第110章 地中海の乾きと奇蹟の導水管
第110章 地中海の乾きと奇蹟の導水管
夏、南欧地中海沿岸部を、観測史上最悪となる未曾有の超巨大熱波と世界的旱魃が襲った。
ギリシャ、イタリア南部、スペイン東部、そしてバルカン半島一帯。
「神話の時代から絶えたことがない」と言われたエーゲ海沿岸の河川は干上がり、ひび割れた泥の底を晒していた。主要ダムの貯水率はゼロパーセントを記録。イタリア・シチリア島やギリシャ・ペロポネソス半島では、果樹園のオリーブやブドウの木が灼熱の太陽に灼かれて枯死し、数百万頭の家畜が渇きで倒れた。
「水がない……! アテネ市内の水道が完全停止した! 病院の透析機器も、消防の散水も動かない!」
アテネ市内の給水所に押し寄せた市民たちが、カラのポリタンクを手に暴動を起こした。
水不足に伴う衛生環境の悪化で感染症が蔓延し、さらに乾燥した森林から発生した大規模山火事が、古代の遺跡や街並みを呑み込んでいく。
ローマの国連食糧農業機関(FAO)本部で行われた緊急会合にて、欧州連合(EU)の代表は青ざめた顔で頭を抱えていた。
「アフリカからの難民問題どころではない。このままでは南欧全体の社会インフラが崩壊し、数千万人規模の『水難民』が発生する。既存の海洋散水船や給水車による緊急ピストン輸送では、焼け石に水だ……!」
だが、その惨状を前に、国連環境計画(UNEP)の特別大使が毅然として言い放った。
「我々には、サハラ砂漠でCO2回収プラントを作り上げ、パナマ運河のガトゥン湖の干魃をわずか三ヶ月で救済した『絶対的インフラの覇者』がいるはずだ。……南越急行ホールディングスへ、緊急人道支援を要請すべきだ!」
六日町メガロポリス。
南越急行ホールディングス本社CEO室に、国連事務総長およびEU首脳陣からの「非常事態SOS電文」が届いた。
「地中海沿岸諸国の旱魃……事態は深刻です」
CFOの大石専務が、各国の被害状況と気象データをモニターに表示させる。
「現地では淡水化プラントの新規建設が議論されていますが、従来型のプラントでは着工から稼働まで最低三年を要します。その前にギリシャと南イタリアの社会機能は完全に途絶します」
「三年だと? 冗談じゃない! 人間は水がなきゃ三日で死ぬんだぞ!」
南越重工業社長の古賀副社長が、デスクを激しく叩いた。
「篠原! ドバイでやった地底海水淡水化プラントと、パナマでやった生態系調整水生成技術があるだろ! うちの技術を結集すれば、地中海の危機だって救えるはずだ!」
篠原賢人は静かに立ち上がり、壁に掲げられた世界地図の「地中海」を鋭く指し示した。
「ああ。だが、単に沿岸部に淡水化プラントを建てるだけでは意味がない。内陸部の農地や山間部の都市まで、毎秒数千トン規模の水を一気に届ける『大動脈』が必要だ」
「大動脈……?」大石が眼鏡の奥の目を光らせる。
「地中海の深層海水を汲み上げ、超高効率で淡水化・ミネラル調整する巨大海上複合プラントを建設する。そして、地中海沿岸から内陸部を縦貫する、防爆・耐震構造の地底超高速導水パイプラインを完工させる。総延長、千二百キロメートルだ」
篠原の提示したスケールに、大石の計算脳が一瞬フリーズした。
「千二百キロの地底パイプライン……! 概算事業費は十二兆円を超えます。いくら我がグループの資金力をもってしても、EUの財政承認を待っていては間に合いません」
「承認など後回しだ」篠原は即断した。「まず全額、南越フィナンシャル・グループの『世界緊急インフラ基金』から無利子で即座に一括キャッシュアウトする。現場へ急行するぞ!」
要請からわずか四十八時間後。
新新形国際空港から離陸した南越エアラインズの大型超音速旅客機『B7137』が、灼熱の煙に包まれるアテネ国際空港へ降り立った。
着陸した篠原、古賀、大石、そして南越建設の井上社長らを迎えたのは、ギリシャ首脳陣と悲痛な表情を浮かべる市民たちであった。
「来てくれたか、南越急行……! だが、本当に水を出せるのか? 我が国にはもう、一滴の余力もないのだ!」
「任せてもらおう」
古賀が力強く頷き、即座に「プロジェクト・アポロン」を発動させた。
第一陣として、南越海運の超大型作業船フリートが地中海へ集結。
イオニア海沖の水深五百メートル帯に、南越重工業・サロナエアコン・本産自動車が共同開発した世界最大の全自動海上・深層水淡水化プラント『アポロン・アクア1号・2号』を完工させた。
柏崎核融合発電所の技術を応用した小型核融合炉を動力をとし、多層ナノ吸着膜と量子ナノ触媒を用いて、一日に千五百万トン——アテネ市全体の消費量の数倍に及ぶ超ピュアな淡水を生成する化け物プラントである。
そして問題は、この莫大な水を陸地へ届ける輸送網だった。
ここで牙を剥いたのが、南越建設の無人AI施工部隊である。
「全自動大深度量子AIシールドマシン『サハラ・ラビット』全二十機、発進!」
井上建設社長の指揮のもと、地中海沿岸の岩盤地帯へ、巨大なシールドマシンが一斉に穿孔を開始した。
地中海沿岸はカルスト地形や複雑な断層が入り組む難工事地帯である。だが、南越建設のシールドマシンは、前方の地質を量子レーダーでリアルタイム解析し、岩盤を一瞬で人工岩粉化させながら進む。さらに、掘削と同時に耐圧ナノセラミック製のパイプライン内壁を全自動で成形・硬化させていった。
