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第5話 理不尽

(……ふざけないで……)


 最初、シュウはサラの肩を持ってくれるのかと、つい期待してしまった。

 でも、話を聞けば聞くほど、その期待は裏切られていき、今ではすっかり砕け散ってしまった。


 こんな思いをするくらいならば、最初から母やレオみたいに自分の都合を最優先に意見を主張してくれればよかったのだ。


「……サラ、顔色が悪いわ。少し、座ったらどうかしら」


 ぎゅっと拳を握り締め、金の豪奢な刺繍が施された菖蒲色の絨毯が敷かれた床へと視線を落としていたら、気遣わしそうなレイラの声が鼓膜を揺さぶってきた。次いで、サラの肩に慎重に触れてくる。


 だが、サラはレイラの白魚(しらうお)のような手を勢いよく払いのけた。

 鋭く乾いた音は、決して玉座の間に響き渡るような大きさではなかったはずなのに、口論を繰り広げていたシュウとレオが一様に口を(つぐ)んだ。


 まさか、これまで借りてきた猫みたいに大人しくしていたサラが、こんな反抗的な態度を取るなど、露ほども予想できなかったのだろうか。


「……座るって、どこに? あの玉座? わたしは忠誠を誓うに値しない、取るに足りない小娘だって、はっきり言われたばかりなのに? ……冗談も、いい加減にしてよ」


 壇上に鎮座する二つの玉座へと視線を投げかけると、すっと目を細める。


 菖蒲色の玉座の背もたれの上には菖蒲の花の彫刻が、藤色の玉座の背もたれの上には藤の花の彫刻が施されている。


 なるほど、確かに玉座と呼ぶに相応しい、絢爛豪華な仕様だ。芸術品としての価値は高く、鑑賞にはこれ以上ないほど適している。

 しかし、あそこに腰を下ろしたいとは、微塵も思わない。


 玉座から視線を引き剥がすと、レオをひたと見据える。


「……主として仰げるか? 今のあなたからの忠誠なんて、こっちから願い下げだよ。というか、昔ちょっと知り合った程度の相手に、血筋を理由にあっさりと忠誠を捧げられる方がどうかしてるし、正直怖い」


 思ったことをありのままに吐き捨てれば、しんとその場が静まり返った。

 でも、周囲に広がる静寂とは対照的に、サラの腹の底からは怒りがふつふつと湧き上がってきて止まらない。


 そうだ。サラはここに来てから混乱してばかりだったが、本当は相当理不尽な状況にずっと怒りたかったのだ。


 ようやく事態を呑み込めてきて、次第に冷静に物事を考えられるようになったから、今、怒りが発露(はつろ)しただけだ。


「だから、わたしが忠誠を誓うに値するかどうか、好きなだけ見極め見定めればいい。こっちも、あなたたちが信頼できる相手かどうか、しっかり値踏みさせてもらうから」


 サラは終始、声を荒げることも張り上げることもしなかった。

 だが、玉座の間がすっかり静けさに包まれているからだろうか。サラの声は妙に通った上、誰からも反論を寄越される気配がない。


 一息に捲し立てたせいか、ひどく精神的な疲れを覚えた。

 そっと溜息を吐くと、沈黙を保つ一人であるレイラへと振り向く。


「……レイラ。気分が悪いのは確かだから、さっき身支度に使わせてもらった部屋に、先に戻らせてもらうね」


「……ええ、ゆっくり休むといいわ」


 庇護姫であるレイラは騎士を従える立場にあるからか、静かに怒れるサラに圧倒された様子はない。

 ただ、サラを心の底から心配しているのだと、表情からひしひしと伝わってきたが、今はその気遣いさえも負担に感じられた。


 品位を欠かない程度に足早に玉座の間の出入り口へと向かい、回廊に出るや否や、サラはボリュームのあるスカートの裾をたくし上げ、勢いよく走り出した。


 今、履いている靴が(かかと)の低いもので、本当によかった。

 ドレスの裾を持ち上げながら走らなければならないのは、想像していたよりも大変だが、捻挫(ねんざ)する懸念がないのは、この状況では助かる。


 回廊を駆け抜け、階段を駆け上がっても、誰も追いかけてくる気配はない。

 サラに(あて)がわれた客間に飛び込んでも尚、こちらに近づいてくる足音は一向に聞こえてこない。


 静かに憤るサラの姿を見て、しばらくはそっとしておくべきだと判断したのだろうか。それとも、面倒くさい小娘に手を(わずら)わされるのは、御免だと思ったのか。


 どちらにせよ、今は一人になりたかったから、誰も来ないこの状況はサラにとってひどくありがたかった。


 室内に足を踏み入れ、内側から鍵を閉めた直後、急に全身の力が抜けていき、その場に座り込む。


 いくら毛足の長いロイヤルブルーの絨毯が敷かれているとはいえ、土足で歩き回る場所に座ったりしたら、ドレスが汚れてしまうかもしれない。

 しかし、立ち上がるだけの気力はもう残されていなかった。


「……どう、して……」


 唇からぽつりと零れ落ちた言葉の先が、サラ自身にもわからない。

 もう、誰に――何に対して疑問を持てばいいのかすら、わからなくなってきた。


 胸中に渦巻く激情を吐き出したくて、不意に声を上げて泣きたい衝動に駆られたものの、不思議と涙が出てくる気配は欠片もなかった。



   ***



 サラが客間に引っ込んで間もなく、クラリーチェに扉越しに遅めの昼食はいらないかと()かれた。


 そういえば、友人たちと遊覧船に乗っていた頃はまだ午前中で、入浴と身支度を済ませて玉座の間へと向かったのが昼頃だったのだと、クラリーチェの問いを耳にしてようやく思い出したのだ。なんて、濃密な数時間だったのだろう。


