3.冬の国
「おや、見慣れねえ顔だな」
「これはすみません、旅の占い師なので。門は開いていますが、入っても構いませんか?」
「宿はまだ営業してねえから、寝るなら人のいない家で勝手に寝てくれ。それでも良いってんなら、入んな」
「じゃあ、遠慮なく」
ロセンが濃い肌の色をした屈強な門番とそんな会話を交わして街に入ると、何か不思議な違和感が彼を包んだ。
ここはかつての冬の国。
しかし今は春の女王とその軍隊に占領されて、一時的に春の国になっている。
彼がしばらく街を歩いていると、人気の絶えてしまった通りに、数十人の人間と、花や木や草が集まって、一時に飲めや歌えやと騒いでいた。
兵士の男や女、その周りを地面に埋った数十本の若木が取り囲み、さわさわと風がないのにも揺れ動いている。
木の根元には花と若草が芽吹き、これも歌や楽の音に合わせて、ふうわりゆうらりと動き、ささやかに声なども発している。
焚き火と彼らの歌や踊りを中心に、温かく爽やかな風が吹き上がり、それがロセンのところにたどり着くと、
「おや、旅人かい?」
と、風が彼に対して話しかけてきた。
ロセンは一切動揺せずに、
「旅の占い師さ。しばらくしたら出て行くよ」
と答えた。風は陽気な雰囲気で笑うと、
「そうかい、じゃあ春のあったかさをしっかり感じて休むといいよ。疲れてんだろう?」
明るく薦めて、また吹きすぎていった。
ロセンは軽く息を吐きつつ、目の前の光景をじっと眺めていた。だがしばらくすると、その集団を迂回するように、先へと進み始めた。
街の中には同じように騒ぐ集団が幾つもあり、どこもかしこも歌って踊って、春の楽しみを寿いでいた。
ロセンは少し楽しい気持ちになりながらも、町の中心部に向かうにしたがって、その気持ちが薄らいでいくのを感じた。
かつて雪や氷で出来ていた、冬の国の民が暮した建造物は無惨な姿を晒し、ただの泥と水に変わろうとしている。
冬は春へと変わるのが必定。しかし、この国では違う。冬は冬、春は春と、しっかりと住み分け、彼らなりの秩序と安定と、均衡を保っていたのである。
それが崩れ去った。
ロセンは顔を顰めながら、占領されてしまった冬の国をあてどなく見て歩いた。
しばらく歩いていると、彼は幅十メートルほどの川に出た。立派な石造りの橋が掛かっており、その袂には、一振りの大きな氷柱が下がっている。
人の身体ほどもあろうかと思われる氷柱は透き通って青く、澄んだ冬の空気をひとところに閉じ込めた宝石のように見えた。
橋の下なので日が当たらず、温度も比較的低いままに保たれている。しかしゆっくりと融け出している様子は見て取れ、この氷柱も、そう時の経ないうちに、すっかり融けてしまうのだろうと思われた。
彼は目を瞬いて、それから周囲を抜け目なく見回した。辺りに春の民はいない。彼らがやってくる気配も、無い。
ロセンはゆっくりと堤を下り、もう一度周囲を確認すると、おもむろに氷柱に語りかけた。
「……生きているかい?」
氷柱は答えない。
ロセンはじっと氷柱を見つめながら、腕組みをした。そのまましばらく考え込むと、また氷柱に向かって話し始める。
「冬の王さま、生きているよ」
「王は――王は、ご無事なのですかッ!?」
氷柱から美しい声が聞こえて、ロセンは安心したように微笑んだ。しかし人差し指を口に当てて、注意を促す。
「しーっ、静かに」
「ああ、そうですね……ですが、静かになどしていられましょうか! あの方は生きておられた!」
感極まった氷柱の声が橋の下に反響し、一瞬本気でロセンは焦った。
「いやいや、ほんとに春の兵が来ちゃいますって。お静かに!」
小さい声でロセンがもう一度注意すると、氷柱は深呼吸をし、ようやく小さい声音で話し始めた。
「すみません、本当に嬉しかったもので。……それで、王はどちらに?」
「あの山の向こうの、洞窟の中で休んでいらっしゃいますよ。五体満足で、怪我もありません」
ロセンの言葉に、氷柱は安堵の吐息を零す。
「そうですか……。本当に、本当によかった。王さえご存命なら、まだ世界の均衡を保つ道は閉ざされていない」
