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第112章 不滅の情熱と小さな駅の物語

月面での鉄道敷設、地中海を救った地下導水管、そしてアマゾンの熱帯雨林再生——。

地球規模、宇宙規模の国家的・地球的プロジェクトを次々と完工させ、時価総額100兆円を超えたメガ・コングロマリット『南越急行ホールディングス』。


世界中のメディアがその圧倒的な資金力と先端テクノロジーを称賛し、各国の首脳が六日町へ日参する狂熱の日々の中、南越急行の最高経営責任者(CEO)篠原賢人のもとに、一通の封書が届けられた。


電子メールでも超高速量子通信でもない。使い古された薄い便箋に、震える手で書かれた鉛筆の文字。

差出人は、南大沼の山あいにある小さな集落「辻地区」の自治会長・小林トメ(82歳)であった。


『南越急行 篠原社長様、古賀様、大石様。

毎日、テレビで皆様のご活躍を拝見し、誇らしく思っております。

今日は、勝手なお願いがあり手紙を書きました。

なんなん線の『旧・越後辻えちごつじ駅』の木造駅舎が、老朽化で取り壊されると聞きました。

あそこは、私たちが若い頃に街へ手編みのニットを売りに行った思い出の駅です。今でも、放課後には近所の子供たちが集まり、お年寄りが日向ぼっこをする大切な場所です。

複線化や高速化で電車が止まらなくなったことは分かっております。ですが、どうか、私たちの思い出の詰まったあの小さな駅舎を、消さないでいただけないでしょうか——』


大石専務がタブレットの資産管理データを手際よく操作し、篠原の前に提示した。

「旧・越後辻駅舎ですね。なんなん線複線化の際、直線化工事に伴い信号場へ格下げされた築70年の木造建築です。耐震基準を満たしておらず、年間維持費と安全管理上の観点から、来月3日に解体撤去が予定されています。代替の避難小屋設置を含め、解体予算は2500万円です」


大石はポーカーフェイスのまま、論理的に付け加えた。

「現在のグループの規模からすれば、この駅舎の存続による経済的合理性は皆無です。解体して保線用資材置き場にするのが、最もリスクの少ない選択肢となります」


だが、その報告を聞いていた南越重工業社長の古賀副社長が、身を乗り出して身を乗り出した。

「大石……お前、数字だけ見て物言ってるんじゃないぞ。小林のおばあちゃんと言えば、かつて会社が300億円の賭けに出た時、苦情電話の嵐の中で『南越急行を信じる』と自家製の野沢菜漬けを事務所に差し入れてくれた人じゃないか!」


「感情と経営判断は別です、古賀副社長」

「別じゃねえ! 俺たちの原点は何だ!? この雪国の乗客一人ひとりの暮らしを守ることじゃなかったのか!?」


二人の議論を静かに聞いていた篠原賢人が、ゆっくりと立ち上がった。

篠原は手紙を丁寧に折りたたみ、胸ポケットに収めると、二人を見据えた。


「大石、明日の午後のスケジュールをすべてキャンセルしろ」

「……はい? 明日はNASA長官とのオンライン会談と、南越フィナンシャル・グループの2兆円規模の社債発行の最終承認がありますが」

「NASAには一時間遅らせると伝えろ。金融の承認は私が移動中に車内で出す。……現場へ行くぞ。旧・越後辻駅だ」


翌日の午後、新潟県南魚沼市辻地区。

冬の訪れを告げる冷たい初雪が、静かに山あいの集落を覆っていた。


黒の高級センチュリーから降り立ったのは、世界を動かす三人の男たち——篠原賢人、古賀、そして大石専務であった。


そこに立つのは、塗装が剥げかけ、屋根に雪を乗せた小さな木造駅舎『旧・越後辻駅』。

複線化工事によって新しく敷かれた高架のなんなん線本線を、最新鋭の160km/hAI電車『NK3500系』が「シューン!」と一瞬で走り抜けていく。高架下の地上に残された旧線のホームと木造駅舎は、時代の潮流から取り残されたかのように、ぽつりと佇んでいた。


駅舎の軒下には、ストーブの薪を抱えた小林トメと、近所の小学生たちが数人、身を寄せ合っていた。


「篠原社長……! こんな大勢の偉い方々が、わざわざこんな山奥まで……」

トメが驚き、腰をかがめて頭を下げた。


「小林さん、お久しぶりです。野沢菜漬けのお礼も言えずじまいでした」

篠原が膝をつき、トメの手を温かく包み込む。


古賀が駅舎の中に入り、古い柱や手書きの運賃表、木製の改札口を愛おしそうに撫でた。

「いい柱だ。渡辺の親父さんや長谷川専務が、かつて160km/hの特急『なんたか』を走らせるために、泥と雪にまみれて守り抜いた時代の匂いが残ってる……」


大石もまた、静かに駅舎の中を見回した。

かつて冷徹な「金融の怪物」として篠原の右腕となり、数々のM&Aや金融取引を成功させてきた大石だったが、古びたベンチの上に置かれた、子供たちの「駅ノート」に目が止まった。


