2008年7月3日
何となくすっきりしない今年の梅雨空を見上げながら、はあっと溜め息が漏れた。
「降るなら降るで、降り切っちゃえばいいのに」
こんな空模様だと何もかもが億劫になる。
それは決して、仕事がはかどらないからとかだけではなくて。
「そうだよね、古賀さんもそう思う?じゃあさ、ぱっと飲みに行こうよ。最近、洒落たバー見つけたんだよね、俺」
こいつの所為だと思うあたしは決して間違ってなどなく、また、溜め息が口を突いた。
派遣社員として1ヶ月前から来るようになった彼は、どうにもこうにもライト過ぎて仕方ない。
洒落たバーを見つけるよりイカした仕事をして欲しいと心底願っているのは、あたしだけじゃないはずだと思う。
「はあ……」
パソコンを打つ手が止まり、窓際に立つ彼に対して出たのは、曖昧な相槌でなく、またもや溜め息だった。
あんたのお陰で溜め息だらけの毎日だよ、わかってないだろうけどね。
「あのね、大宮くん」
「いやだな古賀さん、タケルって呼んでくれていいのに」
何がタケルか。
いつからそんなにあたしと親しくなったんだ。
「そうじゃなくて──」
肩を落として、ひとこと言ってやろうと視線を向けた先に。
「──え」
あたしは、釘付けになった。
「古賀さん?どうしたの?」
「……あーいや……、洒落たバーは、他の人を誘って」
「え、古賀さん?」
急にどうしたのかとしつこく食い下がる使えない彼を無視して、あたしは急いで、残りの仕事を片付けることに集中した。
このとき、午後5時47分。
窓の外は雲間から少しだけ晴れ間が覗き、それをバックに季節外れのサンタクロースが、ぶすけた顔で口を尖らせてあたしを見ていた。
──何て、言えるわけない。
午後6時18分。
何とか区切りをつけた仕事にほっとするも束の間、しつこい大宮くんを上手くやり過ごして、急いで会社の外に飛び出した。
「……いない」
見間違いとか?
いや、それはない。
いくら何でも、この時期に暑苦しいファー付き真っ赤な生地の服を着た付け髭の……いや、何よりこの現代社会で空飛ぶトナカイのソリに乗ったあれを見間違うだろうか。
そんなはずは……
「……ないんだけど」
いくら辺りを見回してもいないものはいない。
仕方なく、あたしはおとなしく帰宅への一途を辿ることにした。
だいぶ日が伸びたと感じさせる午後7時52分。
ようやく暗がりを落とし始めた時刻に、自宅マンション前に到着する。
「朱美さん!」
「……やっぱり」
いつか見たようなデジャブを彷彿とさせる彼、サンタクロースが、やはりというか、そこにいたわけで。
「で、何してたの?」
「……」
「あんな堂々と出て来ちゃって大丈夫なの?丸見えだったんだけど」
お湯を沸かしながら尋ねてみるも、最初に見た通りぶすけたまま口を尖らせて黙秘権を行使するサンタクロース。
何なんだ。
「ちょっと聞いて」
「あの人は誰ですか?」
「……はあ?」
取り敢えずと出した紅茶をテーブルに置けば、ようやく口を開いたサンタクロースは、意味のわからないことを言った。
「あの人?」
誰だ。
「……あの、お洒落なバーにって言ってた……」
ああ、使えない派遣の大宮くんか。
どうでもいいが、あの厚手のガラス越しによく会話が聞こえたなとか、関係ないことに少し驚いた。
「し、親しい方、ですか……?」
「違うよ、ただの同僚」
「ほ、本当ですか!?」
「……そうだけど」
物凄い食い付きように、思わず少し後退る。
力んだサンタクロースがテーブルに手をついて、がちゃんっとカップが音を立てた。
「どうしたサンタクロース」
「……」
また黙るのか。
「……が……、」
「え?」
「……クリスが……あ、僕のサンタクロース仲間なんですけど、彼が見たって言ってて……」
今度はクリスか。
ワールドワイドだな、サンタクロース協会。
協会なのかは知らないけど。
「何を?」
「その……朱美さん、が……彼と親しくしてるみたいだって……」
「まあ、同僚だしね」
しかしクリス、いつの間にそんな現場を押さえたんだ。
大宮くんと飲みに行った(というか無理矢理拉致された)のなんか二回だけだし、仕事で外回りなんてわたしも大宮くんもないし。
つまり、その二回のどっちかを見たのだろうか……驚愕の確率を押さえてくる。
邪険に出来たらどんなに楽だろうか。
ぼんやりと奴を思い出し、またもや溜め息が出た。
「溜め息っ……こ、恋煩いとかですか!?」
「今の流れで何でそうなるのよ」
いつも思うけど、こいつ大丈夫か。
呆れて見ていれば、子犬みたいな目をしたサンタクロースと視線がぶつかる。
訴えてる、明らかに何かを訴えてる。
「サンタクロース?」
「……それ、」
それ?どれのこと?
掴めなくて首を捻れば、サンタクロースが小さく小さく呟いた。
「……名前、呼んでくれないから……」
名前って、サンタクロースの名前のことだろうか。
そういえばこの間、ようやく聞いたことを思い出した。
なんだ、そんなこと。
「取り敢えず、付け髭は取ったら?千尋」
「──はい!」
7月3日、ようやく笑ったサンタクロースのバックでは、梅雨時期に珍しく明るい月が輝いていた。
「で、蒸し返すけどあの登場は大丈夫なの?」
「ああ、はい。朱美さんにだけ見えるようにしただけですから」
「……マジシャン?」
「?サンタクロースです」
「ああ、うん。そうね。まあ、いいや」
end?