「なんだあの掘進スピードは……! 一日に数十キロメートルも掘り進んでいるだと!?」
現地イタリアやギリシャの土木技師たちは、モニターに刻まれる信じられない数値を前に絶句した。
南越建設の全自動施工は、人間が作業できない摂氏四十五度の熱波の地底でも、二十四時間不眠不休で稼働し続けたのである。
突貫工事開始から、わずか二十五日目。
アテネ市内の古代アゴラ広場に設置された特設給水ステーションに、数万人の市民と世界中の報道陣が詰めかけていた。
新形テレビ20のベテラン記者・高橋とカメラマンの井上も、現地から全世界へ生中継を行っていた。
「こちらアテネ、古代アゴラ広場です! 連日の熱波で草木一本生えない灼熱の市街地ですが、いま、南越建設の手によって建設された地底超高速導水管『アポロン・ライン』の通水テストが行われようとしています!」
広場の中央にそびえる巨大なバルブの前に、篠原CEO、古賀副社長、ギリシャ首相、そして現場の作業員たちが立った。
ギリシャ首相の手が震えている。
「篠原CEO……本当に、水が出るのかね?」
「回してください、首相。我々の仕事に、『出なかった』という選択肢はありません」
首相が固く閉ざされた巨大バルブを、渾身の力で回した。
ギシ……ギギギ……。
一瞬の静寂の後、地底深くから「ゴゴゴゴゴ……!」という地鳴りのような響きが沸き起こった。
イオニア海の深層から汲み上げられ、千キロメートルの地底パイプラインを超高圧で駆け抜けてきた命の水が、バルブの先へ到達した音だった。
ズバアアアアアアアン!!!!
澄み切った無色透明の巨大な水の柱が、灼熱のアテネの空へ向かって力強く吹き上がった!
「水だ……! 水が出たぞおおおおお!!!!」
広場を埋め尽くした市民たちから、割れんばかりの歓声と叫びが巻き起こった。
人々は吹き出す水の中へ飛び込み、頭から冷たい水をかぶり、抱き合い、涙を流して歓喜した。
「すごい……! 見てください、この水量を!」高橋記者が感涙に声を詰まらせながらマイクに叫ぶ。「ただの水ではありません! 南越アグリと南越総合大学が調整した、ミネラル豊富な最高の水です! アテネだけではありません、南イタリア、シチリア島、ペロポネソス半島の全域へ、いま同時に命の水が流れ込んでいます!」
『アポロン・ライン』の完工により、地中海沿岸諸国の旱魃危機は一瞬で激変した。
毎秒数十万トンの潤沢な水が都市へ供給され、ひび割れていた農地には再び緑の芽が吹き返した。山火事は全自動消火ドローン隊と強力な散水網によって鎮圧され、数千万人を襲うはずだった歴史的大惨事は完璧に回避されたのだった。
アテネ市内のホテルで行われたEU・地中海沿岸国合同の緊急感謝式典にて、各国の首脳陣から南越急行へ最高峰の勲章が授与された。
式典後の控室で、ギリシャ首相が篠原に深々と頭を下げた。
「篠原先生……感謝の言葉もありません。ですが、12兆円という巨額の事業費、我が国やEUが全額をお支払いするには、何年もかかってしまいます……」
すると、横から大石専務が冷徹なポーカーフェイスのまま書類を提示した。
「ご安心ください、首相。資金の回収スキームはすでに完成しています」
「えっ……?」
「我がグループの南越通商および南越海運が、地中海沿岸で復活する高品質なオリーブオイル、ワイン、農産物の優先物流権およびグローバル独占販売権を取得します。さらに、回収された高品質なミネラル水の一部を、自前ブランド『アポロン・ウォーター』として世界中へ輸出販売します」
大石は計算機を静かにタップした。
「これにより、貴国に何ら財政負担をかけることなく、わずか四年で12兆円の元本および運用益を完璧に回収・マネタイズいたします」
ギリシャ首相をはじめ各国の幹部たちは、口をぐうの音も出せなくなった。
ただ人道支援で金を捨てるのではない。圧倒的なスピードで命を救い、その上で完璧に経済循環を成立させて自社も潤う——これが、篠原賢人と大石専務が率いる「南越フィナンシャル・コンツェルン」の真骨頂であった。
すべての工事が軌道に乗り、アテネの港からエーゲ海を見下ろす高台に、篠原、古賀、大石の三人が立っていた。
心地よい地中海の風が、三人のスーツの裾を揺らす。
眼下には、息を吹き返したアテネの街並みと、青く輝くエーゲ海が広がっている。
「いやあ、冷たい水ってのは最高だな!」
古賀が現地で汲み上げられた『アポロン・ウォーター』のボトルを豪快に飲み干した。
「これで南欧の農業も、歴史ある街も守られた。渡辺の親父さんが見たら、きっと『また大風呂敷を広げおって』と苦笑いしただろうな」
「親父さんなら、きっとこう言ったはずです」
篠原が静かに微笑んだ。
「『困っている人がいるなら、一刻も早く列車を走らせろ』とね」
大石も珍しく口元を緩め、ポシェットからタブレットを取り出した。
「篠原CEO。次の現場の予定が入っています。国内では『南越日本鉄道(NJR)』の北海道エリアで、大雪対策の線路補強工事が始まります」
「よし、帰るぞ。我々のホームグラウンドへ」
篠原が振り返り、力強く歩き出す。
赤字の第三セクター鉄道から始まった男たちのレールは、月面の砂を越え、地中海の乾きを癒やし、人々の笑顔と命を守りながら、さらに先にある「永遠の未来」へ向かって力強く伸び続けていた。