 でも、サラはクラリーチェの気遣いを拒み、食事を受け付けなかった。

 普段はよく食べるサラであるものの、この状況下で食欲が湧くはずもない。


 結局、夕方まで扉の前で蹲り続け、夕食も拒絶したサラに、せめて着替えの手伝いだけでもさせてくれと、とうとうクラリーチェに懇願されてしまった。


 確かに、一人でドレスを脱げる自信はなかったから、渋々とクラリーチェを客間に招き入れ、着替えの手だけを借りた。


 もう一度湯浴みをするかとも訊ねられたが、今日は既に一度湯船に浸かったから結構だと、丁重に断りを入れた。


 クラリーチェは後ろ髪を引かれる思いをしたみたいだが、サラの態度があまりにも頑なだったためか、結局、今の季節でも水分補給だけは怠らないで欲しいとだけ告げ、退室していったのだ。


 自分でも、何故ここまで意地を張っているのか、理解不能だ。

 だが、どうしてもラカージュの住人の厚意を素直に受け取ることができなかったのだ。


 一応、クラリーチェの言葉に従い、用意された水差しからグラスに水を注いで飲むと、綺麗に整えられた天蓋付きのベッドに乗り上げ、膝を抱えた。


 それから、どれほどの時間が流れたのか。

 健康優良児であるサラにしてみれば、信じられないことに睡魔が砂粒ほどにも訪れない。


 ちらりと見遣った窓の外は、真っ暗だ。早寝早起きを心がけているサラが、普段ならばとっくに就寝している時間帯に違いない。


(どうしよう……一応、横になって目を(つむ)るだけでも違うかな……)


 緩慢とした動作で触り心地の良いシーツの上から下り、ルームシューズに裸足を滑り込ませて灯りを消そうとした寸前、扉を控えめにノックする音が空気を震わせた。


「……どちらさまですか」


 こんな時間に、本当に誰だろう。

 またクラリーチェだろうか。もしくは、レイラ辺りが様子を見にきたのだろうか。

 おずおずと誰何(すいか)の声をかければ、清涼感のある低い声が返ってきた。


「――シュウだ。少し、中に入らせてもらってもいいか?」


 予想外の人物の来訪に、サラは思わず目を丸くする。次いで、今の自分の格好を確かめる。

 今のサラが身を包んでいるのは、純白のシルクのネグリジェだ。長袖でスカートの裾も長いものの、布地が白いせいで今にも下着が透けて見えそうな心許なさがある。


 いや、仮に昼間と同じ格好をしていたとしても、夜に男の人をベッドがある部屋に入れるのは良くない気がする。


 しかし、シュウは火急の用件でわざわざここまで足を運んでくれたのかもしれない。それに、自分に異性を誘惑できるだけの魅力があるとも思えない。


(ど、どうしよう……!)


 中高一貫校である女子校に通っていたサラは、思春期に入ってから父親以外の異性とほとんど接したことがない。


 つまり、異性への免疫が皆無といっても差し支えがなく、こういう局面での最適解がすぐには導き出せない。


 でも、いつまでも相手を待たせるわけにはいかないと、昼間の怒りもどこかに吹き飛んだ状態で、あたふたと用意されていた空色のナイトガウンを羽織ってから、おそるおそる鍵を開け、ほんの少しだけ扉を開く。


 いきなり扉を全開にするのは、この状況では危険だと、さすがのサラでもわかる。


 慎重に扉の隙間から顔を覗かせると、マントこそ羽織っていなかったものの、シュウは未だに軍服姿のままだった。


「……悪い、もう寝るとこだったのか」


 サラが寝支度を済ませているとは予想していなかったのか、碧眼がそっと逸らされる。

 決まりが悪くなったらしいシュウの手元に視線を落とせば、そこには布製のクロッシュが被せられたトレイがあった。


「ちょうど寝られないところだったから、別にいいんだけど……それは?」


「……昼間から何も食べてないって、リーチェから聞いてな。一応、夜食を持ってきたんだ」


「……そうだったの。わざわざ、ありがとう」


 そんな雑用は騎士であるシュウが直々にしなくても、それこそクラリーチェにでも任せても許されただろうにと思いつつも、感謝の言葉を告げる。


 すると、胸の内で呟いた言葉を聞き取ったかのように、所在なさそうに彷徨(さまよ)っていた空色の眼差しがサラへと注がれた。


「……今の俺に、そんな資格はないかもしれないけど……サラが、心配だったから。今どうしてるか気になったから……会いにきたんだ」


 トレイを受け取るために扉をさらに開いたところで、真心が感じられる清涼感のある低い声がまっすぐにサラの心に届き、息が止まりそうになる。


 昼間の一件を、まだ水に流したわけではない。あの時の言葉を思い出すと、まだ複雑な心地になる。

 だが、シュウがサラを心の底から案じてくれていることは、空を閉じ込めたような双眸を見れば分かるし、その気持ちを拒絶するほどの怒りはもうない。


 背後を振り返り、改めてベッドの存在を確認してから一つ頷き、扉をより一層大きく開けた。


「……どうぞ、入って」


 まさか、ここで入室を促されるとは夢にも思わなかったに違いない。

 意表を突かれたと言わんばかりに見張られた碧眼を見つめ返し、にっこりと笑ってみせた。ラカージュの地を踏んでから初めて笑顔を見せる場面が、こんな状況下になるとは、サラだって予想外だった。


「わたし、ちょっとシュウと話してみたくなって。ああ……安心して。もし不埒(ふらち)な真似をしようとしたら、迷わずヘッドロックを決めてあげるから」

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