第4話 それぞれの主張
言葉を詰まらせて立ち尽くす娘を、アンナはじっと見つめ返す。そして、声にならなかったサラの問いに答えるように、静かに口を開いた。
「……ええ、そうよ。私は二十年前まで、殺め姫と呼ばれてた。そして、あなたは初代殺め姫――サラさまのクローンよ」
一瞬、世界から全ての音が消えた気がした。
もちろん、そんなものは錯覚だ。
しかし確かに今、これまでサラが信じていたものが音も立てずに崩れ去っていった。
「このことを知られたら、あなたは生まれた瞬間からラカージュの連中に利用され尽くすことが、目に見えてた。だから、全てを捨てて逃げたの。カイ――お父さんも私の判断に納得してくれたわ」
母の説明を聞きながら、それはそうだろうと思った。
サラの父であるカイにとって、この世で最も大切なのは妻なのだから。
でも、サラは今までそのことを気に病んだことは一度もなかった。
サラは父にとっての一番にはなれずとも、充分すぎるほど意思を尊重されて育ったから、何の不満もなかったのだ。
だが、父が妻ほどには娘を愛せなかったのは、自分と血の繋がりがないからではないかと、今になって思う。
クローンとは、そういうものだ。
自分の基となったオリジナル以外とは、真の意味で繋がれない。
しかも、サラのオリジナルの人物が生きていたのは、五百年近くも昔の話なのだ。つまり、サラと血の繋がった存在は、もうこの世界にはいない。
月影一族は、遺伝子上はサラの子孫だが、ここまで世代が違えば、他人も同然だ。
サラを産んでくれたアンナだって、厳密には母親とは言えないはずだ。
だって、生まれてきた娘が五百年近く前に生きていた人間のクローンだということは、間違いなく両親のどちらとも血縁関係がないのだから。
「……どうして、そこまでして逃げたの」
今にも干上がりそうな喉からどうにか声を絞り出し、母親だと信じて疑わなかった人にそう問いかける。
「……あなたに、普通の女の子としての生き方を体験させて、普通の価値観を知ってもらいたかったからよ。逃げ続けるにも限界がある。いずれラカージュに連れ戻される日が来ても、それがきっとあなたの武器になると、そう思ったの」
ああ――だから、うちの家族はやたらと引っ越しが多かったのか。
だから、サラは両親とも、それから伯母だというマリアとも、誰とも似ていないのか。
今はそんなことを考えている場合ではないのに、これまで気にも留めていなかったことに、ふと気づいてしまった。
「本当は……あなたが二十歳になったら、全部打ち明けるつもりだったのよ、サラ。でも、予想より早くラカージュに連れ戻される羽目になってしまって……ごめんなさい」
謝罪なんて、いらない。
全てサラを想うが故の行動だったみたいだが、そんな中途半端に差し出されるくらいなら、母の愛などいらなかった。
「サラ……あなた、成長するにつれてどんどん初代殺め姫さまにそっくりになっていくものだから、下手にしらを切るより、あなたがクローンだって、今ここではっきりと伝えた方が良いと思ったのよ。でも、結果的に混乱させてしまって――」
「――謝ればそれで済むって、本気で思ってんのかよ」
サラではなく、独特な色香を纏った低い声が母の言葉を遮って凄んだ。
のろのろと後ろを振り返れば、ミルキーブロンドと切れ長のターコイズブルーの双眸が目に鮮やかな、長身で野性味溢れた雰囲気の美形がアンナを睨み据えていた。
シュウと同じ軍服とマントを身に纏う青年に、どことなく見覚えがあったサラは、緩慢に瞬きを繰り返す。
「――レオ……?」
――レオは、シュウの兄だ。
幼い頃、シュウと遊ぶ時にはよく面倒を見てくれた。
豪快なところがあったものの、頼れる兄貴分だったレオと会う度に、一人っ子のサラはこんなお兄ちゃんが欲しかったと、よく思ったものだ。
「良き母親みてぇな面をしてっけどな、要はてめぇの都合で娘を振り回しただけだろうがよ。それなのに、悲劇のヒロインぶってんじゃねぇよ。気色悪い」
どうやら、ある日突然見知らぬ土地に召喚された挙句、次々と思いがけない真相を突きつけられ、何も言えずにいるサラの代わりに義憤に駆られているらしい。
きっと、ここはレオの心意気に感謝するべき場面に違いない。
しかし、今のサラからしてみれば、妙な正義感に目覚められても、ただ煩わしいだけだった。
予備があったのか、湖に潜った痕跡が跡形もない軍服とマントを身に着けているシュウも、サラと似たような心境に立たされているのだろうか。
母と娘のやり取りに唐突に割り込んだ兄を、呆れたように横目で眺めていた。
「……さっきまでは、サラを次代の殺め姫として認めないって、散々ごねてたくせに」
なるほど、マリアとアンナが諍いを起こしている間、騎士たちは騎士たちで揉めていたから、仲裁に入る余裕がなかったのか。
ぐるりと視線を巡らせると、シュウとレオからやや離れたところに、もう一人の騎士が佇んでいた。
でもレオとは違い、その騎士には全く見覚えがない。
ダークブロンドとジャスパーグリーンの瞳が穏やかそうな印象を与える、甘めの顔立ちの美形も、風見一族の一員なのだろうか。
