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第29話 おいで

 のろのろと顔を上げれば、そこには空色のギンガムチェックの傘をさした、セーラー服姿の少女が立っていた。


 栗色のまっすぐで艶やかな髪。大きくて丸いエメラルドの双眸。小さくて控えめな鼻と唇。透き通りそうなほどの白さと血色の良さを兼ね備えた肌。


 七年近くの時が流れ、背も手足もすらりと伸び、頬は緊張に強張っていたものの、かつての面影は色濃く残っていた。


 空色の眼差しと、心配の念と警戒心を乗せたエメラルドの眼差しが交錯するなり、ただでさえ大きな瞳がさらに大きく見開かれていく。


「え……シュウ……?」


 花びらみたいに淡く色づいた唇から驚愕と戸惑いの声が零れ落ちたかと思えば、少女――サラはその場にしゃがみ込んでシュウと目線を合わせた。

 その際、ポニーテールにまとめた髪が一房、肩からさらりと零れ落ち、紺色のスカーフが揺れた。


「わたし、サラだよ。昔、よく一緒に遊んだんだけど……覚えてる?」


「……覚えてるに決まってるだろ」


 シュウがサラを忘れたことなんて、一度たりともない。

 シュウのぶっきらぼうな返答にも気を悪くした様子はなく、サラは一つ頷いた。


「よかった。久しぶり、シュウ。それで……シュウはこんなところで、どうしたの? 顔色悪いけど、具合悪いの?」


 サラが嬉しそうに頬を緩めたのも束の間、すぐに心配そうに表情を曇らせる。


「家はこの近所? シュウさえ良ければ、送っていくよ? それか、かかりつけの病院に行くか――」


「……体調は、悪くない」


 てきぱきと今後の方針を決めようとするサラの言葉を、地を這うような低く疲れ切った声で遮る。


「家も……この近所じゃない。それに……今は、帰りたく、ない……」


 今、風見の屋敷に戻ったら、何がシュウを待ち受けているのだろう。

 想像しただけで、怖気(おぞけ)が走りそうだ。


 本音を口にするだけ口にして黙りこくると、二人の間に沈黙が落ちる。

 すると、先刻よりも勢いを増した雨が、サラがさしている傘を強く叩く音が、鼓膜を揺さぶる。


「――じゃあ、うちに来る?」


 しばしの沈黙の末、さらりと告げられた言葉は、あまりにも予想外のものだった。

 シュウが目を瞬かせている間にも、サラはしなやかな動きで腰を上げ、こちらを見下ろしてきた。


「今日はお父さんとお母さん、帰ってこない日だから。だから、今からうちに来ても、大丈夫だよ」


 いや、両親がいない日に、仮にも肉体年齢が思春期の少年を家に上げたら、駄目だろう。サラには、危機管理能力が欠如しているのだろうか。


「だから――おいで」


 しかし、シュウがサラの提案を咎めるよりも早く、手を差し出されたら、声が喉の奥に引っ込んでしまった。


 ――わたしは、あなたの敵じゃない。だから怖くない、怖くないよ。


 オリジナルとサラと、今シュウの目の前に立つ少女が注ぐエメラルドの眼差しが重なった途端、何故か胸が締め付けられて言葉に詰まってしまったのだ。


 そして、それこそあの時のシュウと同じように、手負いの獣みたいな臆病さでおそるおそる手を伸ばすと、サラはしっかりと掴んで引っ張り起こしてくれた。


「ほら、帰ろう」


 あまりにも自然とかけられた言葉に、思わずこくりと頷く。


 ――本当は、シュウが帰るべき場所は、サラが連れていこうとしているところではない。

 でも、シュウが帰る場所がサラのいる場所だったらよかったのにと、思わずにはいられなかった。



    ***



「――シュウ、食後のデザートとか欲しい?」


「いや……さっき、たくさんピザ食べたから、今はいらない」


「そっかー。じゃあ、わたしもやめておこうかな」


 サラの家に上がってから、既に数時間が経過していた。


 サラの家に向かう途中で寄らせてもらった、コンビニエンスストアで買った黒いスウェットに着替え、デリバリーで頼んだピザを満腹になるまで頬張ったからだろうか。


 それとも、着替える前に温かいシャワーを浴びたからなのか、リビングがアイボリーやアイスグリーン、それからココアブラウンなど、柔らかな色でまとめられている空間だからなのか。

