第10-1話:許さないからね
あの病室で止まっていた時計の針が進み始めてから、早くも二週間が経った。
短かった連休も五月病の大流行を残して終わりを告げ、今日は週終わりの金曜日。
中間テストも五月末に迫り、教師陣もテスト範囲を順次匂わせ始めてきている。
そんな時期の正午過ぎ、本校舎の半地下一階にある空き教室の窓辺で私は人を待っていた。
そういえば私が一年の頃にも家庭科の授業で作ったっけな、教室後ろのロッカーの上には作りかけの幼稚園児向けフェルト人形が山のように並べられている。
午後一発目の授業でここが使われないことは確認済み、教室に戻るギリギリまで悠々自適に過ごせるってワケ。
ここが穴場だってことに気が付いた他の生徒もここを同じ用途で使っていたのか、ハートで囲まれた「BFF」なんていう見知らぬ誰かの青春の残骸が残されていた。
「……だいじょぶかな」
昼休みに入ってもうすぐ十分が経つ。
なかなか教室へ来ない香蓮たちのことが思い浮かぶけど、ここはぐっと我慢。
はやる気持ちを抑えながら、胸ポケットから手帳を取り出して予定を眺めた。
黒や青のボールペンでテストや課題の予定、あとは食品以外の日用品の買い出しに行く日や買わなければいけないものがメモしてある、これだけならなんてことない手帳。
けれど、一番目を引くのは少し太めの赤いボールペンで引かれた文字。
今週のページから二つほど前……四月の終わり頃の週へと捲ると、赤が占める割合は一気に増えた。
四月二十三日、アフマド・シャー。
四月二十四日、ロベール・ダルトワ。
四月二十五日、ジャン・ド・モンフォール。
同じく二十五日、ロベールから続く一連の陰謀の首謀者、ロムルス。
その名を目にするとともに全身の毛がよだつほどの、連日の襲撃と事件の連鎖。
陰謀の渦中にあった時の私のメンタルも含めて、二度とあの週に戻りたくはない。
しかも禍は未だに終わっていないことを、腕に刻まれた「ROME」という文字を掴む鷲の刻印が物語る。
幸と言うべきか不幸と言うべきか、今のところこの刻印やロムルスに強制された契約が、何か私に悪い影響を及ぼしている感じはしない。
それどころか、ロムルスやその関係者からの接触すら一切なくって、学校でアームカバー生活を強要されるのが億劫かな程度。
————今の安寧が、嵐の前の静けさじゃありませんように。
そんな願いをしながら手帳を胸ポケットへとしまい直したところで、教室の窓の方からプラスチックのぶつかったような軽い音が鳴った。
真っ黒な羽に、橙色の嘴と鉤爪を持つ一羽の黒鷲。
リヴァからあの真っ白い空間で押し付けられた、私の新たな異能。
鳥なのに餌も食べず、糞もしない、羽は抜けるけどしばらくすると光の粒子となって消えていく。
もっと言えばあの工場でロムルスに殺されたはずなのに、いつの間にか私の傍で復活を遂げていた。
そんな気味の悪いものをトラウマを掘り返された挙句に押し付けられたんだ、ろくなものじゃない……と思っていたけれど、そうやって言うにはリヴァとの関連が薄いというか。
指示が無かったら基本的に私のずっと上空を旋回したり、それで周りに危険があれば視界共有で報告してきたり。
そうやって送ってくる情報も他の猛禽類と喧嘩になった、どこか遠い道路で交通事故があった、更には夜中突然の雷が鳴ったみたいな報告ばっかりで。
どちらかと言えば「このコが驚いたことを送ってきてるんじゃないか」なんて予想も立ち上がるぐらいで……黒鷲の目線から見た猛禽のインファイトは、さながらエースパイロット映画みたいな見応えがあったのも否めない。
あれから何度か夜を越したあたりから窓を嘴で叩いてくれるようになったり、間違って落とした定期券を拾ってきたり……リヴァが寄越したものにしてはやけに生活感もある。
だからルイの提案で自然と「名前を付けよう」って話になり、「ドイツ語からとって、名前は黒鷲にしよう」っていうルイの鶴の一声で名前も決まった。
……私としては勝手に復活したからフェニックスって付けようと思ったけど、ルイの小さな「……ダサくないか」って声で廃案になった。
かっこいいと思うんだけどな、フェニックス。
「めぐちゃん、お待たせ」
「か、香蓮!? いつの間に!?」
黒鷲の方へ集中し過ぎてたのかな。
開きっぱなしにしていた空き教室のドアから現れた少女に気が付かなかった。
若干カールした長めのブロンドヘア。
私の親友、鈴原香蓮が大きなお弁当袋を両手で持ちながら、ぎこちない歩き方で私の方へ歩み寄って来ていた。
黒鷲が窓ガラスの向こうから飛び立つのと一緒に、私もすかさず立ち上がって香蓮のもとへと歩みを進める……けれど、その横にいつもはあるはずのルイの姿がない。
「ルイは?」
「ルイくんは今日は別の友だちと食べるって」
私たち三人でこうやって昼食を食べるようになってまだ三回目。
教室だとルイが悪い意味で注目を集めかねないからこうやって空き教室を見つけて来たんだけど、そのルイが欠席。
「…………そっか、仕方ないね。それじゃあもらうね、お弁当箱」
「ん、ありがと」
他愛もない会話をしながら香蓮の手からお弁当箱を受け取る。
そして、彼女の腰に無意識に手が伸び——。
「あっ、そうだ。ダメだダメだ」
——かけたところで、その手を急いで引っ込めた。
「はい、よくできました」
上目を遣いながら私の鼻の先をちょんと突く香蓮に、自分でも分かるぐらいに不器用な笑顔が漏れ出る。
「ハハ、まだ慣れないや」
香蓮の不自由な脚。
十歳のとき、私と一緒に異能事件に巻き込まれて負った傷。
「私が一生かけて面倒をみるべきだ」って疑わなかった傷。
けどあの日から香蓮と向き合って初めて、一歩ずつ歪んでいた自分を認められて、確かに関係をやり直せている気がする。
それを意識する度にちょっとした笑みが溢れるのを、まだ香蓮には見せたくはないな。




