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第39章 明日へ走る隣県路線バス

第39章 明日へ走る隣県路線バス


新体制が発足してまもない秋のことだった。


南越急行の本社社長室で、大型モニターを見つめる篠原の横顔には厳しい影が落ちていた。


モニターに映し出されているのは、隣県・山型県で昭和の時代から県民の足として親しまれてきた老舗バス会社「新山型交通」の路線網と、深刻な財務データだ。画面上部には『新山型交通:出資および支援要請案件』の文字が躍っている。


専務の大石が手元の資料を繰りながら、淡々と説明を続けた。


新山型交通(シン・ヤマコー)の今期赤字額は過去最大。このままでは一年以内に資金がショートし、倒産に至ります。彼らは南越急行のグループ企業ではありませんが、長年山型県の交通インフラを一手にな担ってきた独立系の大手バス会社です。今回、同行のメインバンクを通じて、我が社に破格の条件での資金提供と、グループ傘下入りを見据えた経営支援の打診がありました」


「かつては県内どこへ行くにもあのエンジ色のバスが走っていたものだが……原因は、やはり例の件か」篠原が呟く。


「はい」大石が眼鏡のフレームを押し上げた。「レベル4以上の完全自動運転電気自動車(EV)の急速な普及と、各自治体による自動運転ミニタクシーの実用化です。新山型交通の主要顧客だった高齢者層が、自宅の玄関から目的地まで直接移動できる自動運転車へ流出しました。免許を持たない世代を運ぶことで成り立っていた老舗バス会社から、顧客が消えたのです」


篠原は重い息を吐いた。地方交通のセーフティネットという前提を、テクノロジーの進化が根底から覆したのだ。


その時、社長室のドアが勢いよく開いた。


副社長の古賀だった。日焼けした顔に疲労の色を滲ませながらも、その目は激しい熱を帯びている。山型県にある新山型交通の本社へ飛び、現場の状況を直接確かめてきた帰りだった。


「篠原社長、大石。話は聞いているな」

古賀はドカリとソファに腰を下ろすと、ネクタイを緩めた。


「古賀さん、現場はどうでしたか」篠原が尋ねる。


「悲惨なもんだよ」古賀は顔をしかめた。「バスターミナルはガラガラ、現場の運転手も営業所の連中も『自動運転の車には勝てない』と完全に自信を失っている。……だがな、あそこは俺が山型鉄道にいた頃から、同じ山型県で互いに手を携えて地域を支えてきた仲間だ。南越急行が資金を出して買い取り、グループに組み込んで再生させる価値は十分にある。見捨てるわけにはいかん!」


大石が冷淡とも取れる声で口を挟んだ。

「気持ちは理解できます、古賀副社長。ですが、我が社が資金提供を行い、将来的にグループ企業化するということは、彼らの膨大な赤字とリスクを南越急行が丸抱えするということです。単に運賃を下げたり、赤字補填の資金を垂れ流すだけの支援なら、私は財務担当として反対します」


「大石! お前は冷たいやつだな」古賀が身を乗り出す。


「冷たいのではなく、厳格なのです」大石は動じずに古賀を見つめ返した。「資金を提供するからには、自動運転時代における『新山型交通の存在意義』を根底から再定義し、明確な黒字化の道筋を描く必要があります。それができて初めて、我が社の株主に対してもグループ化の正当性を説明できるのです」


篠原は二人のやり取りを見つめながら、ゆっくりと立ち上がった。


「二人とも、言いたいことは分かった。古賀さんの『地域インフラを守る』という熱意も、大石の『責任ある資金運用』という筋道も、どちらも南越急行の経営には不可欠だ。——よし、南越急行として新山型交通への資金提供と再生支援を引き受けよう。ただし条件は一つ。出資と引き換えに経営権の過半数を段階的に取得し、我が社の手で完全に新生・新山型交通として蘇らせる」


翌週、山型県内にある新山型交通の本社会議室には、重苦しくもピリピリとした緊張感が漂っていた。


「……南越急行様からの資金援助、およびグループ入りを前提とした経営再建案……ですか」


新山型交通の社長が、渡された提案書を握りしめながら声を震わせた。同席している地元の自治体関係者や生え抜きの幹部たちも、複雑な表情を浮かべている。長年独立系として誇りを持って営業してきただけに、「南越急行の傘下に入る」という現実に対する抵抗感と、背に腹は代えられない切迫感が交差していた。


