新学期-7
他の教室からのニーナの勧誘。
もはやニーナ争奪戦とも呼ぶべき騒動は、日を追うごとに過熱していた。
休み時間になれば他教室の生徒が廊下で待ち伏せしている。
食堂へ行けば教師が「一度うちの教室を見に来ないか」と声をかけてくる。
共通授業の合間の短時間に貴族の子弟が入れ替わり立ち代わり話しかけてくる。
ニーナは辟易していたが侯爵令嬢として無碍にすることもできず日々疲弊していた。
「もう、勘弁してほしいです……」
その日、ニーナはシュラインと共に逃げるように氷魔法教室へ駆け込んだ。
扉を閉め、鍵までかける。
2人は揃って安堵の息を吐いた。
「本格的に、なんとかしないとヤバいな」
シュラインが紅茶棚へ向かう。
カップを取り出し茶葉を入れる手つきは、疲れているようでいつもより雑だった。
紅茶を淹れ、砂糖をいつもより多めに入れて乱暴に飲み下す。
甘いものでも摂らないと、やっていられない気分だった。
「私のことですみません」
ニーナが俯く。
自分のせいで先輩や師匠に迷惑をかけている、そう思うと申し訳なくてならない。
「別にお前のせいじゃ、」
シュラインの言葉が途中で不自然に途切れた。
カップを置く音が、やけに大きく響く。
「先輩?」
ニーナが顔を上げた瞬間、ドサリという鈍い音がした。
振り向くと、シュラインが床に倒れていた。
「先輩!?」
ニーナが駆け寄る。
シュラインの顔は土気色で、額には脂汗が浮かんでいる。
触れると異常なほどの熱があった。
そして鼻を突く独特の香り。
甘ったるい中に鉄のような香りのする、形容し難い匂い。
「これは、毒……?」
侯爵家で習った知識が、ニーナの脳裏をよぎった。
この香りは魔法薬の一種だ。
即効性のある毒。
侯爵家の毒物学の授業で嗅いだことがある。
「先生の、魔法薬の棚の……一番下に、解毒薬がある」
シュラインが微かに目を開け、掠れた声で言う。
それだけ言うと、そのまま気を失ってしまった。
ニーナは立ち上がり、執務室の奥へ走った。
魔法薬の棚は、ロイオンが管理している。
一番下、一番下と呟きながら棚の扉を開ける。
整然と並んだ瓶の中から、解毒薬と思われる小瓶を見つけた。
小瓶を手に、ニーナはシュラインのもとへ戻った。
だが、シュラインは意識がない。
口を開けさせることもできない。
「どうしよう……」
一瞬、迷った。
侯爵家で習ったことを必死に思い出す。
意識のない者に薬を飲ませる方法。
ニーナは意を決した。
「失礼します、先輩」
小瓶の蓋を開け、自身の口に薬を含む。
解毒薬の苦味が口の中に広がった。
そして、シュラインの唇に自分の唇を重ねた。
冷たい、けれど確かな感触。
薬が喉の奥へと流れていくのを確認する。
2回、3回と解毒薬の瓶が空になるまで繰り返す。
「お願い……効いて」
ニーナは祈るように呟いた。
ここで役に立たなければ侯爵家で習ったことの意味がない。
もどかしさのまま、じっと見守るしかなかった。
数分後、シュラインの呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
熱も先ほどよりは下がっている。
ニーナが安堵の息を吐いた。
ガチャリ。
教室の扉の鍵が開いた音がした。
ロイオンが戻って来たのだ。
一瞬驚いた表情をした後、ロイオンは状況を理解したようだった。
無言で駆け寄り、シュラインの手を取り症状を淡々と確認する。
その動作は無駄がない以上に手慣れていた。
「……ひとまず、大丈夫そうだね」
ロイオンが軽く息を吐きながら言う。
その言葉に、ニーナが大きく息を吐いた。
肩の力が抜け、今にも泣きそうになるのを必死に堪える。
「ニーナ、説明を」
ロイオンの声は、いつもの穏やかさはなく静かだった。
「は、はい……」
ニーナが事情を説明する。
逃げるようにこの教室へ戻ってきたこと。
シュラインが紅茶を飲んで、突然倒れたこと。
毒だと気付き、解毒薬を飲ませたこと。
ニーナが説明している間、シュラインは朦朧とした意識の中で寒気を感じていた。
解毒薬の効果かと思ったが、違う。
物理的に温度が下がっているのだ。
ロイオンの魔力が静かに教室を冷やしていると気付いた。
教室全体の空気が凍りつくように冷たくなっていく。
説明を終える頃には、ニーナの声は震えていた。
それが寒さからなのか恐怖からなのかは分からない。
「良い判断だったね、ニーナ」
ロイオンが短く言う。
それだけの言葉だったが、対応が正しかったのだとニーナは心底安心した。
ゆっくりとロイオンが立ち上がる。
「シュラインは解毒薬が回るまで休んでいてくれ」
「先生、」
シュラインが掠れた声で呼び止める。
だが、ロイオンは振り返らない。
「その間に全部終わらせて来る」
そう言うと、ロイオンは教室を出て行ってしまった。
扉の閉まる音の余韻だけが冷たい教室内に響く。
シュラインは震える手を伸ばし、ニーナの制服の袖をつかんだ。
「先生を、追ってくれ」
「でも、先輩を置いていくのは……」
「……頼む」
それだけ言うと、シュラインは再び気を失ってしまった。
ニーナは悩んだ。
シュラインをこのまま1人で置くのは危険だ。
だが、ロイオンのあの様子も放っておけない。
何よりシュラインが必死に訴えていたのには何か理由があるはずだ。
「すぐに戻ります」
ニーナはシュラインに自分のローブをかけた。
冷えないように、しっかりと。
そして、意を決してロイオンの後を追った。
教室を出ると廊下にロイオンの姿は無かった。
だが向かった方向は分かる。
夏が近いというのに、刺すような冷たい空気が漂っているのだ。
「師匠……!」
呟きながら、ニーナは廊下を駆け出した。
【1章・了】