よかった、と深く喜んでいる氷柱に、ロセンは気になっていたことを尋ねた。
「少し、伺ってもいいですか?」
「あ、はい。何でしょう?」
「冬の国、どうしてこんなに簡単に攻められちゃったんですか?」
一瞬の間が空いて、氷柱の震える美声が答えた。
「雲が――冬雲が、王の言葉にお応えにならなかったのです」
「冬雲、ですか」
「ええ。彼は王の第一の配下で、雪と同じく、王の忠実なしもべのはずでした。けれど……」
「けれど?」
ロセンが続きを催促すると、氷柱の玲瓏な声が響いた。
「春の軍勢が攻めてくる、三日ほど前だったでしょうか。雲が明るい鼻歌を歌いながら国から出て行くのを、多くの国民が見ておりました」
「出て行く? 国の外に、何か用でもあったんですか?」
「いいえ、大抵どこかの場所に、王の命令で『冬』をもたらすのが彼の仕事でして、それ以外の用で王のお傍を離れるなど、まずありえません。それに、仕事の場合、雲は必ず雪と一緒にいるのです。ですから、仕事で出て行ったわけではないと思います」
「じゃあ、どうして……」
「寝返ったのではないかと、専らの噂です。……噂をしていた人々も、もうほとんど生きておりませんが」
氷柱の言葉に、旅人は言葉を失う。
しかしこれで、洞窟にいるはずの「冬の王」の言葉が、状況を正確に述べていたものであることが、彼にも了解できた。冬の国は、正しく滅亡の危機に瀕しているのだ。
「そうですか……貴重なお話、ありがとうございました」
「どうか、どうか王を、よろしくお願いします。私はどう頑張っても……、ここを動けませんから」
融けて地面と繋がっている氷柱は、残念そうに深い溜め息を吐いた。
「仕方ないですよ。街を歩いていれば、どのみち春の兵に見つかってしまいます」
「そうですね……。早く王の下へお戻りください。そして何よりも早く、雲をお連れ戻しください。彼がいれば、王は国を取り戻せるはずです」
「わかった。ありがとう、氷柱さん」
ロセンが感謝すると、ふっと氷柱は笑ったようだった、そしてそれきり、応えを返すことはなかった。
街に入った頃は高かった陽が、ゆっくりと西の方に傾いていく。
ロセンには、今から山を登るのは自殺行為であると分かっていた。夜に吹雪の中を歩くなど、雪にうずもれて死にたい願望を持つ人間にしか出来ない芸当である。
彼はいくつかの石造りの家に目をつけると、一晩の宿を求めて、ぐるぐると国を歩き巡っていた。
その様子が奇異に映ったのであろう。春の国の兵士が、彼に目をつけた。
「おい、そこの旅人」
呼ばれて、ロセンは振り返った。今この国にいる旅人といえば、恐らく自分くらいのものだろうと思ったからである。
「……なにか」
御用ですか、といいかけたロセンの腕が、ぎりりと強い力でひねり上げられた。鋭い痛覚にロセンの喉が引き攣り、苦悶に顔が歪む。
「じろじろと国を見て廻って、怪しい。冬の国の生き残りではないのか?」
「……冬の国の人は、あったかさに弱いんじゃないんですか?」
ロセンの言葉に、ひねり上げる力が強くなる。ロセンの喉から苦しげな息がこぼれ落ちた。
「冬の国にだって人間はいたんだ。旅人を装った諜報の可能性もある。――暴れるなよ」
兵士はそう言うと、ロセンの腕をひねり上げたまま、どこかに彼を引っ立てていく。
ロセンは抵抗を止め、兵士の前を小突かれるように歩き始めた。
――雲がどこかに囚われているなら、これから行く場所にいるかもしれない。
僅かな希望的観測をもとに、彼は兵士の握力を堪えながら、暮れなずむ街をゆっくりと連れられていった。
お読み頂き、誠にありがとうございます。
ちなみに、拙作短編「いまみえていること」は、この物語の元ネタ……というか、ロセンを初めて文章化した物語です。
そちらは一人称になっておりますので、こちらの三人称よりよほど読みやすいかと存じます。
現代物ですが、この物語のロセンと「彼」は同一人物です。
ご興味を持っていただけましたならば、そちらもお読み頂けると幸いです。