中央に立った篠原が、穏やかだが力強い声で切り出した。


「皆さん。私たちは単に新山型交通を買い叩きに来たわけではありません。南越急行の資本とテクノロジー、そして皆さんが長年培ってきた地域密着の現場力を融合させ、この会社を山型県の未来に不可欠な企業へと再生させるために来ました」


続いて古賀が一歩前に出、プロジェクターの画面を切り替えた。そこに映し出されたのは、従来のバス路線図ではなく、複雑な物流ネットワークと「地域密着型モビリティ」という言葉が踊る新しい事業構想だった。


「いいか、みんな」古賀の声が会議室に響く。「俺たちはこれまで『定期路線で人間を運ぶこと』だけに固執していた。だが、自動運転の車が増えて道路が混雑し、さらに深刻なトラックドライバー不足が続く中、山型県のすみずみにまで細い道路網を知り尽くした営業所と配送網を持っているのは誰だ? この新山型交通なんだよ!」


大石がバトンを受け取り、レーザーポインターで資料を指し示した。


「南越急行が提供する再建資金をもとに、新山型交通の『スマート・モビリティ&物流インフラ化』を推進します。具体的には三つの改革を行います」


大石は理路整然と戦略を説明し始めた。


第一に、「貨客混載・スマート配送バスの導入」。

乗客が減った路線バスの車内後部を改造し、完全自動化された荷物輸送スペースとする。沿線の農産物や大手ECサイトの宅配便をバス営業所で預かり、各地域のバス停まで運ぶ。さらに自社で小型自動運転EVを配備し、バス停から個々の自宅までの「ラストワンマイル配送」と「買い出し代行」を行う。


第二に、「AIオンデマンド・デマンドバスへの全面移行」。

固定の時刻表通りに走らせて空車を出すのをやめ、住民がスマホや専用端末から呼び出した時だけ最適なルートを走るAIデマンドバスへと転換する。


第三に、「バス営業所の『まちのハブステーション』化」。

県内各地に点在する古くなったバス営業所や待合所を南越急行の資金で全面改修する。自動運転EVの急速充電スポット、移動診療車や移動スーパーが訪れる広場、物流の受取拠点として再開発する。


「自動運転車は、バスのライバルではありません」大石が眼鏡を光らせて言った。「山型県内を熟知した新山型交通が、南越急行の資金で最新技術を取り込み、輸送と物流を統合する。これによって地域の移動を支えながら、物流企業からの受託収入という巨大な収益の柱を確立します」


「南越急行の傘下に入れば……長年続いてきた『新山型交通』の誇りや、俺たち現場のやり方はどうなるんだ!?」

生え抜きの幹部の一人が叫んだ。


騒然とする室内。その不安を断ち切ったのは、古賀の力強い一打だった。古賀がドカンと机を叩いて立ち上がった。


「誇りを捨てる必要がどこにある!」


古賀は幹部たち一人ひとりの目をまっすぐに見つめた。


「俺は元々山型鉄道にいたから、お前たちの悔しさはよく分かる。時代が変わって、お客さんが減って、『もう老舗バスなんていらないんじゃないか』と言われるのが一番辛かったろ? だがな、会社の名や伝統を守る最高のやり方は、時代の変化に合わせて生き残ることだ! 南越急行は金も出すし、仕組みも提供する。だが、実際に山型の現場で汗をかき、住民を笑顔にするのはお前たちなんだよ!」


古賀の血の通った言葉に、下を向いていた幹部たちの目が変わり始めた。


新山型交通の社長が、ゆっくりと篠原に向き直った。

「篠原社長……我が社を南越急行グループの一員として受け入れ、共に山型県の未来を作らせていただけますか」


篠原が優しく、しかし確信に満ちた笑みを浮かべて頷いた。


「喜んで。渡辺前社長と長谷川前副社長から学んだ南越急行の精神をもって、皆さんを全力でバックアップします。新山型交通を、全国の地方交通が目指すべき『未来のモビリティモデル』にしてみせましょう」


