第13話 広がる波紋
黒衣の存在が撤退してから三日。
三十二階層は封鎖状態となった。
国家主導の監視網が敷かれ、ギルドの出入りも制限されている。探索者たちは不満を漏らしつつも、あの異質な存在を目の当たりにしていた者ほど口を閉ざした。
沈黙は、恐怖よりも重い。
ギルド内会議室。
白石総一郎が資料を配る。
「黒衣個体は単体特化型。戦闘力はSランク上位相当、あるいはそれ以上。目的は“確認”と推定されます」
「確認?」
朝霧直哉が眉をひそめる。
「対象の力量、世界の抵抗力、介入許容量。いずれも測定段階と考えられます」
九条烈斗が舌打ちする。
「侵略前の下見か」
「可能性は高い」
和泉康介が机に指を組む。
「つまり、次は本気だ」
静かな結論。
室内の視線が、自然と一人へ向かう。
来生雅也。
彼は目を伏せている。
自分が引き金だと理解している。
だが、認めない。
認めれば、この世界の秩序が揺らぐ。
会議終了後。
廊下で山波大樹が追いつく。
「やっぱりお前狙いだな」
「否定はしない」
山波はため息をつく。
「逃げる選択肢は?」
「ない」
即答。
山波は苦笑する。
「だろうな」
一拍置いて、真顔になる。
「俺は前に逃げた」
雅也が見る。
山波は続ける。
「Aランクだった頃、深層で判断を誤った。仲間を負傷させた。俺は撤退を選んだ。正しかったはずなのに、仲間は俺を見なくなった」
それが挫折。
彼は自ら前線を退いた。
「だから今度は逃げない。お前が立つなら、俺も立つ」
言葉に嘘はない。
雅也は小さく頷く。
「頼む」
短い信頼。
同じ頃。
ギルド受付前。
松浦かなの配信が始まる。
「皆さん、こんばんは。今日は三十二階層の現状について、公式監修のもとでお伝えします」
冷静な声。
煽らない。
断定しない。
映像は、あの日の戦闘の一部。
黒衣の影は加工され、輪郭のみ。
だが緊張感は伝わる。
コメント欄が流れる。
不安。
怒り。
応援。
かなは言葉を選ぶ。
「私たちは、まだ負けていません。撤退はしましたが、守りました」
守った。
その一言が、空気を変える。
数時間後。
SNSでは「守った側面」が拡散される。
恐怖一色だった世論に、わずかな誇りが混ざる。
配信は終わる。
かなは深く息を吐く。
「怖かった……」
誰もいない控室で、本音が零れる。
そこへ扉が開く。
佐倉美野里。
「ありがとうございました」
かなは驚く。
「いえ、私こそ……あれ、来生さんは?」
「訓練場です」
美野里の声は少し硬い。
「無理してる顔、してました」
かなは頷く。
「守る人の顔ですね」
美野里は少しだけ微笑む。
「守られてばかりは嫌ですけど」
その言葉には、決意が滲む。
夜。
訓練場。
雅也は一人で立っている。
木刀を振る。
音が乾く。
呼吸が乱れない。
抑えている。
力を。
あの瞬間、黒衣を押し返した光。
あれは制御を外しかけた証拠だ。
管理対象外。
排除命令。
異世界の秩序は、逃げた勇者を許さない。
足音。
振り向くと、弓永桜子。
白いローブが夜風に揺れる。
「あなたは戻る気はないのですね」
核心。
雅也は黙る。
桜子は続ける。
「私は聖女と呼ばれていますが、政治の道具でもあります」
突然の告白。
「異世界側が介入を強めれば、日本政府は私を象徴として前面に出すでしょう」
「利用されると」
「ええ」
穏やかだが、覚悟の声。
「その時、あなたはどうしますか」
雅也は木刀を下ろす。
長い沈黙。
「守る」
誰をとは言わない。
だが桜子は理解する。
「そうですか」
小さく笑う。
「なら、私は祈るだけでは終わりません」
聖女は政治の駒であっても、意志を持つ。
遠く、三十二階層で再び魔力の波が立つ。
今度は微弱。
試探。
様子見。
だが確実に続いている。
翌朝。
和泉の執務室。
彼は古い写真を見ていた。
若い頃の自分。
隣には、今は亡き探索者仲間。
三十二階層のさらに下層。
あの時も、異質な反応があった。
だが記録は封印された。
国家判断。
「同じ匂いだ」
和泉は呟く。
過去は、終わっていなかった。
ドアがノックされる。
「入れ」
雅也が入室する。
「呼びましたか」
和泉は写真を裏返す。
「来生。お前を守る気はない」
厳しい言葉。
だが続きがある。
「だが、無駄死にもさせない」
雅也は静かに聞く。
「次の作戦は三十二階層再侵入だ。小規模で行く」
「了解です」
「……来生」
和泉の目が鋭くなる。
「もしお前がこの事態の中心なら、自覚しろ」
雅也はわずかに目を伏せる。
「しています」
「なら、背負え」
重い。
だが逃げない。
部屋を出る。
廊下の窓から見える街。
平穏。
笑い声。
光。
守る価値。
胸の奥で、再び微かな囁き。
帰還せよ。
管理下へ戻れ。
雅也は歩みを止めない。
戻らない。
この世界で終わらせる。
三十二階層の奥で、黒衣が静かに目を開く。
観測完了。
次段階移行。
裂け目が、わずかに拡張する。
波紋は広がり続ける。
そしてその中心にいる男は、まだ名乗らない。




