閑話:時計の針は止まらない
閑話:時計の針は止まらない
『前言ってた服の件だけどさ』
『木曜、大須にでも行こう。デートとして』
『あと』 『僕たちって、付き合ってるってことでいいんだよね』
『うん』
手を繋ぎながら、ソファの上で肩を寄せ合って夜越したあの日から、何日かが経った木曜日。
私たちは地下鉄に揺られながら「デート」として、大須にある大きな商店街を訪れようとしていた。
「どういう系がいいんだ?」
「ん、ストリート系」
「はは、相変わらずだね。最初モール行ったときもそうじゃなかったっけ」
「そうだっけ……よく覚えてるね」
あの夜ただ隣で座りながら寝ただけなのに、ちょっと気が楽になった。
それは私の身体が元に戻ったとか、彼が必ず元に戻す約束をしてくれたってわけでもない。
彼が隣に居てくれる、そんな価値で測らないって思って言ってくれたのが嬉しくて。
何も解決してないけれど、今は大丈夫って思えた。
「ねえルイ…………隈、もっと酷くなってるけど大丈夫?」
私のことが一旦落ち着いたから、次に気になるのはその一歩外。
彼のぱっちりと大きい瞳の下、涙ぶくろのあたりがほんのり暗くなっていたのは、彼をお家デートに誘ったときからそうだった。
けれど今はほんのりを通り越して、離れていても分かるぐらいに黒い。
「大丈夫って……まあ会議の打ち合わせとか調整が長引いてるだけだよ。リズムが狂ってるだけで、寝る時間そのものは確保できてるし。僕が駆り出されるときはいつもこんな感じさ」
「…………」
まあこうやって話している限り、体調が悪かったり意識が怪しい感じもしない。
彼の言葉を信じるなら寝られてはいるみたいだし、これ以上の追求は止すけど……。
「なに? 心配してくれた?」
「そりゃ心配にもなるよ」
「へへ。やっぱそうやって言われると嬉しいや。けど忙しいからこそ、今日みたいな息抜きはちゃんとしたいよね」
「ちゃんとしたいって、例えばどんな……………………っ!?」
「例えばそう、こんなのとか」
ルイの反応に首を傾げていると、彼が私の左手を優しく掴んできた。
ふーん……なるほどね。
「へえ、かっこいいとこあるじゃん」
歯を見せながらそう言ってみると、さすがに耐えられなかったのか顔を赤くするルイ。
かっこいいなって思ったけど、こういうとこはかわいいよなあ、ルイって。
「か、からかうな。初めて繋いできたのは、そっちの方なんだからさ」
初めて繋いだのがそっちの方って、今初めて手繋いだんじゃ。
もしかしてこないだルイの手首掴んだのって手を繋いだ判定なの?
私が既に、ルイの取り返しのつかない「初めて」を奪ってしまったんじゃ。
内心焦っていると「ほら……初めてデートしたとき」と言われて、約束を交わした時に彼に手を差し伸べたことを思い出す。
「そっかあ、あれも手繋いだ判定だったかあ」
「えっ、大和からしたらあれって手繋いだことにはならないのか?」
「んーん、別にそうじゃないけど……」
ちょっとだけ調子に乗ってる自分がいるかもしれない。
けれど、こういう気持ちを正直に明かした方が彼は安心しそうな気がする。
わざとらしいいたずらっぽい笑みを浮かべながら、その悪巧みを躊躇なく実行した。
「私はこういうのがいいな……なんて」
彼が掴んできた手のひらを一瞬離して、更にぐっと距離を縮める。
彼の腕に内側に私の腕を回してから、私と彼の指を優しく絡めた。
「っ……!?」
「へへ、嫌だった?」
かわいい、なんて言うとルイが怒るからね。
彼が顔を真赤にしているのは、絶対に口に出しちゃいけない。
でも…………こうやって赤くなってるのを見ると、少しだけほっとする。
ルイがこの間言ってたことが、私を安心させるための方便じゃないんだってことが分かって。
また少し、胸のうちで何か温かいものが滲み出てきた。
******
私服を兼ねて会議用のズボンを買ったストリートブランド「シュパリーム」。
手にした紙袋の重量は確かにズボン二着分の重さなのに、そこに「そのズボンは一着三万円」っていう別の重量が乗っかる。
ずっと憧れのブランドではあったけど、ほんとに私が履いてしまっていいのか。
