煙と、聳え立つタワーの灯りを見上げた。


かつて渡辺老社長と長谷川前副社長から受け継いだ南越急行の精神。

それは単に線路やバスを守ることではない。地域の持つ眠れる価値や一見「弱点」に見えるものを、最新の知恵と圧倒的な情熱で「最大の強み」へと引き上げ、街に希望を灯すことなのだ。


「さあ、二人とも」篠原が向き直し、未来を見据えた力強い言葉を紡いだ。


「山型市、そして下山市。私たちの『地域再生・広域モビリティモデル』は完全に成功を収めた。今後の未来へ向けて、南越急行の挑戦をさらに加速させるぞ!」


「おう!」古賀が夜空へ向けて力強く拳を突き上げる。

「了解いたしました、篠原社長」大石が確信に満ちた笑みを浮かべて頷く。


降りしきる雪の中、湯煙とタワーの光に包まれた下山温泉の街に、南越急行が刻んだ新たな伝説のページが、温かく、そして誇らしく光り輝いていた。

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