第113章 永遠の出発進行(未来へのレール)
春。
雪解けの水が大沼盆地を潤し、澄み渡る青空のもとで大沼の山々が新緑の息吹を吹き返し始めていた。
南越急行ホールディングス。
かつて年間十数億円の赤字を出し、300億円の内部留保を目減りさせながら倒産と路線廃止の恐怖に震えていた地方の弱小第三セクター鉄道は、いまや時価総額100兆円を超え、世界の金融・製造・建築・医療・宇宙・エネルギーを牽引する地球上唯一無二の超巨大インフラ・コンツェルンへと到達していた。
六日町メガロポリスの本社高層タワー。
最上階のCEO室で、篠原賢人は一杯の温かいジャスミン茶(南越ビバレッジ特選一級品)を手に、窓の外を見下ろしていた。
地上では、完全複線化・160km/h全自動運転を達成した『なんなん線』のホームに、自社製の超高速AI電車『NK3500系』が静か滑り込んでいる。
高架のさらに上空では、新形スカイラインの大型都市型モノレールが市内を縦横無尽に駆け巡り、遥か成層圏の空には、新新形国際空港から飛び立った超音速旅客機『B7137』と、宇宙ステーション『グランド・ラビット』へ向かう宇宙シャトル『ラビット・キャリア』が白筋のコントレールを描いていた。
ドアが静かに開き、最高財務責任者(CFO)の大石専務と、南越重工業社長兼グループ副社長の古賀が入ってきた。
大石がタブレットを操作しながら、いつも通りの冷静な声で報告する。
「全グループの年次決算が出揃いました。当期純利益は、連結で四十二兆六千億円。南越フィナンシャル・グループの預金残高は一千兆円を突破。自己資本比率は九十四%、グループ全体の従業員数は協力会社を含め、全世界で五百万人を超えました」
「ガハハハ! 1000兆円か!」
古賀が豪快に笑いながら、篠原の隣に立った。
「渡辺の親父さんが生きてたら、『篠原、数字の桁を間違えておらんか?』って、また目を丸くしてひっくり返ってたろうな」
「ええ……」
篠原は柔らかく目を細め、デスクの上に飾られた一枚の古びた写真を愛おしそうに見つめた。
そこには、倒産の危機に苦しみながらも全財産の個人保証を書いて会社を賭けた故・渡辺前社長と、現場を泥まみれになりながら守り抜いた長谷川前専務、そして若き日の自分たちが、旧型電車『NK100形』の前で肩を組んで笑っている姿が写っていた。
この日、六日町メガロポリス中央駅の前では、歴史的な式典が執り行われようとしていた。
『故・渡辺前名誉会長 追悼メモリアル広場 完成披露式典』。
駅前広場には、新形県知事、沿線首長、国連関係者、NASA長官、そして地元の住民や全国から駆けつけた鉄道ファンなど、数万人の人々が埋め尽くしていた。
新形テレビ20の代表番組として、ベテラン報道記者・高橋とカメラマンの井上が、宇宙ステーション『グランド・ラビット』および全世界へ向けて生中継を行っていた。高橋の握るマイク、そして井上の担ぐ最新鋭8Kカメラの側面には、あの破産寸前時代から変わらない「古びたガムテープ」の切れ端が、誇り高く貼られていた。
「こちら新形テレビ20です。いま、かつて倒産寸前だった南越急行を、己の命と全財産を賭けて守り抜いた伝説の経営者、故・渡辺前社長の銅像除幕式が始まろうとしています!」
壇上には、黒のスーツに身を包んだ篠原賢人CEO、古賀副社長、大石専務の三人が立っていた。さらに、車椅子に乗った九十歳を超える長谷川前副社長の姿もあった。長谷川の目には、万感の思いの涙が浮かんでいた。
「除幕です!」
合図とともに白い幕が引かれると、そこには力強い眼差しで遠くの線路を見つめ、温かい笑顔を浮かべた渡辺前社長の等身大ブロンズ像が現れた。その足元には、彼が遺した手帳の言葉が黄金の文字で刻まれていた。
『会社は人より長く生き続けるべきもの。稼いだ金は未来を信じる魂だ。線路に終着駅はない』
拍手と歓声が、大沼の山々にこだまのように響き渡った。
マイクの前に、最高経営責任者・篠原賢人が進み出た。
世界中のテレビ、スマートフォン、そして宇宙ステーションのスクリーンに、篠原の静かで凛とした姿が映し出された。
篠原は集まった万雷の聴衆を見渡し、静かに語り始めた。
「……三十年前、この南越急行は年間十数億円の赤字を出し、緩やかな破綻へと向かっていました。先人が残してくれた300億円の遺産を、ただ減らしていくのを指をくわえて見ているだけの、消えゆく運命の会社でした」
静まり返る広場で、篠原の声が心地よく通り抜ける。
