第16-1話:黒太子
汗ばんだ身体。
触り心地の良い布団カバーに包まれた分厚い敷布団。
どこか浮いたような感覚じゃなくて、身体の重さを感じられる地に足ついた感覚。
現実に、戻ってきた。
さっきまであの冷えた空間に居たのもあると思うけれど、やけに暑い。
それに身体に何か重いものが……。
そう思いながらまさぐると、私の身体に覆いかぶさっていたのは一枚の掛け布団。
……香蓮と映画を観ながら寝落ちしちゃったあと、掛けてくれたのかな。
ってかせっかくの旅行なのに映画観ながら寝落ちするクセが出ちゃったな。
「……明日、ありがとうって言わなきゃね」
その布団でお腹だけ覆いつつ、寝床の中で縮こまる。
須藤から連絡はまだ来てないみたいだから、交代時間はまだ当分先。
変に目を開けたままでいて眠れなくなったら、警戒だけじゃなくて明日にも影響が出る。
今は身体を休めよう。
そう言い聞かせるようにしながら、リヴァから耳にした嫌な現実へ目を背け、再び眠りへつこうと息を鎮めたときだった。
誰かがゆっくりと室内の襖を開け、畳を踏みしめる。
香蓮がお手洗いにでも行ってたかな。
香蓮には伝えてないとは言え、今は警戒態勢。
少し催してきたし、このままだと寝られそうにないから目覚めたついでに私もお手洗いにでも――。
そう思い、目を開けて天井を見上げたときだった。
視界の端で何かがきらりと光る。
異様なものに視線を向け目に入ったのは——今まさに私へ突き立てられんとしている剣と、それを携える人影だった。
「ッ!」
私の首元へそれが突き刺さるすんでのところ、無鋒剣の顕現が間に合った。
夜闇の静寂に、金の擦れる甲高い音が響く。
一度剣を弾いたところで、その人影は開きかけの襖を突き破りつつ大きく後ろへとひとっ飛びした。
状況を把握するまでもない。寝込みを狙った闇討ち。
立ち上がり、廊下の襖近くで寝ていた香蓮の傍へ咄嗟に身を寄せる。
「香蓮、起きてッ! 今すぐッ!」
「めぐちゃん……なに、今のおっきな音……?」
目を覚まし、見知らぬ人影に視界の端で大きく目を見開く香蓮。
そうやってる間にも、目線と無鋒剣の切っ先を人影へ向け続ける。
和室の仕切りの向こう、月明かりに照らされるのは煌めく板金甲冑。
兜からは大きな一枚の羽が伸びており、甲冑は金獅子や抽象化された花の模様で彩られている。
その正体は、言わずとも分かる。
「なんであんたがここに居んのよ、ベルトラン・デュ・ゲクラン!」
なんでこいつがここに? 須藤は何をやってるの?
須藤は向こうでゲクランを見張ってるんじゃ?
……まさか、もう須藤もやられて。
でも。
その名前を出した途端に、甲冑は肩で大きな反応を示した。
「なぜ、その名を知っている」
声を震わせる甲冑の主。
困惑と恐れが混ざった声。
それにどういうこと? 私の覚え間違い?
昼間はあんなのにもガラガラと喉を鳴らしていた覚えがあるのに、今は高く透き通った男の声をしている。
「まあ良い。私は貴殿らに用があるわけではない」
「へえ、騎士さんは用が無い相手にも手を下すのね」
時間稼ぎを兼ねた煽りにも意を介さない甲冑の男。
兜の向こうで小さく溜息をひとつつくと、再び切先をこちらへ向ける。
「要求は一つだ。貴殿らの仲間である本田ルイの身柄を引き渡せ。さすれば貴殿を見逃すとしよう」
——要求の提示。ルイの身柄。
なるほどね、となるとこいつの主眼は私たちに無いわけだ。
「……残念ね、私とルイは仲間じゃないから渡せないわ」
切先を向けつつそう口にすると、甲冑の男は剣でこちらの空を突きながら「ほう、ならばなぜ渡せない?」と問い返してきた。
立ち上がり、意を決して口にする。
「友達だからに決まってるでしょ」
そう返事するまで、考える時間すら必要無かった。
それよりも、相手が早々に要求を明かしてくれたことに言い得ぬ高揚を覚える。
目的が分からないよりもやりやすいことこの上ない。
「そうか……ならば」
——ならば、排除するしかあるまい。
続きはなくとも、行間にそういった意図が埋まっていることぐらいは読み取れた。
男は私と一定の距離を維持しながら、和室を反時計回りにゆっくりと周回し始める。
(……慎重ね、こいつ)
間合いを取り、こちらを観察する甲冑の男。足を運ぶ先も、つま先で一度触れながら歩む先を見極めている。
若い女だからって言って舐められている感覚が全くしない。
自信満々に突っ込んできて、私に一閃されてきた今までの異能者とはわけが違う。
そう直感できた。
だからって言ってこちらから踏み込むことも出来ない。
慌てながらスマホを弄り誰かへ連絡を送っている香蓮を視界の端で捉えながら、それを再認識する。
膠着する間合い。静けさを保つ室内。
僅かに鎖帷子が擦れる音が鳴るのみで、甲冑からやけに音がしない。
そして。
男が障子窓を背にし、踏み込んだつま先の向きが変わった——つまりは、こちらに踏み込んで来ようとしたその瞬間。
どこかから、異様な音が鳴り響くのを耳にする。甲冑の男も踏み込むのを止め、その音がする外へと目を向ける。
その音は、例えるなら勢いよく噴射されるスプレーのような。
それもただ空気が吹き出されるだけでなく、噴射された空気が更に空を裂くような。
そんな凄まじい轟音が、どんどんこちらへ近寄ってくる。
須藤の異能はこんな轟音を轟かせるような異能じゃない。
そうなるとこの音は一体――。




