第31話 空中デート
「わぁ……! すごい、すごい……!」
――サラが意識を取り戻してから、瞬く間に一カ月以上が経ち、もう六月の下旬に差し掛かっていた。
綿密な検査の結果、髪の色が変わったことと、背中に黒百合によく似た刻印が現れたこと、それからサラの心臓がシュウの心臓に大きく依存する形で動いていることが、改めて医者の口から告げられた。
しかし、大きな変化があったにも関わらず、サラの体調は至って良好だ。むしろ、以前よりも生命力が増した気がするくらいだ。
だから、サラとしては体力を取り戻すためにも早くリハビリに取り掛かりたかったのだが、周囲はひどく過保護だった。
特に、クラリーチェにはつきっきりで世話をされ、サラは危うく引きこもりになりかけるところだった。
でも、シュウはサラの身体の調子も心境も見抜いていたみたいで、意外にも頻繁に外に連れ出してくれたのだ。
最初のうちは、サラの歩調に合わせ、月影邸の庭の散策に付き合ってくれ、外の景色を楽しませてくれた。
そして、だんだんと体力が戻ってくるにつれ、サラをシュウが操縦する飛行カプセルに乗せ、セレスティア城の庭園や風見邸の庭をじっくりと見せてくれたのだ。
セレスティア城には何度か足を運んだことがあったものの、風見邸の敷地に足を踏み入れるのは初めてだったから、ついはしゃいでしまった。
そうこうしているうちに、療養生活もそろそろ終わりを迎える頃になり、シュウに何かしたいことはあるかと問われたのだ。
そして、今日――サラの希望に応え、シュウは翼が生えた機械仕掛けの馬であるペガサスに乗せ、ラカージュ上空一周ツアーに付き合ってくれているのだ。
ショートボブになった白銀の髪も、空色のブラウスの袖も、アイボリーのスカーチョの裾も風にはためき、さらさら、ひらひらと空を泳いでいるかのようだ。
何より、ラカージュよりもさらに上空から見る景色は絶景としか表現のしようがなく、自然と感嘆の吐息が零れてしまう。
「シュウ。乗せてくれて、ありがとう! 御伽噺の世界に迷い込んだみたいだよ……!」
背後を振り返り、サラの後ろでペガサスに跨り、手綱を握っているシュウに目を合わせて礼を告げたら、何故か眉間に皺を寄せられてしまった。
それから、シュウが両手で握っていた手綱を右手だけで持ち直したかと思えば、左手でサラの腰をぐっと抱き寄せてきた。
「わかった、わかったから。サラ、あんまり身を乗り出すなよ。落ちたら文字通り、海の藻屑になるからな」
「はーい」
素直に返事をしたサラは、そのままシュウの胸に背中を預ける。
そうすると、シュウの鼓動やぬくもりが一層鮮明に感じられ、安心感が全身に広がっていく。
「シュウは、安定感のある背もたれでもあるんだね」
「人を家具扱いするとか、いい度胸だな」
そう言い返しつつも、シュウはサラがペガサスから落ちないよう、さらに腰をしっかりと抱いてくれた。
「――サラ、一回あそこの小島に降りてもいいか」
シュウと密着しながら空の旅を楽しんで、どれほどの時間が流れたのだろう。
ペガサスに乗ったばかりの時は空のてっぺんにあった太陽が次第に傾いてきた頃、シュウが手綱を握った右手で浮島の一つを指差した。
その浮島には、一本の木が植えられているのが見て取れた。
「うん、いいよ」
サラが首を縦に振るや否や、ちょうど進行方向にあった小島へとペガサスが緩やかに降下していく。
そして、ペガサスの金属製の蹄が芝生に覆われた地面を踏みしめて立ち止まると、シュウが軽やかな動作で馬上から飛び降りた。
「ほら」
こちらへと向き直ったシュウが両手を広げ、サラをひたむきに見つめてくる。
エメラルドの眼差しと空色の眼差しが絡み合うなり、サラは広げられたシュウの腕の中に自分から躊躇なく飛び込んだ。
すると、力強い腕に難なく受け止められ、ぎゅっと抱き竦められる。
「あ、ありがとう……シュウ、もう下ろしてくれても大丈夫だよ?」
「やだ。もう少し、こうしてる」
そうきっぱりと断言したシュウは、サラの頬に自らの頬を擦り寄せてきた。
――サラがシュウの想いに応えてから、以前にも増して好意をまっすぐに伝えてくるようになった気がする。
遠慮がなくなったというか、意外にも甘えん坊の側面があったらしいシュウのこういった行動には、異性への免疫があまりないサラはまだ慣れない。
「オ……オリジナルのわたしたちって、こういうことを当たり前にしてたの?」
恥ずかしさを紛らわせるため、そう問いかければ、シュウはぴたりと動きを止めて考えるような間を置いた。
「まぁ……割とそうかも。でも、人前とか子供の前ではしなかったから」
「してたら、さすがに呆れるよ!」
シュウの記憶を垣間見た時はそういう印象は受けなかったのだが、意外にもバカップル夫婦だったみたいだ。ということは、シュウだけではなく、オリジナルのサラも恋愛に対して結構積極的だったのだろうか。
そんなことを考えていたら、シュウの笑い交じりの吐息が耳朶をくすぐった。
「ちなみに、似たようなことで叱られたこともある」
「そうなの?」
「ああ。昔のサラも、甘え上手のくせに恥ずかしがり屋なとこもあったから」
「よくわからないけど……オリジナルのわたしと今のわたし、思ったより共通点があるってこと?」
自分が甘え上手だと思ったことは一度もないが、シュウの口振りから察するに、オリジナルのサラもそれほど恋愛が得意だったというわけではないようだ。それならば、共通点と捉えられそうだ。
