第9-3話:これから
「……っ! めぐちゃん!」
私が香蓮の部屋に踏み込むなり、肩を少し跳ねさせてはスマホを横のサイドテーブルに置く香蓮。
彼女は私が寝かされていた部屋のものに比べるといくらか良いベッドの上で身体を起こしていて、昨日よりも顔色は断トツに良かった。
でも、香蓮の表情はどこか怯えているような。
何か目の前に予期せぬものが来てしまったような表情をしていた。
「……ルイくんは」
私が引き戸をピシャっと閉めるなり、徐にそう聞いてくる香蓮。
最初驚くような表情をして以来、私の方に視線を合わせていない。
「僕は居ないものと思って好きなだけ自分で話してこい。だってさ」
「で、でも私はめぐちゃんとルイくんに一緒に来て欲しくて……」
少し、言いづらそうにしながらそう述べる香蓮。
昨日、香蓮が最後に見た光景は私とルイがそのまま仲違いしそうな場面。
香蓮からすれば、自分たち三人の無事が知れたのなら、その次は私とルイの間柄がどうなったか気になって仕方ないんだと思う。
「私は今、香蓮と二人きりで話したい」
考えうる限り、最悪の切り出し。昨日フードコートで言った「香蓮と二人で来たかった」ってのと全く変わりない。
香蓮もその眉に滲んでいる警戒の色を隠していない。
でも、今は香蓮と二人っきりで話したいのはほんとのこと。この気持ちに嘘はつけない。
「けどさ。このあと時間が出来たら。三人で一緒にお昼ご飯でも食べに行こうよ」
だからこれは、嘘の代わりの小さな約束。
入口に置いてあった折り畳み椅子を運びながらそれを伝えると、香蓮の首が錆びついたネジみたいに私の方へとゆっくりと回る。
「……えっ」
「だーかーら。三人で一緒にご飯食べに行こって」
「でも……! めぐちゃん……なんで!」
香蓮は力なくそうこぼすと、その目頭からほろりと涙を流し始める。
嗚咽や鳴き声が混ざったものじゃない、静かな涙。
「えっ!? ちょちょちょ、なんでそんないきなり!?」
折りたたみ椅子を傍にあったベッドに立てかけて、ポケットに手を入れながら香蓮のもとへと駆け寄る。
ってそうだ、寝てる最中に着替えさせられたからハンカチも無いんだ。
っていうかスマホも財布も私ん部屋に全部置いてきた……。
格好付かないことを自覚しながら、結局サイドテーブルに置いてあったティッシュで彼女の涙を拭き取った。
香蓮がひとしきり泣いたあと、彼女のベッドに腰掛けて直接向き合う。
私が香蓮の背中を軽くさすっていると、彼女はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「私ね。昨日、めぐちゃんとルイくんが喧嘩したあとに夢を見たの」
「それって、どんな夢?」
「おっきな男の人に、めぐちゃんが頭を掴まれていたぶられる夢」
……多分、それは夢じゃない。
解毒が回ってきて意識が回復してたのか、ロムルスが契約の詠唱をしていた光景——
「でもめぐちゃん。あれは、夢じゃないんでしょ。めぐちゃんの叫び声が、私、痛くて」
それは香蓮も分かっていたみたいで。
耳が痛むぐらいに叫んでいた事実を、今になって知らされる。
間髪入れずに続きを口にしようとする彼女の方へまた耳を傾け直す。
「だから私、怖かったの……。私がああやって二人を無理やり引き合わせようとしたから二人が喧嘩して。私がめぐちゃんのもとから離れたから、めぐちゃんがひどい目に遭ったんじゃないかって。怖くて、怖くて…………!」
香蓮は声を震わせ、自分の脚に覆いかぶさっていた毛布を握りしめながら弱音を口にした。
あの路地裏でルイの表情を見るよう言ってくれたときの香蓮は、具合の悪くなるなかでしきりに私のことを諭そうとしてくれているように見えた。
でも実際はそれだけじゃなくて、自分が引き起こした大きすぎる責任感に苛まれながら、そのときの香蓮に出来ることをしようとしてくれていたことに今になって気が付いた。
……なんだか、一歩離れたところから少し前の私を今思い返すと。
私が閉じ込められてると思ってた檻に鍵は掛かったのに、出る方法をしきりに説明しようとしてくれる香蓮の言葉を耳を塞いで聞かなかったふりをしてたみたいで。
過去の自分を矮小化することでは無いけれど。まだ一日も経ってないのに、それが少しだけ懐かしく思えてきた。
「大丈夫だよ、香蓮。香蓮は悪くないよ」
少しだけ香蓮のもとへ寄って、その首元へ腕を回す。
彼女の体温は昨日抱えていたときと比べて明らかに高くなっていて、確かに快復してくれたのがそれだけで分かった。
手を回して、しばらく黙り込んでいた香蓮が。奥歯が噛み合う音を立てながら、また言葉を紡ぐ。
「またそうやって自分のせいにして——」
「違うよ香蓮。違うの」
香蓮の身体をゆっくりと引き剥がすとともに、その目を確かに合わせる。
彼女の目はまだ潤んでいて、涙袋もまっかで。
私の言葉に疑問を呈すみたいに、口がぽっかりと空いていた。
「あの六年前からずっと、私たちどっちも悪くなかったの」
口から出た台詞は分かりやすいぐらいに幼稚で、それでいて気障で。
「お互いが必死で。守りたいものがあって。認めたくないことがあっても、歪んだまま隣に居続けて」
そうやって今までのお互いの軌跡を辿っているなかでも。
香蓮は、今目の前で何が起こっているのか飲み込めていないのか、首を小さく振りながら黙り込みながら唇を震わせていた。
——香蓮がこうなるまで追い込んだのは誰なのか。それは、私以外に存在しない。
偏屈で歪んでて人の話を聞かない私が、ずっと横に居てくれていた香蓮をこうなるまで放った。
でもそれに対して本来送るべき「ごめん」は、今日は封印だ。
「ねえ、香蓮」
自分の瞳が、僅かに潤むのを感じる。
今までは香蓮を心配させるから流さないようにしていたそれを、とびっきり溢れ出させながら。
「今までずっと隣に居てくれて、ありがとう!」
私は、感謝の言葉を口にした。
今まで香蓮へ向けるものにはどこか後ろめたさの混ざっていたその言葉を。
「め、めぐちゃ……めぐぢゃ……ん……!」
既に涙でいっぱいになった顔で、私の胸元に飛び込んでくる香蓮。
まるで、今までぐっと堪えていたものを溢れさせるみたいに。
「め、めぐぢゃん、も! 私の無茶聞いでぐれで! ありがどう!」
「いいんだよ、香蓮。お互い様だから」
本当なら、私の方がたくさん謝らなきゃいけないようなことかもしれない。
けれど、香蓮は多分それを望まない。
だからお互い様ってことでいい。
もう一度背中へ回した手で抱きしめた香蓮は相変わらず細くて骨ばっていて。
けれど毛が太くなったのか昔と違って髪の色も少し濃くなっていて、それにずいぶんとその肩周りも大きくなっていて。
それに何よりも、介助が無いと歩けない人じゃなくなっていた。
そんなことにも気付けなかったのかと思うと同時に、それでもこうやってもう一度見つめることが出来たのがたまらなく嬉しかった。
私の鋭くなった五感が、部屋の外で男が鼻を啜るのを聞き取る。
その後も私たちは正直な言葉を打ち明けながら、動き出した時計の針が何度その秒を刻んだからわからなくなるぐらいに、今まで泣けなかったぶんを思いっきり泣き明かした。