「ああ、今だってサラに忠誠を誓うつもりなんざ、これっぽっちもねぇよ。でもな、次の殺め姫としては認められなくても、ガキの頃、妹分として可愛がってた奴が雑に扱われてる様を見せられたら、黙ってられねぇだろ」
「これはこれ、それはそれってことか……アンナさまに負けず劣らず、自分勝手な理屈だな」
本当に、その通りだと思う。
アンナもレオも、サラの意思など構わず、自分の都合と主張と感情ばかり押しつけてくる。
「だって、サラはラカージュの常識もルールも、知識も戦い方も知らねぇんだぞ。そんな奴を、主として仰げるか」
「ずっと地上で暮らしてたんだから、俺たちにとっての当たり前がサラに通用しないのは、それこそ仕方ないことだろ。誰だって、最初から完璧な姫じゃなかったんだ。それこそ、今まで殺め姫を務めてたシャノンだって、そうだっただろ。何も知らない主を教え導くのも、騎士の務めだ。レオこそ、そんなことも知らなかったのか?」
皮肉たっぷりに言い返した弟に、レオはわかりやすく眉根を寄せた。
「……殺め姫に選ばれた女が無知且つ無力でいても許されるのは、ガキの頃までの話だ。何も知らねぇ、戦えねぇ女を殺め姫に祭り上げたりしたら、本人が命の危険に晒されるだけじゃねぇ。軍の士気にも大きく影響する。お前こそ、そんなこともわからねぇのか」
シュウの意見もレオの意見も、サラにも理解できるものだ。
シュウは、これからサラに知識と戦術を叩き込み、騎士として全力で支えるべきだと主張している。
レオは、ただ頭ごなしにサラが殺め姫の座に就くことを否定しているわけではなく、全体を俯瞰して見た結果のリスクを考えた上での結論を口にしている。
だが、シュウまでもがサラの意思を確かめもしてくれないことに気づき、愕然とする。
「なら、もう殺め姫として引退したマリアさまかアンナさまを、戦場に放り出すのか。それとも――アヤカシ討伐中に両脚の膝から下を失ったシャノンを、無理矢理にでも引きずり出すのか?」
今まで殺め姫を務めていたという女性が今、どんな状況にあるのか理解したサラは、思わず息を呑む。
これまでのサラは、アヤカシとは無縁の生活を送っていた。
サラが暮らした経験のあるエリアはどこも安全が保証された、アヤカシの脅威から遠ざけたエリアだった。だから、この目でアヤカシの姿を見たことは一度もない。せいぜい、教科書や図鑑に載せられている写真で目にしたことがあるだけだ。
だから、アヤカシの討伐に身を投じたら、どういうリスクが伴うのか、真剣に考えたことなんて砂粒ほどにもない。
ただ当たり前の顔をして、安全と平穏を享受していただけだ。
「シャノンなら高性能の義足を調達して、すぐにでも戦場に戻りそうだよな。俺は、それでも構わない。戦えなくなるまで使い潰されるのが、殺め姫と騎士の義務だからな。でもレオ、シャノンを殺め姫の座から下ろして、戦いから遠ざけようとしたのは……他でもない、お前だよな?」
そして、当然と言わんばかりに自分たちを道具扱いした発言をするシュウに、次第に胸が締め付けられていく。
(わたしは……)
つい先刻まで、サラは自分のことしか考えていなかった。
ラカージュの住人が今、どんな状況に晒されているのか、少しも想像力を働かせようとしなかった。
「その話を蒸し返すなんざ……いい度胸してんじゃねぇか」
今にも掴みかかりそうな勢いのレオに、シュウは肩を竦めるだけだ。
「現状を改めて整理しただけだろ。おまけに……月影一族の末裔は、シャノンを除けば、今この場にいる三人だけだ。他の月影一族は、一人残らず何者かに惨殺された。しかも、シャノンが重傷を負ったのとほぼ同時期に、だ」
その上、事態はサラが思っていたよりも遥かに深刻みたいだ。
「……レオも、わかってるんだろ? 月影一族が……ラカージュと関わりのある連中が、これまでの比じゃない攻撃を受けてることくらい」
そして、シュウの口振りから察するに、きっと敵は――アヤカシだけではない。
「だから、どれだけ不安要素があっても、サラが殺め姫になるのが、現状では最善策だ。もし、これより最良の策があるなら、教えてくれ。レオ……理に適った案なら、俺は従う」
どうして、今さらサラをラカージュに召喚し、殺め姫として仕立て上げようとしているのか、ようやくわかった。
要は、消去法だったのだ。サラ以外、若くて五体満足の月影一族の末裔がいないから、地上での安穏とした暮らししか知らない、取るに足りない小娘を殺め姫に選ばざるを得ないだけだったのだ。
「それに、サラは初代殺め姫のクローンだ。遺伝子上は同一人物なんだから、少し仕込めば理論上、すぐに戦えるようになるはずだ。それに、初代殺め姫の再来とでも謳えば、軍の士気とやらはうなぎ登りだろ」
しかも、サラはかつて人類に希望をもたらしたという初代殺め姫のクローンと来た。
シュウの言う通り、もしかするとサラを新しい殺め姫に仕立て上げる作業はそれほど難しくないかもしれない上、そういう触れ込みがあれば、確かに軍の士気は上がるに違いない。
しかし、シュウの言い分を理解できたからといって――今すぐ納得することなんて、到底サラにはできなかった。




