第22-2話:選択
『ごめん、ルイ』
『今日の予定パスでお願い』
自分が眠っているのかも、起きているのかも分からずにいたまま。
陽が昇り、ほんの短い時間正気に戻ったような気がしたときに。
ルイへDMでその旨を伝えた。
それ以来、スマホは見てない。
「…………………………………………」
何かするわけでも、何もしないでもなく。
起きるでも、眠るわけでもなく。
ただただ仰向けになったまま、一晩が過ぎた。
あいつに、奪われた。
あり得たかもしれない未来を。
それと同時に、あり得なかったかもしれない未来も。
別にすぐ子供が欲しいなんて思ってたわけじゃない。
私はまだ学生だし、高校を卒業して、大学に出て。
まだそれすらイメージできないけれど、働き始めてから何年か経って。
そういう相手が出来てから、初めて欲しいかどうか考えるものだと思ってた。
けれど、奪われた。
前までみたいに本来ずっと独り身だったけれど、ひょんなことから家庭を持つことになった未来も。
何もしなくても家庭ぐらい持つと思っていても、結果的に独り身になってしまった未来も。
全て、子供を持つことも、持たないこともなく。
ただただ異能者として戦い続けるだけの未来を、あいつに突きつけられた。
それだけじゃない。
シャワーを浴びている時に目にする、自分の腰周りや腕周りの女らしくない身体も。
暗い夜道でも花が色鮮やかに見えるこの瞳も。
遠くの草むらから聞こえてくる羽虫の鳴き声を聞き分けられるこの耳も。
これも全て、ゲームを戦い抜くために作り変えられたものなんだって。
あいつに選ぶことを奪われて、ただ戦うだけの身体を押し付けられたんだって。
そう思うだけで、憎かった。
あのにやけ面を。軽薄な声を。口しかないあの顔面を。
裂いて、砕いて、潰して、割って、折って、叩いて、引きちぎって、切り刻んで、踏み砕いて、焼き尽くして——。
壊してしまいたい。
心の底から沸き上がってくる、初めて明確に自覚する真っ黒な殺意。
髪を掻きむしりながら死にかけの心の中で感じ取った。
「ゴンゴン……ゴンゴン」
何かが、窓ガラスを叩く。
「ゴンゴン……ゴンゴン」
抜け毛だらけになった枕を被っても、両耳を塞いでも。
何度も何度も、響いてきた。
そして。
「……もうっ!」
立ち上がりざまに、勢いに任せ窓ガラスを開ける。
そこには居たのは、真っ黒な羽を持つ一羽の鳥——黒鷲。
時計へ目を向けると、時刻は十一時。私の知らない間に、世界は昼を迎えようとしていた。
いつも、黒鷲が起こしてくる時間よりも随分と遅い。
それは私のことを見かねてなのか、それとも——。
ただただ、こちらのことを見上げてくる黒鷲。
最初に見た時よりも、いくらか大きくなっている気がして。
けれど、一つ確かなのは。
恐らく、私が家庭を持つ未来を奪われた果てに勝手に与られたものが。
ルイと出会ったころ、リヴァから奪われて、突きつけられたものが。
今、目の前にあったということだけで。
「……」
黒鷲に近い側、右脚の指に力が籠る。
それと同時に、右脚があの異能を行使する時特有の熱を持つ。
そのつぶらな瞳が。首を傾げながらするその息遣いが。ふとした時にしていた毛繕いが。
憎たらしくて。壊したくて。
「……クソっ」
だからベランダの窓を閉じ、鍵をしてベッドに座り込んだ。
……あの子に罪はない。そんは綺麗ごとだけで止めたんじゃない。
あの子は嘴を撫でさせてくれて、少し気を落としている時に紫陽花の枝を持ってきてくれて。
この子に悪気はないんだろうな、と思うことは今まで何度もあった。
けれど、それ以上にあの場であの子のことを蹴り上げてしまったら。
殺意の衝動に任せ、ベランダにその羽を舞わせてしまったら。
もっと何か大切なものを失ってしまうんじゃないかって気がして。
だから、窓を閉じた。
