第5-2話:契約
同時に、真っ白だった空間から「明」が奪われる。
周りは真っ黒なのに、自分の手や身体の輪郭だけがはっきりと見える。
『ねえ、めぐちゃん』
「っ!?」
名前を呼ばれて肩が跳ねると同時に振り返る。
明るい毛色の少女、鈴原香蓮が浮かない顔をしながら私を見つめる。
その真っ直ぐな立ち姿を目にするだけで動悸が加速する。
『いつもは言わないけどさ……なんであの時知らない人にめぐちゃんのお父さんの車言っちゃったの?』
「あの……ごめんね……もう、誰とも関わらないから……ルイも信じないから……!」
手元どころか返事すらのおぼつかないまま、彼女へと歩み寄っていく。
もう言い訳もしないから、私が悪いの、だから……!
『ふーん……けど……本当にそれで済むの?』
香蓮の姿が切れかけの電灯のように点滅する。
『私、こんなになっちゃったのに?』
次の瞬間目にしたのは、香蓮が立っていたところに横たわった、香蓮の幼い頃の姿。
虚ろな目をし、右脚の関節があらぬ方へと曲がっている。
足が竦み──へたり込む。
立てない。
冷たい、身体の芯が、全部が丸ごと。
手の、足の震えが止まらない。
「ごめんなさい……償うから……ごめんなさ──」
ブレた焦点を再び合わせたところに立っていたのは、香蓮とは別の人影。
広い肩幅に、センターパートが似合うメガネ姿の男の人。
「お父さん……?」
お父さんは、私がお爺ちゃんと選んでプレゼントしたワイシャツを身に着けていた。
冷ややかな目線でこちらを見下ろしている。
「お父さん……香蓮が、香蓮がね……!」
自分の言葉が自分じゃないみたいで。
捻り出した言葉が……上手く出なくて、そして幼い。
『ハハハ、また喧嘩したのか? けど良いじゃないか、ごめんって言えるだけ』
「え……?」
次の瞬間、お父さんの目から光が失われ、私のほうへ力なく斃れた。
『お父さんは、最期までごめんって言ってもらえなかったのに』
「……っ!」
体重をこちらへ預けたお父さんが耳元で囁くとともに、暖かい何かが服越しに私の身体へと染み渡る。
震える右手に着いたもの──真っ赤な、血。
暖かいはずなのに、身体の芯が冷める。
あの時と同じ──。
『私のせいでおじいちゃんの一人息子は死んだ』
待って。
誰の声?
いや、違う。
これは、私の声だ。
リヴァが見せてるんじゃない、頭の中から、言葉が勝手に溢れ出る。
お爺ちゃんの家を出ていくきっかけになった「気付き」。
私が私に責められる。
もう、誰も私の味方じゃ──
『けどね、めぐちゃん』
後ろから、誰かが私を両腕で抱える。
ベージュのカーディガン、青白く少し骨ばった指。
香蓮が、寄り添うように腕を回す。
気がつけば、私の上に倒れ込んでいたお父さんもいなくなっていた。
首に回された腕が、冷え切った私の肩を暖める。
『あのとき、私を救ってくれたことは本当に感謝してるんだよ?』
「香蓮……」
──こいつは、本物の香蓮じゃない。
リヴァが私の記憶から作った幻影。
それは分かってるはずなのに……彼女へ、体重を預けてしまう。
暖かい。
冷えた身体が、仄かに暖められる。
『でもね……ほら、見て』
香蓮は、私の右手を持ち上げる。
私の手は気が付かぬ間に幼く、小さくなっていて……血に塗れていた。
そこには、真っ赤になった無鋒剣が、震える手の中に握られていた。
「いや……違う……これは……」
『んーん、違うよ。めぐちゃんが、殺したの』
香蓮は、私の耳元でそう囁く。
私が、殺した。
……私が、殺した。
『そう……だから、めぐちゃんが償うのは、私だけじゃない。めぐちゃんが殺した人の命の分も償うの。めぐちゃんなら、分かるでしょ?』