いつもとはちょっと違う扱いづらい罪悪感と責任感を痛感しながら、ルイと一緒にそのお店を出た。
「さすがに長袖シャツ無かったね、この季節だし」
「うん……っていうか馬鹿みたいに緊張した。ルイってやっぱああいうとこ慣れてるの?」
「いや、僕もストリート系のとこ入ったのは初めてかも」
この服はさっきも言ったけど、今度京都である会議用も兼ねて。
会議って言うぐらいだし、スーツみたいな礼装とか、最低でも学校の制服をきちんと仕立てて着ていった方がいいのかなって思った。
けれど公の場では、異能者は時代性が出るもの……つまりは好きな物を着るのが通例らしい。
別の事情で腕だけ隠せるならなんでもいい、なんなら私服で来いと大佐さんに言われてのことだった。
ストリートチックなものなら普段着としても使えるし、会議に必要な時代性も出せる。
それに軍からお金も貰ったばっかだから罰は当たらないはず……私って物持ち良いはずだし。
その「物持ちの良さ」が未検証なことを除けば完璧な理論武装に仕上がっているに違いない。
右手に紙袋を、左手にルイの手を握りながら商店街へと入っていくと、ふと真っ黒な内装をした開放的なお店が目に入った。
印象的な内装にぱっと目が行くと、中には銀色に輝く安価なピアスやネックレスがところ狭しと陳列されている、いわゆるシルバー屋。
その一番手前のケースに収納されているものを目の当たりにして、思わずその足を止めてしまった。
「……………………」
「どうした、大和……って」
私へ問いを口にして、急に黙り込むルイ。
それもそのはず、私が目を向ける先に並んでいるのは、一本三〇〇〇円ぐらいの安価な指輪。
って言っても純銀製の指輪じゃなくて、亜鉛か真鍮に銀メッキ加工をしただけのチープなやつ。
紙袋を肘に掛け、広げた右手を眺める。
今、私の左手をルイが握ってくれている……けれど。
当たり前の話し、手を放して帰っちゃったら何も感じられなくなっちゃうんだよね。
それに、若菜ちゃんによるとどこの誰かも知らない人たちとの「レース」に私は勝ったみたいだし?
もしかしたらズルしようとする人が割って入ってくるかもしれないし?
「ねえ、ルイ。一緒に指輪買わない?」
ちょっと重くて悪い子になるのを理解しながら、振り返りざまにルイへ言ってみると。
彼は口をぽかんと開けながら、私へその丸い目を見開いていた。
小さい溜息と僅かに下を向く目線が「案の定か」って言わんばかりの哀愁を放っている。
……あれ。
もしかしてだけど今のって「ちょっと重い」どころじゃなかった?
「いや、いやーごめん! まだ早いよね——」
「いいよ」
今更遅すぎる、不格好にもほどがある言い訳しようとしたところで。
ルイは幸せそうな溜息を一つし、私へ微笑みながらそう言った。
*
「うわ……ほんとに指輪だ……!?」
商店街の分かれ道、夏の陽の光がほどよく注ぐ人気の少ない路地で、買ったばかりの指輪を早速開ける。
お日様の柄がついたその指輪を掌の上で転がして、改めて「買ってしまった」っていう説明しようがない高揚を感じた。
買ったことへの興奮としては、二着で六万のズボンのそれを優に上回る。
横で一歩遅れて指輪を出したルイも、微笑みながらもそれを陽の光にかざしていた。
羽の模様が刻まれた指輪が光を反射して眩しい。
「それじゃ、ルイ。手出して……」
お互いが、お互いの指輪を着ける。
女の子なら誰もが一度は考えるはずの夢。
けれど、鼻で笑いながらその手を止める彼。
「やっぱりって思った。だから僕に合わせて選んでくれたんだね」
「えっ……こういうのって交換するもんじゃないの?」
「うん、交換はするよ。けど、それはまだだ」
あーそうなんだ。
指輪だからてっきり交換するもんだと思ってたけど、まだしないんだ。
ってあれ、まだって言った? まだしないってことは、いったいいつ交換するんだろう……?
時間が経ってその疑問も薄れたあと、自分の右手の薬指に指輪を付けて二人で見せあう。
彼の幸せそうな吐息と哀愁、
少しの間だけ甘くて、静かな時間を過ごした。




