4.女王の言葉
城から少し離れた場所に、石造りの大きな館が建っている。
赤がゆるゆると黒に塗りつぶされていく時間の中、館は星や月と同じように、ろうそくやランプ、松明に灯りを点け、昼間のように明るく輝き始める。
戸口から入った玄関はホールになっており、四階まで吹き抜けの天井になっている。
床には柔らかく、目に優しい桃や緑の色糸を使った絨毯が敷き詰められており、壁にも美しい図柄の壁布が配置されている。
四階の一室。館の中で一番美しく豪奢に飾られ、守りの厚い部屋に、女王がいた。
重厚な革張りの椅子に優雅に腰掛けた女王は、窓ガラスを透かして夕闇に薄く煙る、広大な土地を眺める。
城の消えた今、この館の視界を遮るものはなく、はるか遠くの土地、町の外すら見晴るかすことが出来た。
女王は口元にうっすらと笑みを浮かべると、一人くすくすと笑いを深くする。
「広い土地……。これが、欲しかったのよねえ」
女王は椅子の肘掛に肘をつき、満足そうに口元に手をやる。足を組み、椅子に深く寄りかかり、土地を愛しそうに見つめた。
「王の雲が愚かで良かった。仕事はやりやすくなるし、願ったり叶ったりだわ」
女王の呟きを聞くものは誰もいない。しばし無音の室内に、ノックが響いたのは間もなくのことだった。
「入りなさい」
女王が許可を下すと、身なりの良い騎士が一礼して入室する。女王の側近く寄ると、騎士は彼女の耳に小さく話しかけた。
「不審な人間が一人、国の中をじろじろと見て、歩き回っておりました」
「……冬の王ではないの?」
女王の言葉に、しかし騎士は首を振る。
「残念ながら。王の諜報かとも思われるのですが、自分は流れの占い師であるといって聞きません」
女王は思考を巡らせると、組んでいた足を戻し、すっくと椅子から身を離す。
「案内しなさい。私が直々に検分しましょう」
騎士は素早く首肯すると、女王の先に立って扉を開け放った。
館の地下には、小さいながらも独房があった。
石と木で補強された廊下や室内は、王がいたときには冷たく凍りついていたのだろう。しかし今は、どこもかしこも温められて、融け出した雪や氷が床に滴り、咽るような湿気に満ちている。その中を鼠や細かな虫や蛇が這い回り、元からある陰鬱さを上塗りしているかのようだった。
ロセンは両腕を身体の前で拘束された状態で、牢の中に閉じ込められていた。
地下に明り取りの窓はなく、今は蝋燭などの火気も絶えている。
暗闇の中をごそごそと何かがうごめく気配は、じわじわとロセンを疲れさせていた。
何より、知らないことを吐けと――実際、王のゆくえを知ってはいたのだが――、散々に嬲られた腹部や顔面が悲鳴を上げている。横になっても引かない痛みに、彼は寝ることを諦めるしかなかった。壁に背を預け、じっと目を閉じる。案外にもそれが一番楽な姿勢で、ロセンはゆっくりと失われた体力を取り戻そうとしていた。
がちゃ、と重い音が鳴ると、ぎいっと木製の扉が開く。
地上の明かりが地下に入り込み、ロセンは思わずそちらを見遣った。
騎士二人と、それより上位にあるのだろう女が一人、彼のいる独房に近付いてくる。
頑丈な木で格子状に区切られた檻の外で、三人が立ち止まる。騎士の一人がカンテラを掲げ、壁際に座っていたロセンを照らし出した。
いきなりの灯りが、暗闇に慣れていたロセンの目を閃光のように貫く。目を細めて相手を見極めようとする彼に、女――女王は声を掛けた。
「あなたは、ここへ何をしにきたの?」
ロセンはようやく目が慣れてきたのか、質問をした女性が、この場で――今この国で、一番身分の高い人間であることに気づいた。身につけているものの高価さや態度、何より彼女の圧倒的な存在感が、他の人間と彼女を分けているように彼には感じられた。
きっと彼女こそが、「春の女王」。確信したロセンは、唇と湿らせると、ゆっくりと尋ね返した。
「……あなたこそ、何をしに冬の国へ?」
一瞬、女王は鋭くロセンを見つめ、次いで愉快なものを見るように、残酷なまでの微笑を唇に湛えて、答える。
「国を、富ませるためよ」
女王の迷いのない声に、むしろ怯んだのはロセンの方だった。
「均衡を――」
すべてを言い切らないうちに、ロセンの声は女王の強い言葉に遮られる。
「均衡? 均衡、ね。……そんなもののために、伸び、広がり、より遠くを見ることを阻まれなければならない。――実に、実にくだらない律だわ」
女王は吐き捨てるように言うと、厳しい視線でロセンを見つめた。
「それに……」
女王は美しい唇に嘲笑を浮かべながら、まるで呪うように囁く。
「それに均衡を崩すことは、安定を欲するのと同様に、『誰かがそう望んだこと』なのよ」
女王の声は、特別高いわけでも、低いわけでもない。それなのにロセンは、湧きあがる怖気を抑えることが出来なかった。
この女王は今、世界を見下している。
壊すことも弄くることも、それが世にどのような影響を与えているかなど、彼女にとっては塵に等しいほど無意味だ。
脅える彼を鼻で嗤って、女王は騎士に向かって話しかける。
「旅人は普通、この辺りの国のあり方を知らないはず。知っていたということは、……より疑うべき部分が増えたということね」
ロセンは、内心ぎくりとしたが、既の所で表情に出すのを押し留めた。首肯する騎士の声を聞きながら、女王はもう興味を失ったかのように、早足で牢の出口へと歩き始める。
かつかつと足音が遠ざかり、ぎいっと扉が閉まると、牢の中に再び暗闇が舞い戻る。
閂と錠の掛かる重い音が響いてようやく、ロセンは深々と呼吸することが出来た。