「……うん」
『そう来なくっちゃ。ならめぐちゃんは私を守って……一生をかけて償わないといけないの』
「……うん」
『だから……ほら』
香蓮は私の右手を離すと、その手の平を後ろから私の前へ差しのべた。
……これを掴んだら、また戻れなくなる。
けど……もう、終わらせたい。
「分かった……ごめんね、香蓮……ごめんよ……」
小刻みに震える手で、首の後ろから差し出された手を取る。
同時に周りから「闇」が取り払われていく。
そよ風が吹き、またあの冷えた空気が戻ってくる。
その寂しい空間には、香蓮に代わって私のことを後ろから抱擁するリヴァと。
未だに手の震え、動悸に視線の揺れが収まらない私だけがそこに取り残された。
「……分かってくれたかい? 鈴原香蓮は、きっと君を許しちゃいない。けど、それと同じぐらい君を必要としているんだ」
リヴァは一見温かみのある、けれどその実何の深さもない軽薄な声で、私へそう語りかけた。
「だから、君は戻って彼女を守らなくちゃいけない。彼女へ償いをしないといけない。これは……他ならない君のためだ」
「……うん」
「君には俺と鈴原香蓮がいれば十分だ。あのルイとかいう男も、鈴原を守れたら捨てればいい」
「で、でもルイはそんな悪い人じゃ──」
そうやって言い返そうとした時、後ろから凄まじい圧を感じ取る。
「言わなくても、分かるよね」
まるでリヴァからそう言われているみたいな、そんな圧。
喉奥からこみ上げてくるものを、ぐっと押し込む。
「……分かった」
「うんっ、よろしいっ! 加えて、俺の方からも一つ君へお願いがある!」
……今度はなに。お願いって言っておいて、私の拒否する権利なんて無いのに。
リヴァは私の独白なんてまるで最初から無かったように願いという名の命令を口にする。
「なに、君にとってもメリットのあるお願いさ。ゲームへ参加し、そして勝利してくれ」
「……え?」
でもゲームの力でやり直しが叶ってもこの世界は消えちゃうんじゃ。
「なに、そんなの仮説さ。この世でそんなものを見たやつは実際にはいやしない」
だ、だけどさ。見た人がいないってことはその可能性も――。
「うるさいなあ。第一、どの世界でも鈴原香蓮は鈴原香蓮じゃないか。それに、ゲームに勝利して、君自らのミスを自分で精算する。それだけが、君が鈴原香蓮へ真の贖罪を果たす唯一の方法さ。違うかい?」
――違う。そんな言葉が頭に思い浮かぶのに、喉元に引っ掛かってそれが出ていかない。
香蓮に許してもらうには、そうするしかない。こいつに逆らうべきじゃない。
そう思ってしまっている私に、心の底から嫌悪感が湧いてくる。
「もう力は渡してある、君は明日も君のために生きられる! そればかりか過去の贖罪も果たせる! 素晴らしいことじゃないか!」
リヴァは両手を天へと向けると、ここぞと言わんばかりに高らかな笑い声を上げた。
まるで自らの成功を祝うように。うわべだけ私の出立を祝うように。
それを目の前にして、私はただその場に地べたになったまま座り込んでいることしか出来なかった。
「はあ…………いい加減にもう大丈夫かい?」
「……っ! うん、だい、丈夫……」
「よし、それじゃあ現世へ行ってらっしゃい! もう死にかけるじゃないぞー」
リヴァがそう口にした瞬間、私がへたり込んでいたところの床が抜け、同時に真っ暗な空間へと落とされる。
広くて、虚しい闇。
目線はこちらへ手を振るリヴァを辛うじて捉えている。
……私は、今までの私通り。
変わらない現実と、死ぬことすら許されない現実へ虚しさを覚えながら。
私はゆっくりと目を閉じた。




