2.春の女王
雪が融けると、石で舗装された道以外は土が瞬く間に泥に変わり、人が歩くたびに濁った飛沫を跳ね上げている。
温かい風は石組みの道々に、家々に、どこか余所余所しく触れる。
春の気配を帯びた日差しや風に、建物は温まることを拒むように、ひっそりとした静寂を崩さない。
かつては城を中心に、同心円を描くように成長していった街だったのだろう。湾曲している通りは綺麗に整備されていたが、今は人気が絶えているせいか、まるで何も入っていない箱を見るような寂しさがある。
そしてほんの昨日まで蒼く美しく凍っていた城は、跡形もなく融けて消えていた。あとにはぽっかりとした円形の、広い泥地が広がっている。
王城を囲む濠に掛かっていた跳ね橋だけは、木で出来ていた。城を守るために上がっていたそれが、今は降りている。
跳ね橋の手前で腕を組み、豊かな胸を押し上げながら、城のあった土地を睨み据えている女がいた。
琥珀色の肌に、すっと通った鼻梁が作り物めいて美しい女だった。
くっきりとした目元に、宝玉の如く煌く瞳は、淡く萌えいずる若芽の新緑。緩やかに弧を描くなだらかな身体を、丈の長い薄紅の詰襟の上着と、白の細身のズボンに包んでいる。
髪は豊かに黒く、腰ほどまでの長さのそれは、穏やかな海のように波打っている。
女は舌打ちを一つ鳴らすと、憤りも露わにまなじりを吊り上げて、傍近く侍っていた部下に苛立ちをぶつけた。
「もう少し早く攻め上っていれば、王もろとも、城を我が物に出来たのに!」
部下は一声で女の言葉を肯定すると、頭を下げる。
「あの美しい氷の城も、凍った空気を集めて作った輝く衣も、全て融けて泥水に変わってしまうなんて、聞いていないわ」
部下は女――春の女王の言葉に返事をしようとして、止めた。
冬の王の宝物は、冬の国にあるからこそ輝くものばかりだ。春の女王には絶対に身につけることは叶わない。逆に、若草で染めた布も、春雨を集めて横たわる寝台も、冬の王が見ることも触ることもできない、女王の至宝なのだが。
「仕方がありません、女王さま。時は戻せませんし、王もこの国を去ったのです」
部下の淡々とした声に、女王は眉をしかめつつも、溜め息を吐いて渋々頷いた。
「分かってるわよ」
女王の声音に少なくない納得の色を見て取って、部下は密かに胸を撫で下ろした。
女王の心は気まぐれで、いつ自分の首が物理的に吹っ飛ぶか分からないのだ。仕えるには苦労の多い上司だったが、しかし彼は満足していた。女王の美しさと、災いのもとたる彼女の気性に、心酔しているからだといっても言いすぎではない。
「さあ、こうしてはいられないわ。さっさと国全体を把握して、でかい城建てるわよ」
女王の言葉に、部下は短く了解の返事をする。
城の跡地を背にして進む女王の後姿は、凛として美しく、まごうことなき春の華、そのものの姿だった。