そこには、拙い文字でこう書かれていた。

『きょうも なんてつの でんしゃが かっこよく はしってた。大きくなったら、ぼくも なんてつの うんてんしさんになる』


大石はポーカーフェイスのまま、一瞬だけ眼鏡を押し上げ、深く息を吐いた。


「大石」

篠原が振り返り、大石を見つめた。

「この駅舎を補強し、存続させるためのプロジェクトを立ち上げる。予算の枠組みはどうする?」


大石はタブレットを取り出し、数秒の長考の後、静かに画面をタップした。

「……二千五百万円の解体予算を撤回。代わりに、地域未来ファンドから『2億円』を一括拠出します」


「2億!?」古賀が驚いて大石を見た。


「ただ古びたまま残しては、来年の猛雪で倒壊し、地域の方々に危険を及ぼします」

大石の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。

「どうせ残すなら、我がグループの持てる最高の技術を投入し、300年耐え抜く『現代の奇跡の駅舎』へリノベーションすべきです」


「よっしゃあ! それでこそ大石だ!」古賀が豪快に大石の背中を叩いた。


直ちに、南越急行グループの総力が、このわずか坪数二十坪の小さな木造駅舎へ結集した。


南越建設の井上社長率いる技術部隊が急行。

月面や地中海で培った全自動AI施工技術と、伝統的な越後大工の職人技を融合させた突貫工事が始まった。


駅舎の木造骨組みはそのまま活かしつつ、地幹部には南越重工の超高強度ナノセラミック基礎を打ち込み、全自動耐震ダンパーを内蔵。

屋根にはサロナエアコンと南越電力が開発した「融雪ナノソーラーパネル」を敷設し、雪が積もることなく自前で100%のクリーン電力を供給する仕組みを構築した。


さらに内部には、南越アグリの新鮮なお米や野菜が並ぶ直売スペース、新形ビバレッジの『特選一級品』が飲める全自動カフェ、南越信託銀行の無人高齢者相談窓口、そして超高速光網を完備した学習スペース『ラビット・キッズルーム』が整備された。


「よし! 二次交通も完璧に繋ぐぞ!」

古賀の指示により、本産自動車の完全自動運転電気バス『ぶーぶーん・プチ』が、辻集落と六日町病院、スーパーカワサワをピストン移動する無料オンデマンドルートを開設したのである。


工事開始からわずか一週間。

完成した『新・越後辻ステーション・カフェ』のオープン式典が行われた。


初雪が舞う中、集落の住民数十人と子供たち、そして篠原、古賀、大石、さらには新形テレビ20の取材陣が集まっていた。


昔ながらの温もりある木造の風合いを残しながら、最新の耐震・融雪・通信・自動運転ハブ機能を備えた新しい駅舎。

薪ストーブの温かい火が揺れるカフェスペースで、小林トメがお手製の野沢菜漬けと熱いジャスミン茶を篠原たちに振る舞った。


「篠原社長……大石様、古賀様……。こんな素晴らしい場所にしていただいて、感謝の言葉もございません……」

トメが涙を拭いながら頭を下げる。


篠原はトメの差し出した野沢菜漬けを美味しそうに口へ運び、深く頷いた。

「小林さん。我々南越急行がどれほど大きくなろうと、どれほど遠く宇宙へ進出しようと、我々を育ててくれたのは、この雪国と、あなた方の温かい笑顔です。一人の乗客の暮らしと笑顔を守れない会社に、世界や宇宙を守ることなどできません」


新形テレビ20のベテラン記者・高橋が、その光景をマイクを手に静かに見つめていた。

カメラマンの井上が、ガムテープの貼られたカメラで、涙を流すお年寄りたちと、楽しそうに自動運転バスに乗り込む子供たちの姿を、ファインダー越しに優しく捉えていた。


「こちら新形テレビ20です」

高橋がカメラに向かって、静かに語りかける。

「時価総額百兆円、世界最大となった巨大コングロマリット・南越急行。しかし彼らが今日守り抜いたのは、数十億円の利益ではなく、雪国の小さな集落の『たった一つの思い出と、人々の温もり』でした。真の豊かさとは何か。南越急行のレールは、今も変わらず、人々の心に寄り添い続けています」


式典が終わり、住民たちが楽しそうにカフェで過ごす中、篠原、古賀、大石の三人は、新しく敷かれた雪のホームに立っていた。


高架上を、最新鋭の160km/hAI電車『NK3500系』が長笛を響かせて走り去っていく。


大石がタブレットを閉じ、静かに口を開いた。

「……今回のリノベーション事業費2億円、当然ながら単体での投資回収は見込めません。ですが、地域住民の健康寿命延伸による医療費削減効果、および『南越ブランド』に対する圧倒的な地域信頼度の向上を勘案すれば、定性的な企業価値は数千億円規模で跳ね上がったと試算できます」


古賀が豪快に笑った。

「相変わらず計算が早いな、大石! だがな、数字以上に俺たちの胸がスッとしただろ?」

「……まあ、否定はしません」大石もまた、珍しく穏やかな笑みを浮かべた。


篠原はポケットから温かいジャスミン茶を取り出し、ふっと息を吹きかけた。


「古賀、大石。我々が走らせてきたレールは、どこへ向かっていると思う?」

篠原の問いに、二人は静かに耳を傾ける。


「地球を駆け巡り、宇宙へ伸び、そしてこの小さな駅舎へ戻ってきた。レールとは、ただの鉄の棒じゃない。人と人、心と心、そして過去と未来を繋ぐ『命の架け橋』だ」


渡辺前社長の手帳に遺されていた言葉——「線路に終着駅はない」。


三人の表情に、迷いは一切なかった。

どれほど時代が移り変わろうとも、どれほど巨大な存在になろうとも、彼らの胸に宿る「泥と雪にまみれて線路を守った鉄道マンの誇り」は、永遠に消えることはない。


降リしきる白銀の雪の中、三人は力強く足を踏み出した。

次なる時代、次なる挑戦、そして永遠に続く「未来へのレール」に向かって。

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