第9-4話:これから
香蓮と一緒に、あの病室でひとしきり泣きじゃくったあと。軍が勝手に洗濯していた私の服を返してもらってから、約束通り三人で一緒にお昼を食べに来ていた。
案に上がったのはパスタにうどん、ラーメンに蕎麦。ひたすら麺、麺。麺。
私は幼い頃から父子家庭、お父さんの仕事も帰りが遅くなりやすかった。
だから「事件」以前は鈴原家に入り浸る日々が長く続いていたのもあって、私の方も鈴原家の麺塗れの食卓事情にかなり染まってしまった。
こうやってプライベートでご飯を食べに来たときも「とりあえず麺を提案しておけばお互い納得する」っていう暗黙の了解がある。
ルイはまだ暗黙の了解の外にいるけれど、とりあえずパスタってことで話がまとまり。
春も終わりかけで若干暑くなりつつある駅前の洋食屋のテラスで和風ボンゴレのパスタを平らげて、こってりした腔内をお冷やで洗い流していた頃の話だった。
「よし。それじゃあ私、お手洗い行ってくるね。ちょっと長くなるかも」
レディースサイズのペペロンチーノにバケットを食べ終えた香蓮が、私たち三人が掛ける丸いテーブルへと手を掛ける。
「…………」
特に何か考えていたわけじゃなかった。わけじゃなかったのに、立ち上がろうとする香蓮の椅子へ勝手に手が伸びたところで、香蓮の言っていた「もうそういうのはいいから」って言葉を思い出した。
「ご、ごめん。無意識に」
まだ私たちが小学生のころ、まだ足の悪さに慣れていなかった香蓮が立ち上がる時に転んでしまって以来ついた、椅子を下げてあげる癖。これも思えば香蓮の足の悪さに端を発するもので、無意識とはいえお互いの関係をやり直すと誓って数時間で破ってしまった。
……香蓮、怒ってるかな。そう思い顔を上げると、予想に反してそこには朗らかな笑みで私のことを見下ろす香蓮の姿があった。
「いいよ、めぐちゃん。私の方も元から気遣いは嬉しかったし、不快だったわけじゃないの。めぐちゃんが自分のことを介護ロボットみたいに扱ってるのが見てられなかっただけだから。これからちょっとずつ慣れてけばいいよ」
「香蓮……」
これからも友達としての、親友としての関係は続いていく。前みたいにちょっとしたミスでやりすぎなぐらいに落胆するんじゃなくて、次があるって思って良いんだ。
友達としての気遣いも止めたほうがいいのかな、って思ったけどそうでもないみたいで。
「それにね、自分で気付けただけ偉いと思うよ?」
「なに、そのお母さんみたいな言い方」
からかいのニュアンスが多分に含まれた言葉を残してから、香蓮は一人でお手洗いの方へと向かっていった。相変わらず歩き方はぎこちないけれど、幼い時に見た「息も絶え絶えで教室を移動する」なんて様子ではなくって。
ちょっと離れたところから香蓮を眺めて、六年っていう時間の長さを改めて感じ取った。
けれど、今は香蓮が離席しても私一人で寂しくスマホをいじる時間が出来るわけじゃない。
私の左手の方に目を向けると、ルイが何やら哀愁の漂うような表情でテラスの向こうにある駅の方を、ぼんやりと眺めていた。
「ねえ、ルイ。どうかしたの?」
「……いいや。終わっちゃったんだな、って」
「終わっちゃったって何が?」
「任務がさ。さっきメールで正式に言い渡されてね」
……そうだ、忘れるところだったけどルイがうちの高校に来たのって私の監視のためだったんだっけ。そういうのを言っちゃうあたり、相変わらずこういう仕事向いてないな、なんて思いつつルイへ問いを投げかける。
「いつ頃から居たの?」
「え? 入学式の時からいたし、廊下とか自販機で何回もすれ違ったよ」
「あれれ、そうだっけ……大体下見てたか無意識だったから覚えてないや」
こんな目立つ髪色で覚えてないって、私の認識どうなってんだか。
言われえてみれば幼気な印象を受ける外国人の子がいる、ぐらいの記憶はあったけど……こういうのも直してった方がいいのかもしれない。