こうして、南越急行による第三者割当増資の引き受けと経営支援協議が成立し、新山型交通のグループ化と再建プロジェクトが正式に始動した。


それからの半年間、南越急行と新山型交通の共同作業は怒濤の勢いで進んだ。


古賀はほぼ毎日のように山型県へ入り、新山型交通の運転手、整備士、営業所の所長たちと膝を突き合わせて話し合った。


「南越急行から来た連中の思い通りにはならん」と警戒するベテラン運転手に対し、古賀は作業着を着て営業所に入り、自ら汗を流しながら説得を続けた。


「会社が変わっても、お前たちがこの街の命繋ぎであることに変わりはない。自動運転の時代だからこそ、山型の雪道を熟知したお前たちの腕が必要なんだ。胸を張れ!」


古賀の圧倒的な情熱により、現場の警戒感は「南越急行と共に新しい会社を作る」という熱気へと変わっていった。


一方、大石の動きも冴え渡っていた。


大石は南越急行の資金を効率的に投入するため、綿密な財務スキームを構築。政府の「地方創生モビリティ補助金」を限界まで引き出し、さらに大手物流会社数社と山型県全域における小口配送の包括受託契約を結ぶことに成功した。


「篠原社長、新山型交通への第一期投資およびグループ化に向けた株式取得が完了しました」

本社に戻った大石が、珍しく満足そうな表情で報告してきた。

「南越急行からの出資に加え、提携金融機関からの低利融資枠も確保。新山型交通の有利子負債の圧縮と、新システムの導入費用はすべて計画通りに賄えます」


「見事な手腕だな、大石」篠原は感嘆した。「冷徹に見えて、新山型交通の未来を誰よりも計算してくれていた」


「古賀副社長が現場の意識改革を成功させてくれたおかげです」大石は照れくさそうに目を逸らし、「現場が動かなければ、どんな完璧な財務計画も絵に描いた餅ですから」と付け加えた。


篠原は胸が熱くなるのを感じた。情熱で現場を引っ張る古賀と、冷徹な戦略と資金調達で基盤を固める大石。二人を経営陣に引き入れた渡辺と長谷川の判断の正しさが、今まさに証明されようとしていた。


一年後。春の陽気が差し込む、新装なった「山型中央バスターミナル」。


ターミナルには、新山型交通の伝統あるエンジ色を基調としながらも、南越急行グループのシンボルマークが誇らしげに刻まれた新型の低床スマートバスが滑り込んできていた。


車体前部は快適な客席スペース、後部は自動積み込み機能付きの物流ドックになっている。ターミナルに併設された配送センターから、地元の採れたて果物や宅配便のコンテナがスムーズに車内へと吸い込まれていく。


ターミナルの広場には、自動運転の小型デマンドEVが整然と並び、バスから降りてきた乗客たちをスムーズに目的地へと送迎していた。


「見てください、社長」

古賀がターミナルの屋上デッキで、感慨深そうに街並みを見つめていた。


かつて静まり返っていたバスターミナルには、買い出しの高齢者だけでなく、物流関係者や新しい移動システムを視察に来た全国の自治体関係者で活気が戻っていた。


「新山型交通の今期決算ですが、旅客収入の回復と物流受託事業の急成長により、南越急行の連結子会社化初年度にして単年度黒字化を達成する見込みです」大石がタブレットを見ながら報告する。


「やったな……!」古賀が大石の背中をバシッと叩いた。大石は「痛いです、古賀副社長」と顔を歪めたが、その口元には確固たる笑みが浮かんでいた。


篠原は二人を交互に見つめ、それから青く澄み渡る山型県の空を見上げた。


(渡辺さん、長谷川さん。見ていてくれていますか)


自動運転という時代の変化に飲まれそうになっていた他社の老舗バス会社を、南越急行の資金と情熱によって救い出し、グループの新たな成長エンジンへと生まれ変わらせた。先代たちが去った後、自分たちが選んだ新体制の道は間違っていなかったのだという強い確信が、篠原の胸に湧き上がってきた。


「さあ、二人とも」篠原が二人に向き直った。「新山型交通のグループ化と再生は、まだ第一歩だ。この地方交通再生モデルを、全国の困窮する交通事業者へ横展開していくぞ。南越急行の本当の挑戦は、ここからだ!」


「おう!」古賀が力強く拳を突き上げる。

「了解しました、篠原社長」大石が頼もしく頷く。


若き経営陣三人——篠原、古賀、大石の手によって、南越急行は新たな時代の荒波を力強く突き進み始めたのだった。

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