これ以上人間じゃなくなるわけにはいかない。
「ピンポーン……ピンポーン……」
「今度はなに」
そのまましばらくベッドの上に腰掛けながら俯いていると、家の呼び出しベルが鼓膜を揺らした。
何か頼んだ覚えはないし、ルイも今日は来ないはずなんだけど。
「はい……なんですか——」
小さなため息に混じりながら、その扉を開けると。
そこにはあの、栗色の毛をした一人の男の子が立っていた。
「おはよう、大和」
私が寝巻き姿なのを見てか。
もうお昼になるってのに、そう挨拶するルイ。
「……なんでいるの。家教えてないはずだけど」
「え、ええと……だな。鈴原さんにドタキャンされたって言ったら『絶対行ってあげて』って、住所と一緒に教えられて……」
はあ……そういうところが重いって言われるんだよ、香蓮。
目を閉じながら息を吐くとともに、なぜか私から目を逸らすルイへと再び目を向ける。
けれど、目を逸らすその様子になぜだか後ろめたい意図は感じられない。
今日は前に見たみたいな大人なコーデじゃなくて、ちょっと飾り気のあるシャツをタイトなジーパンにインした可愛げのある格好。
片手には課題の入った手提げを、もう片方の手には何かの肉のパックが入ったビニール袋を提げていた。
駅からここまで歩いてきたのか、珍しくその額には汗がびっしりと付いている。
「……なんもないけど、上がって」
上がるよう促すと、僅かに顔を明るくして「お邪魔します」を言いながら私の家へと上む彼。
「へえ、結構小綺麗な部屋なんだな」
ルイはビニール袋をキッチンのシンクへ手提げをソファの上に置くと、おもむろにそんなことを口にした。
「昨日、香蓮が片付けに来てくれたから」
「ハハハ、世話焼きな鈴原さんらしいや」
今ルイ本人がその世話焼きの実行犯になってるってのは……言わないほうが言いかな。
案内もこのへんでいいかな、なんて思いつつ彼の前に立つと、またもやその目を逸らすルイ。
「鈴原さんから、何かあったことだけ聞いてる。話せるようになったらでいい、また前みたいに聞かせてくれると僕も助かるよ」
「……分かったよ。ありがとう」
そう、自然に漏れ出るとともに。
ほんの少しだけ、笑みをこぼすことができた。
「ッッッ…………き、キッチン使っていいか?」
「いいけど。なにするの」
「味噌汁とあと生姜焼きでもって思って。お米はパックご飯になっちゃうけど……」
……香蓮、多分私は何も食べてないってルイに言ったな。
お節介には変わりないけど、そんなお節介をちょっとだけ嬉しく思える自分がいる。
せっかく来てくれたんだからこの格好のままじゃダメだね。
料理の準備を始めるルイの後ろを横切り、着替えを持って脱衣所へと向かった。
でも……ほんの少し一人になっただけなのにまた強烈な不安が襲ってくる。
ルイが今私の家にいるっていう前向きな不安。
ルイは私の今の状態を受け止めてくれるかっていう漠然とした動悸。
その二つが混ざった中庸が、私へ言い得ぬ吐き気を促してくる。
もし、ルイが付き合うなら人生を添い遂げたいと思うような男だったら。
もしも、ルイが将来絶対に子供が欲しいと思っていたら。
もしかしたら、それを聞いた瞬間に私のことを女として見てもらえなくなるかもしれない。
そんなことを、歯を磨きのあとに口を濯ぎながらひたすらに考えているときに、ふと鏡を見ると。
いつボタンが外れたのか、それとも昨日シャワーを浴びたあとからずっと付いていなかったのか。
パジャマのボタンがとれていて、胸元が軽くはだけてしまっていた。
……そっか、ルイがこっちを直視できてなかったのはこれが原因だったのか。
いつもなら顔を紅くして取り乱したんだろうけど、なぜだか今日は少しだけ嬉しい。
——そうだ。女として見られるのかが不安なら、確かめればいいんだ。
鏡に写った自分を見て。そう思った。




