第5-3話:契約
風が耳を切る音。
奪われる体温。
目一杯に映るのは一帯の工業地帯。
「……っ!」
現実に戻ってきた。
けど……まだ落ちてる!
地面のシミになって……死ぬ!
右腕にぐっと意識を集中すると共に熱が籠る。
せめてもの抵抗として全力で腕を強化して顔を覆った。
そう身構えた時だった。
「ピエェェェ!」
どこからか、調子の悪い笛のような甲高い音がこだまする。
ああ、これが終わりの合図か。
思っていたよりも苦しくない。
――けれど、いつまで経っても、終わりの時は来ない。
体が何かに吊られるような感覚。
もしかしたら既に死んでいて、目を開けたら私の死体が転がっているかもしれない。
指の間から恐る恐る目を開ける。
「……え」
私は地面まで残り二メートルも無いところで宙へ浮かんでいた。
私の身体は確かに無傷で、手の感覚もある。
そのまま数メートルほど宙を漂い、道のど真ん中に腰丈ぐらいの高さから雑に降ろされた。
「っ痛!」
受け身を取りながら落下する。
尻もちをついたまま息を整えようとしたけれど、うまく呼吸できない。
左の腕、肩、肺に握りつぶされた後のような激しい痛みが走る。
「折れてる……」
それだけじゃない、右肩にもずっしりとした重さと針で刺すような痛みが……って、ん?
「な、なにこれ!?」
右肩に何か黒いのが乗ってる……!?
肩に乗っていたものを思わず手で払いのけると、地面へドテッと不器用に着地した。
払い落とされたものは何もなかったかのようにぴょんと飛び上がり、私の方へ向き直る。
私の肩のうえに乗っていたのは、真っ黒な羽、凛とした顔に発色の良いオレンジのクチバシを持つ一羽の黒鳥。
「あなたが助けてくれたの?」
そうやって私が声をかけても変に背伸びをして周りを見回したり、自分の羽の毛づくろいをしたりで私のことは意に介してすらいない。
挙句の果てには指を近付けたところでぴょんぴょんと跳ね、そのまま後退りしてしまった。
変に、動物的な動き。
(……あれ)
けど、よくよく考えたらこれもリヴァの干渉でもたらされたもの。
それにふと気がついただけで、この可愛らしい生き物すら気味悪く見えた。
その黒鳥がある一方向へ首を回し何かに気が付いた素振りを見せたあと、また私の右肩に飛び乗ってきた。。
鉤爪が刺さって少し痛い。
黒鳥が向いた方向を見ると、そこには息を切らしながらこちらへ走ってくるルイの姿があった。
その遠くには、おぼつかない走り方で香蓮が続く。
(……ルイ、なんであんなに焦ってるんだろう)
自分にそんな表情を向けられる資格なんてないのに。
その焦燥しきった表情は、近付いてくるにつれ安堵のそれへと変わっていった。
「はあ……はあ……大和。良かった、無事だったんだな。ひどい怪我だ……」
「……じょうぶ」
「声が出ないのか? とりあえず腕を見せてくれ、治癒するにしてもまずは傷を見ないと――」
「大丈夫って言ってるでしょ――ッ!」
癇癪混じりの声と共に、動く右腕でルイのことを強く突き放す。
けれど、それと同時に左半身に激痛が走る。
尻もちをつきながら豆鉄砲を食らったような表情を浮かべるルイが視界の端に写る。
「ど、どうしたんだ……? 何かあったのか?」
「……何にもない」
「でも――」
ルイは続きを口にしようとしたけれど。
さっき突き飛ばされたのを思い出したのか、言葉を飲み込んで口を噤んだ。
なのに。ルイは私を不安げに憂うような面持ちを向けるのをやめない。
やめて。
そんな表情しないで。なんで、他の人みたいに睨みつけてくれないの。
やりづらさに奥歯を鳴らしながら、左腕へ自分の手を添えた。
「……それに、こんな傷どうでもいい。ただ少し、集中すれば……」
腕、肩、肺にかけた部位に意識を集中し、深く深呼吸をする。
患部が不自然に熱を持ち、「カチッ」とはまる不快な感覚に背筋を震わせる。
意識的には無感覚な「生物的な治癒」じゃなくて、体の肉や骨がうねる「機械的な治癒」。
身体の中を何かが蠢く違和感は、この身体になって短くはないけれど未だに慣れない。
「……あれ、終わった?」
意識を集中し始めてからまだ三十秒も経ってないのに、熱を持つ感覚が無くなった。
途中で回復が終わったのかと錯覚したけれど、呼吸の度に起こる痛みも無くなっている。
(治癒が、早くなってる……?)
