第19-1話:信じること
源泉を破壊してから少しばかり夜闇が深まった頃、石塀を背にしながらゆっくりと進む。
一車線道路の脇に並ぶ古い民家、そして度々鼻を刺してくる血の臭い。異変を感じ取っているのか、どこかの民家の中から大型犬が吠える声も聞こえてきていた。
上空からは私やその周りを黒鷲が見下ろしていて、私が向かう先に敵が居ないことを予め確認してくれている。
けれど、最後は自分の目で。
恐る恐ると顔を覗くとそこには人っ子一人もおらず、点々と置かれた街頭が誰も居ない夜道を照らしているだけだった。
「……ふう」
小さく息を吐き、また夜道を慎重に進む。
そんなことを何度か繰り返した頃、萩の町並みの南側にある小川のほとり、付近の農家などが使っていたらしき二階建ての納屋が視界に入った。
ゲクランから渡された座標はここ。
少し前に雨でも降ったのか、流れの激しい小川からせせらぎの音がこだまし、その合間に事態を知らないカエルがこの期に及んで合唱をしていた。
「……?」
そうやって入ろうとしたとき、違和感に気がつく。
納屋の扉には錠らしきものが掛けられていたけれど、その錠が鋭い刃で断ち切られていた。
中には飲みかけの新しいペットボトルや新品に近いハンドタオルが机の上に置かれていて、ここで誰かが仕事に励んでいただろうことをひしひしと感じさせてくる。
そんな場所に踏み入って良いのか迷ったけれど……どちらにしろ、今は邪魔させてもらうしかない。
なるべく音を立てずに踏み固められた土の地面へと入り、泥で汚れた階段を伝って二階に登るったところに、その人はいた。
側面に穴が空いたようなブリキバケツのような兜を被った、中年の男騎士。ベルトラン・デュ・ゲクラン。
どこから持ってきたパイプ椅子の上に座して、小川の上に掛かった小さな農道橋を何も言わずに眺めていた。
その真横では、少し前に破壊したのとは異なるデザインをした魔法陣……源泉が、鈍い光とともに冷気を放っている。
「来たか、めぐみ殿。源泉の破壊、本当に助かった」
私が最上段まで登りきって、やっと口を開くゲクラン。
けれどその第一声が彼が素顔を晒したときに私がしてしまった表情に対する恨み節じゃなかったことに、言い得ない抵抗感を覚えた。
「はい……って言っても、軍の助けもありつつではありましたが」
「謙遜はするな。我々の世界では、功績や名声がそのまま自らの力になる。少しやり過ぎなぐらいには誇り、喧伝してよいぐらいだ」
……よりによって、現代人の女子高生にそれを求めるかな。
ゲクランの見る方向へ目を向けると、そこにいたのは数体の霊兵。
けれど胸に赤い十字を描いた姿形じゃなく、金色の花の模様をあしらった霊兵たち。
ここに来るまでに何度も見たエドワードの霊兵じゃなく、ゲクランの霊兵。
源泉を破壊しても残っていたエドワードの霊兵に襲われているのかと思ったら、立てない者をおぶったり列の前や後ろを固めたりなど、様子を見る限り民間人を保護して回っているようで肩透かしを食らったのは記憶に新しい。
召喚した人も違うし、ゲクランの言動からして目的も虐殺じゃなくて、むしろその行為の阻止。
そうやって頭では分かったうえでも、似たような姿をした存在がさっきまで虐殺を行っていた姿が目に焼き付いて離れず、不安な気が募っていく。
……今、これを不安に思ったところで仕方ない。
それを一旦傍へと置いてもう一度納屋の中を見渡すと。
近くに須藤やルイがおらず、源泉が相変わらず鈍い光を放っていたことに気がついた。
「須藤はあの橋の下で細工を、ルイは自らを囮にし、軍の情報を頼りに黒太子をあの橋まで誘引する役をやっている」
「ルイが……囮?」
その疑問を口にすると、ゲクランはあり得ないことを口にした。
あの黒太子に、ルイが一人で?
自分でも分かるぐらいに眉がぐっと寄り、声が僅かに震えた。
「安心してくれ、あの男はよくやるやつだ。異能も囮としての相性が良いうえ、頭も切れる。そう簡単に死ぬ男じゃない」
「で、でも…………!」
「…………その様子だと、ルイ殿のことを随分と大切に扱ってくれているようだな。めぐみ殿ほどの戦闘に熟達した者ならば、実力を持たぬ者を憂うのをやめろと言うのも難しいだろう」
「じゃあなんで尚更ルイを送ったんですか!?」
「吾輩はルイ殿を信頼しているから、だな。逆にこと戦うことにおいては信用してないが、今回のような場面では上手くやってくれると信用している」
だ、だからって…………。
それに続いて喉の奥から強い言葉が出かかるけれど、同時にゲクランへさっき私がした仕打ちを思い返し、その言葉が胃の中へと落ちた。
対して、兜の下で小さく息を吐きながらこちらへ目を向けるゲクラン。
その素顔がどういう表情をしているのか、ここからじゃ全く汲み取ることができなくて。
「……言いたい事があるのなら言った方が良い。人への不満を貯めるのは、その者に対する信頼の毒だ」
「…………!」
私が言葉を呑み込んだのに気がついたのか、そう言うゲクラン。
でも私は、ただ人の顔を見ただけであんなに非道い反応をして——。
「もしめぐみ殿が先のことを気に掛けているのならば案ずるな。それが現代人の性ゆえ、仕方あるまい」
「仕方ないって……! ゲクランさんがそんなこと言ったらもう————」
「しかし、めぐみ殿はそれで吾輩のことを貶したりしたわけではないのだろう。それについてはむしろ、吾輩が素顔を明かすことを止めようとしたルイの方が吾輩にとっては気に食わんし、既に一言言いつけた」
そのあとに「無論、吾輩のことを案じた上での制止だったことは分かっているがな」と付け加えるゲクラン。
それどころか、その後に続く形で少しだけ声を上ずらせながら、私へ考えを語らった。
「無論、この醜面は前世から嘲笑の的であった。初対面の人間はほとんどが吾輩のことを嘲笑い、フランスでまでで一番の醜面とまで言われたな」
「…………じゃあ、なんでそんな嬉しそうに話すんですか」
「それは吾輩が人を信じているからだ。吾輩の人の良さを。吾輩は仲間や民は愚か、王に敵将に至るまでを籠絡した傑物ぞ?」
過去のことを、前世のことを面白おかしそうに語るゲクラン。
そのどこにも自嘲げなものはなくって、まるで本当に顔のことを気にしていないみたいで。
それどころか、本当に自らの人の良さに自信を持っていることがひしひしと伝わってきた。
……信頼、か。正直、まだゲクランのことは信頼し難い。
会ってまだ一日も経ってないし、会ったときの挙動不審や牧場での嘘もよく分かっていない。
助けてもらったり、私があんな仕打ちをしても一言も苦言を呈さないのは分かるけど、だとしても————
「…………! 待ってください、何か来ます!」