「行動心理学によると、人格は遺伝子と環境で形成されるらしいからな。だから、半分くらいはそっくりでも、おかしくないだろ」
「……シュウは、わたしがオリジナルと似てる方が嬉しい?」
サラの意識に流れ込んできたシュウの思考から答えを知っているのに、急に不安に駆られて問いを投げかける。
「うーん……嬉しいっていうより、懐かしいって感じだな。違うとこを見つけたら見つけたで、新鮮な気持ちになるし……」
そっと地面に下ろされ、シュウの拘束が不意に緩められたかと思えば、顔を覗き込まれた。それから、サラの背中に回されていた右手が離れ、頬をするりと撫でられる。
「――今の俺が好きになったのは、今のサラだから。サラはサラらしく、そのままでいてくれ」
「……うん」
改めて言葉にされたら、何だか胸がいっぱいになり、頷くことしかできなかった。
「髪も、今の色も神秘的で俺は好きだな。短いのも、似合ってる。あ……でも、サラが気になるようなら、染めるなり、伸ばすなり、自分好みにしたらいいと思うぞ」
頬を撫でていた手が白銀の髪に触れたかと思えば、シュウは突然焦ったようにそう付け加えた。
思わずきょとんと目を瞬かせてしまったものの、すぐに噴き出してしまった。
「……わたし、シュウのこと大好きだけど、何でもかんでも好きな人の言いなりになるタイプじゃないって、シュウは誰よりも知ってるんじゃないの?」
くすくすと笑みを漏らしながら、サラも手を伸ばしてシュウの頬にそっと触れる。
「でも、そんなに気に入ってくれたなら、せっかくだからしばらくこの髪型にしておくのも悪くないかな。染めるのは……やめておくよ。わたしも気に入ってるし、それに……染めたら、髪が傷むから」
医者によると、サラの髪から色素が抜け落ちたのは、高熱の影響かもしれないとのことだ。
だが、シュウと同じで、実はサラもこの新しい髪色が密かに気に入っていたのだ。
「あと、背中の紋様も結構お気に入りだから、シュウは変な罪悪感を持つ必要はないからね」
そう――シュウは、サラの髪色や長さの変化以上に、背中に刻まれた黒百合の紋様を気にしていたのだ。それこそ、軽々しく口にできないほどに。
もし、ショートボブになった白銀の髪が気に入らなければ、先程シュウが言った通り、染めるなり、伸ばすなりすればいいだけの話だ。
しかし、背中の刻印だけは一生消えないのだという。
昔、殺め姫が自分の騎士の蘇生を試みた際にも、似たような紋様が致命傷があった部位に現れたらしい。ちなみに、その時の紋様は、菖蒲の花にそっくりだったという話だ。
でも、そのことを心苦しく思った当時の殺め姫は、皮膚の移植手術で騎士の刻印を消そうとしたみたいだが、結局どんな手段を取っても叶わなかったのだと聞かされた。
「それに、シュウにも同じ紋様があるんでしょ? だったら、お揃いみたいで、むしろ嬉しいくらいだよ」
シュウの頬に触れていた手を滑らせ、黒い軍服に包まれた左胸を指先でとんと叩く。
自らの血液を媒介に蘇生を行った者の左胸には、蘇生された者と同じ紋様が刻まれるのだ。
運命共同体の証なのか、呪いの象徴なのかは知らないが、シュウとサラ、それぞれの肉体に同じ刻印を持っているなんて、自然と独占欲が満たされていく。
そう考えてしまうサラは、相当神経が図太いのだろう。
現に、クラリーチェが用意してくれた三面鏡を利用して背中の状態を確認した際、タトゥーみたいで綺麗だと歓声を上げたら、呆れられてしまった。
「……そういえば、シュウ。軍服着てるけど、この後、もしかして仕事入ってるの?」
シュウは騎士の仕事が入っていない限り、基本的に軍服は着用しない。
だから、そうだとしたら、早めに切り上げなければと思ったのだが、シュウは首を左右に緩く振った。
「いや、そういうわけじゃない。今日は……そういう気分なだけだ」
「ふーん?」
少々引っかかりを覚えたものの、シュウの軍服姿は眼福だから、それ以上は触れないでおく。
そして、今度はシュウの髪に手を伸ばす。
「それにしても……シュウの髪が銀髪に見えたり、わたしの目が空色になってたりしたのは、何だったんだろうね? 銀髪のシュウも、格好良かったのに」
いくつも起きた変化のうち、これらは未だに原因が解明されていない。
シュウが、かつて蘇生を行った殺め姫と騎士の文献を調べてくれているのだが、蘇生が行われたのはどれだけ過去を遡ってもその一件限りで、そもそも記録自体がほとんど残されていないのだという。
「それはどうも。これに関しては、お互いの目の錯覚だったって言われれば、それまでだな」
「あれ以来、お互い、髪の色も目の色も特に変化はないもんね……でも、わたしがシュウの記憶を見たのは、どういう理屈なのかな?」
問いを重ねれば、シュウは目を伏せて考え込む素振りを見せた。
「……旧時代から、臓器移植による記憶転移っていう仮説があったらしい。サラほど、他人の記憶をはっきり見た例はないと思うけどな。だから多分、今回似たような現象が起きたんだと思う」
「なるほど……」
難しい言葉を使われると、真実であろうとなかろうと、妙な説得力を感じてしまうのは、サラだけだろうか。
「まぁ、俺たちは厳密には人間じゃないからな。アヤカシなら、多少突拍子もないことが起きても、不思議でも何でもない」
「……それもそうだね」
つい苦笑いを浮かべつつ、やや癖のある濡れ羽色の髪から手を放すと、不意にシュウの視線がサラから逸れた。




