第24-4話:支配
「今日は何時間も失礼しました」
あのあと、町田さんが軍からの呼び出しで一歩先に退室したあと。
私は診療室の出入り口あたりで、ダヴィンチさんへそう告げた。
「大丈夫じゃよ、お嬢ちゃん。もしもこの先、何か分かったことがあったら追って連絡する。君の方も、以前にも増して自分の体調を注意深く観察するようにしてくれ。リヴァがまた接触してくる可能性もあるからな」
「はい……! あと、その……」
改めて立ち直り、深々と礼をしながら、私は「ありがとうございました」を口にした。
会釈をしてからもう一度持ち上げる頭が、身体が、今はなぜだか少しだけ軽い。
「ちょっと……ほんのちょっとだけですけど、楽になれた気がします」
「…………ふっ、そう言ってもらえて光栄じゃよ」
ダヴィンチさんは私へ軽く微笑みかけると「さあ、もういい時間だ。明日も会議があるんだろう、早く帰りなさい」と言って私のことを見送ってくれた。
最初はちょっと不安だったし、言葉も容赦ないことがあったけれど。
改めて思い返すといい人だったな。
……けど、どちらかと言えば意外だったのは自分の心持ちの方。
知りたいのも本当だったけど、今の私がどんな状況に置かれているのか知ったら気を取り乱してしまうかもしれないって思ってた。
でも、今はまだ切羽詰まるような状況じゃないのもあるにしろ、話を聞けて思ったよりもすっきりとした。
これからも布団の中でリヴァや私の身体を思い返す日々が続くかもしれない。
だとしても何も分からない中で藻掻くより、少しは自分の状況を分かったまま抗える。
それだけで、今日ここへ来て良かったなって思えた。
そうやってこの一週間のことを思い返しつつ、診療室前の廊下を歩いていると。
すっかり日の沈んで暗くなった廊下の際にもたれ掛かっている、一人の人間を目にした。
細い身体に白いシャツ、そして赤いチョッキ。
小顔で、小さな王冠を頭に乗せた真紅の毛束感の強い髪の男。
——昼間、会議室でアリエノールの後ろに居た男だ。
その男から数歩離れたところで、私は軽く股を広げながらその男へ堂々とこう口にする。
「さっきから私のことちらちら見てるけど。一体何の用?」
戦いは起こらない。
町田さんの情報が正しいなら、向こうは武器を出した瞬間に館のルール違反としてワープし即刻退去になるはず。
にも関わらず数歩の距離に構えたのは、得体のしれないやつには近づかない長年の癖のようなものだと思う。
「そんなに警戒しないでほしいな、めぐみ女史」
「女子……?」
「女に歴史の『史』で女史。ちょっと古い敬称みたいなものさ」
男は軽口を叩きながら廊下の真ん中に立つと、ポケットに手を入れたまま私の前に向き直ってくる。
「ボクはジョン。ジョン・ザ・ラックランド。気軽にジョンと呼んでくれ」
自らのことをジョンと名乗った男の声は、僅かに低い中性的な声。
それでいてどこか軽薄というか、どこか私と真正面から取り合ってない冷笑的な雰囲気さえ感じられた。
「笑わないのかい?」
「……え?」
「嘲笑わないのかい、と聞いてるんだ」
藪から棒に、何こいつ。初対面の相手を名乗っただけで嘲笑う?
もしそんなことをするやつが居たらそいつこそ正気じゃないんじゃ?
「ごめんごめん。君みたいなゲームについて知ってる高校生と話すと、大体『マグナ・カルタの?』『あの欠地王の?』なんて笑ってくるからさ。君は笑わないのかなって思って」
……今まで自虐的なことを言う人間は主に鏡の向こうで腐るほど見てきたけど、ここまでのは初めてかも。
マグナ・カルタ。高校受験のときに散々やったし、その文脈の中で出てきたジョンって人命とは結びつかなかったけど……何やった人だっけ、ぜんぜん覚えてない。
まあ何をやった人だとしても、さすがに初対面で笑い飛ばそうなんて思わないけどさ。
「へっ。生憎さっき、天才画家だと思ってたら、実際は趣味の悪い奇人善人と会ってきたところだからね。それに私、目の前にいる人間しか見ないって心に刻んだから」
でも、そうやって自虐したくなる気持ちは分かる。
今はなるべくそうやって場を繋ぐのは控えるようにしているけれど、自虐で間を持たせたり話を終わらせたりするのはすごく楽。
それでいて、それをしても楽なのは自分だけなのを分かってきたから。
「へえ……やっぱり君は面白い」
ジョンは顎に手を当てながら笑みを浮かべると、軽く顎を引きながら上目遣いをしてそうこぼした。
「で、そのジョンとやらが何の用?」
けれど、どこか共鳴するところがあるのと警戒しなくていいのは別。
ここは異能者社会の中でいつ何があるか分からないし、向こうに用があるなら早めに済ませたい。
「用なら単純さ。母さんが君のことを呼んでる、だから小間使いの僕は呼びに来た。それだけさ」
「……母さんって?」
「アリエノール・ダキテーヌ。会議室にいたおばさん、覚えてない?」
自分の母親をおばさん呼ばわりって……相当仲が良いのか、それともただ単に舐め腐っているのか。
というかアリエノール・ダキテーヌって、確か「会議を破壊しかねない」って警戒されてた女の人だよね。
「なんでその人が私を呼んでるの?」
けれど、問題の本質はそこじゃない。
確かに私は良い席に座ったみたいだけど、それは私が偉いわけでも会議を主導できるわけでもなく、ただの演出。
円卓側もそれぐらい分かってると思ってたんだけど……。
「昼間君が思ったより会議に参加出来ているのを見て話したくなったらしくてね。少しの間、お茶がしたいんだってさ」
……なるほどね。
リチャードのあの質問で、思ったよりやるヤツ判定されちゃった、と。
「うーん……」
これまた面倒くさいことになりそうだな……ってか、話がしたいってどういう感じの話だろう。
リシュリューさんが来たときと同じみたいに、これまでのこと話すとかなら出来るけど……一応だけど敵? なわけだしなあ。
とりあえず、困ったときは大佐の指示を仰ごうと、一瞬スマホを覗きこむと。
「……圏外?」
昼間は確かに繋がっていたはずの携帯電話が示すのは圏外のマーク。
通信は確かにオンになっているはずなのに。
「夜は悪いことを考えるやつが多い。館のルールは厳重だけど、すり抜けるやつもいる。登録されていない端末では夜の無線通信はできないようになっているのさ」
「……なるほどね」
もしかしてだけど、それ込みでの
しかもここへ入る時に「夜八時以降の再入館不可」の契約も見たから外へ出て指示を仰ぐことも出来そうにないし。
「…………十分や十五分ぐらいなら」
ちょっとじゃ済まないかもしれないけど、たかがお茶をするだけ。
しばらく悩んだ果てに、私はジョンヘそう返事をした。
「分かった。母さんは一階のホールにいる。夜も遅いからなるべく早く行ってきた方が良い」
「そう。ご連絡感謝」
そうやって一応の形で感謝を口にしながら横を通り過ぎようとした時。
彼は一気に私の方へ目線を向けると、警告するような口調でこう口にした。
「けど十分気をつけろ。母さんはやり手だ」
その言葉に足を止め、彼の方へ振り返る。
「どうした? 早く行ったほうがいいよ?」
なんて、何事も無かったかのように私へ微笑みかけてきていた。