「っていうかさ、こういうのって普通『潜入任務のために転校してきました』ってのがセオリーなんじゃないのかな」
「馬鹿言え、僕には僕の人生があるからさ。いくら組織の人間だからって言っても、そのために人生全部捧げたいとは思えないよ」
「ってことはさ、任務が終わっても学校には居続けるってこと?」
「うん、そうだね。組織の方からも、そのまま卒業するつもりで任務に臨めって言われて来てたわけだし。特になんともなければ、大学受験もしっかりやりたいと思ってるからさ」
へえ……これは私がステレオタイプみたいな作品しか見てないのはあるかもしれないけど、当たり前の話その人にはその人の人生があるわけか。
香蓮から見た前までの私にもそういう痛々しさがあったんだろうなあなんて思いつつも、ルイの言う組織のアットホーム性に思いを馳せた。スーツ店の地下に拠点を構える秘密組織みたいなのを想像してたけど、どうやらそういうわけでもなさそうで。
「まあでも、一年も続けてきたものが終わっちゃったら寂しくなるのは少し分かるかも」
「って言っても今回のロムルスの一件みたいに、これからも組織との連絡係としてめぐみと関わることもあるからさ、完全に何も無くなるわけじゃ——」
「……それ以外じゃ、関わってくれないの?」
「関わることも」って言葉が少しだけ引っかかったがゆえの、不安任せの疑問。
学校に居続けるのかって問いも似たようなものだったけど、なんだか不安になって。
けれどルイは目線をこっちに向けてにへらと笑うと、いたずらっぽい声で私へ口を開いた。
「どうした? 今回ぽっきりの関係だと思ってた?」
「ええ? べ、別にルイは任務で私と関わってたわけだしそれならそれでも——」
「なんてね。あんまりにも聞いてた大和と違うから、ちょっとからかいたくなって」
「……聞いてた大和って、誰からどんなふうに?」
「孤立してる刺々しい子。っていうのを、任務始めの時に組織から」
「うぐっ」
相変わらず異能者のコミュニティの中で、謎に私の情報が流れてるのが気にならないわけじゃないけれど。それ以上にそんな受け取り方されてたのか、ってのを猛省する。
「ま、まあ歪んでたのは私の方だしそうやって思われても——」
「いや、僕はそうは思わない」
……さっき言ってたことと一瞬で矛盾したな、ってのは置いておいて。
また哀愁の籠った声で言葉を紡ぐルイの話へ耳を傾ける。
「元から真っ直ぐだった子が、歪なもので覆い隠されてて。変われたのは、大和を覆い隠してたものを自分で除けられるようになったことなんじゃないかな、って思うんだ」
「…………」
自分で、除けた。
私が香蓮と友達をやり直そうと思えたのは、香蓮がこの六年間思い続けてくれていて、それをルイが少し違う目線から言ってくれたからだと思ってたけど。
最後の最後、今まで踏み出せなかった一歩を踏み出せたのは私の成果……って話なのかな。
ちょっと自惚れてしまうみたいで恥ずかしいけど、ルイが言うのならそう思ってもいいのかもしれない。
そうやって私の方も感傷に浸っていたところで、お手洗いへ行っていた香蓮が帰ってきた。
「お待たせ、二人とも……ってなにかあった?」
「いいや、別に。大和が大葉残してるのをイジってただけ」
「えっ!? こういう料理の大葉って食べるもんなの————」
リヴァの呪いも解けていない。
ロムルスに鎖も付けられた。
でも今この瞬間だけは、そんなものがどうでも良くなるぐらいに。
私の中で一番欠けていたものを、罪じゃなくて人を見るって当たり前のことを取り戻せたことが、たまらなく嬉しかった。
だから大丈夫。
過去に戻る必要もない。
私の人生はこれから。これからなんだから。
嫌々口に流し込んだ大葉の青臭さに顔を歪ませながら、私はそう思った。