ここまでの傷をそう何度も治癒したことがあるわけじゃないけど……。
「少し、早すぎないか?」
「……え?」
ルイの一言に呼吸が突っかかる。
自分の身体のことなのに、その突然な変化に驚いている自分がいる。
(もしかして……また身体に何かされた?)
また人じゃない何かに近付いた。その事実に、頭から血の引いていく感覚を覚える。
すっかり動くようになった左腕を手に取る。けれどその腕が自分のものじゃないみたいで。
今の私を見て頭の中で誰かがほくそ笑むのを、どこからか感じ取ってしまった。
「めぐちゃん……めぐちゃんっ……!」
離れかけていた意識が、息も絶え絶えになりながら私のことを呼ぶ声で再びはっきりとする。
香蓮が右脚を半ば引きずるように、必死にこちらへ駆けてきていた。
……不安に思ってるのがバレたら嫌だ。
呼吸を整えて、動悸をぐっと抑え込もうとする。
けれど。
『こんな風になっちゃったのに?』
『めぐちゃんなら、分かるでしょ?』
おかしくなったフィルムビデオみたいに、さっきの香蓮がチラつく。
だめだ、あれと香蓮は別物なのに。
「めぐちゃん、大丈夫?」
「っ!? か、香蓮」
いつの間に目の前に。
なのに乱れた呼吸は落ち着くばかりか一層粗くなる。
「どこか痛むの?」
「いや……大丈夫、だよ」
「大丈夫なんかじゃないよ。私、ダメって言ったのに……なんで……!」
……香蓮を救い出そうとした時に彼女自身に言われたことを思い出す。
実際死にかけたわけだし、強く言い返せない。
「ごめんよ」
「ごめんじゃなくてさ……私、いっつも迷惑かけてばっかなのに……」
「香蓮……そんなことないよ」
そんな彼女をぎゅっと抱きしめた。
彼女が鼻をすすりながら、涙を隠すように目をこする音だけが響き渡る。
「……? なんだ、この音?」
ルイがふとそんなことを口にしたその時。
凄まじい轟音と共に土煙が上がり、辺りを包みこんだ。
まさか。
ある可能性が頭を過った直後。
その土煙の中からあの忌まわしき触手が顔を出す。
「っふ……! ロムルス様からは生け捕りのお達しでなぁ、死んだかと思って焦ったぜぇ。けど生きてるなら好都合!」
砂煙の中から舌なめずりをしたジャンが顔を出す。
少しだけ、脚が竦む。
余所事に思考を奪われすぎて、もっと直接的な危機を忘れてたなんて……まるで馬鹿みたいで。
香蓮は一歩、二歩と後退りした。
彼女はわなわなと震え、視線が定まっていない。
……私もそうしたいけど、残念ながらそうもいかない。
「待って、逃げるなら一緒に」
また香蓮が捕まったら、今までのことが全部水の泡だ。
呼吸を整えながら無鋒剣を取り出し、なにか策があるまでもなく不格好に構える。
ルイもさっきと同じように空から剣を出し、臨戦態勢に入った。
――けれど、香蓮はこっちにいる。もう戦う理由はない。
なら取る策は一つだけ。
「ねえ、ルイ。一緒に逃げ――」
そう彼の名を呼んだ瞬間。
『捨てればいい』
どこからかあの軽薄な声が響き、私へ向けられたあの無言の圧が呼び起こされる。
ダメだ。そんなの良いわけない。
けれど。
視界の端に、視界の定まらない香蓮の表情が写る。
『めぐちゃんは、一生をかけて償わないといけないの』
「香蓮」の発したその言葉を呼び水に、あそこで感じたものの断片が流れてくる。
倒れる香蓮、生暖かい血、冷えた肩に回される腕、歪んだ言葉。
一つひとつが、思考を奪う。
手が。まるで私のものじゃなくなったみたいに香蓮の方へと伸びてゆく。