「しかし、私たちは諦めなかった。渡辺前社長が全財産を担保に入れ、長谷川前専務が現場を守り、私たちは未来の可能性へ、AIと半導体の時代の到来へ賭けました。金融という戦場で二兆円を掴み取り、その資金で地域の足を守り、地銀を救い、製造、建設、医療、教育、エネルギー、そして宇宙へと、我々の手で『必要なインフラ』を創り出し続けてきました」
篠原は渡辺前社長の銅像を振り返り、深く頭を下げた。
「私たちが今日まで歩んできた道のりは、けしてスマートなものではありませんでした。ノイズと批判に晒され、ハゲタカの脅威に晒され、過酷な雪と泥にまみれながら、愚直に『目の前の人々の暮らしと未来』を守るために走り続けてきた泥臭い道のりでした」
篠原は再び聴衆と世界に向き直り、力強く宣言した。
「時価総額が100兆円になろうと、世界や宇宙へ進出しようと、我々の本質は変わりません。南越急行は、どこまでも泥臭い『鉄道会社』です。人と人、地域と世界、そして今日と明日を繋ぐ架け橋——それが我々の存在理由です!」
篠原のスピーチが終わると同時に、会場全体を包み込む壮大な演出が始まった。
北塚歌劇宴劇団のトップ男役・翼をはじめとする麗人たちが、白亜の特設ステージで『輝ける未来へのレール』を祝する美しいコーラスを響かせる。
直後、高架の『なんなん線』本線上に、四つの時代を象徴する列車が一列に並んで滑り込んできた。
先頭は、昭和の時代を駆け抜けた懐かしの『NK100形』。
続いて、かつて時速160kmで黄金のバイパスを走った伝説の特急『NK2000系・ホワイトラビット』。
そして、全線複線化と自動運転を達成した『NK3500系』。
最後尾には、JR北日本との統合によって見事に奇跡の復活を果たした超高速特急『新・特急なんたか(NK-JR K9000系)』。
歴代の四編成が一斉に、空へ向かって「フォンーーーーッ!!!」と誇り高き長笛を鳴り響かせた!
それだけでは終わらない。
上空からは、南越エアラインズと南越重工業が誇る最新鋭超音速旅客機『B7137』が、南越ブルーのスモークを引いて祝賀ローパスを敢行。さらにその上空、青澄む成層圏へ向かって、新新形国際宇宙港から打ち上げられた最新鋭宇宙シャトル『ラビット・キャリア』が、銀色の尾を引いて大空へと翔けていった。
陸、海、空、そして宇宙——。
南越急行グループが築き上げたすべての技術と情熱が、一つの壮大なシンフォニーとなって世界を彩った瞬間であった。
「すごい……! これが、南越急行だ!」
集まった住民たち、そして子供たちが、溢れる笑顔と涙で手を振り、拍手を送り続けた。
式典が終わり、狂熱の余韻が残る夕暮れ時。
六日町駅の古い一番ホームに、篠原賢人、古賀副社長、大石専務の三人が佇んでいた。
夕日が赤く魚沼の山々を染め上げ、新しく敷かれた複線のレールが、黄金色の光を反射して遥か彼方へと伸びている。
古賀が感慨深そうに、ホームの柱に手をついた。
「なあ篠原、大石。俺たちの作ったこの会社は、どこまで行くんだろうな? 月へ行って、地中海を救って、アマゾンを緑にして……次は火星か? それともさらに遠い星か?」
大石専務がポケットからタブレットを取り出し、微かな笑みを浮かべて眼鏡を押し上げた。
「火星探査インフラ構想の初期予算案なら、すでに試算済みです。総事業費二十五兆円、南越重工業と南越建設のAI施工部隊を使えば、五年で一次基地の輸送路を完成させられます」
「ハッ! 相変わらず仕事が早いな大石!」
古賀が豪快に笑い、大石の肩をポンと叩いた。
篠原賢人は温かいジャスミン茶を口にし、そよ風に吹かれながら、どこまでも続く真っ直ぐな線路を見つめた。
「どこへ行こうと、私たちのやるべきことは一つだ」
篠原の言葉に、古賀と大石が静かに頷く。
「傷ついた地域や、途絶えかけた人々の暮らしがある限り、私たちはそこへ真っ先に駆けつけ、壊れない絶対のインフラと未来を創り続ける。渡辺前社長が教えてくれた通り……線路に、終着駅はないのだから」
カタン……コトン……。
遠くから、夕闇の迫るホームへ、最新鋭の160km/hAI特急『新・なんたか』が滑り込んできた。
先頭形状に描かれた「南越急行」のエンブレムが、夕日に照らされて誇らしく輝いている。
三人は顔を見合わせ、満足そうな、そして少年のように澄んだ笑顔を交わした。
篠原賢人が右手を高く掲げ、力強く、そしてどこまでも晴れやかに合図を出した。
「南越急行……未来へ向かって、出発進行!」
長笛の音が、静かな越後の夜空へ向かって響き渡る。
弱小の赤字ローカル線から始まった男たちの物語は、いま、地球を包み込み、宇宙を繋ぎ、人々の永遠の笑顔と希望を乗せて——どこまでも続く光り輝く未来のレールの上を、力強く駆け抜けていくのだった。