 強張っていた身体から余計な力が抜け落ち、徐々に眠くなってきてしまった。


 ソファに腰かけてぼんやりと宙を眺めていたら、キッチンに行っていたサラが戻ってきた。


 制服から、部屋着と思しき淡いピンクのワンピースに着替えたサラは、シュウの様子を見て取るや否や、くすりと笑みを零して顔を覗き込んできた。

 その拍子に、また栗色のポニーテールがさらりと揺れる。


「……シュウ。別に、遠慮しなくていいんだよ? お客さん用の部屋も布団もあるし、そういう支度はお願いすれば、ジーナがやってくれるから」


 ジーナとは、この家にいる女性型の家事代行用の自動人形(オートマタ)の名前だ。


 今日はもう任せる仕事がないからと、先程サラがジーナをスリープモードにしたため、今は姿が見えない。

 だが、サラがひとたび起動させれば、即座に仕事をこなしてくれるに違いない。


「……さすがに泊まるのは、悪いって」


「でも、シュウ……帰りたくないんでしょう?」


 ――シュウがサラの家にお邪魔してから、やたらと泊まっていくかと訊かれた。

 その度に、サラの警戒心のなさに呆れていたものの、シュウがつい吐露してしまった本音を真剣に受け止めてくれたからだったのか。


「だとしても……気安く同年代の男子を家に泊めようとするのは、やめろよ。親が心配するだろ」


「なら、シュウが連絡を入れればいいだけの話じゃない」


「うちの親じゃなくて、サラの親の話」


「ああ――うちのお父さんとお母さんは、わたしがどこで何をしてても、命の危険がない限りは気にしないよ」


「そんなわけ――」


 咄嗟に反論しかけたところで、ふと口を噤む。それから、サラがごく当たり前のように告げた言葉を、胸の内で反芻する。


(サラは……まだ十三歳だったよな?)


 もうすぐ誕生日を迎えるとはいえ、それでもサラが十代前半の少女であることには変わらない。

 サラの両親の教育方針は、放任主義とも取れるだろう。

 しかし、十三回目の人生を歩むシュウには、この空気に覚えがあった。


「……サラの両親は、よくこうやって家を空けるのか?」


「え? う、うん……今日は金曜日で、明日から休みでしょ? だから、こういう時はよく、二人ともお泊りデートするの」


 サラは心底不思議そうに小首を傾げたものの、すぐに答えてくれた。


「じゃあ……明日になったら、帰ってくるのか?」


「どうだろ? 明日になってみないと、わからない。仕事があっても、何日も帰ってこない時もあるからなぁ。でも、いつもちゃんと連絡は入れてくれるから、問題ないよ」


「……サラを、家に一人置いて?」


「一人じゃないよ、ジーナがいるから。それに、わたしだって部活で家を空ける時もあるし、お互い様だよ」


 これは、育児放棄――ネグレクトではないのか。


 シュウが経験してきたネグレクトに比べれば、明らかに程度は軽い。

 でも、だからといって子供を家に残し、自分たちは遊び呆けているなど、親としての責任感はないのか。


(昔は、放任主義で片付けられる程度だったけど……)


 一体いつから、こうなっていたのか。


「え……えーっとね……? シュウ……確かに、うちが普通の家族とちょっと違うことくらいは、わたしもわかってるけど……仕方ないんだよ。お母さんにとって一番大切な人がお父さんで、お父さんにとって一番大切な人がお母さんってだけで。それに二人とも、一緒にいる時は優しくしてくれるし」


 シュウが唐突に黙り込んでしまったからなのだろう。サラはしどろもどろになりながらも弁明したものの、二人への印象は全く変わらない。


「それ……自分たちの都合が良い時だけ、親らしいことしてるってことじゃないのか?」


「……そうとも言うね」


 気まずそうに目を逸らすサラに、思わず溜息を吐く。そして、ゆっくりと立ち上がると、おもむろにサラの手を掴む。


「……シュウ?」


「……俺、そろそろ帰る」


「う、うん? じゃあ、玄関までお見送りするね」


 ならば、この手は何なのかと問いたげな視線を向けられたものの、サラは律儀にそう言い出した。


「いや、サラも一緒に行くぞ」


「え!? どうして?」


「少なくとも、サラの親より真っ当な大人のところにサラを連れていく。そんでもって、俺もほとぼりが冷めるまで、そこで世話になる。これで万事解決だ」


 サラの境遇を聞かされたおかげで、自分が代理母に性的に襲われそうになったことなど頭から吹き飛び、冷静な判断力が戻ってきた。


(月影に保護を求めれば、風見も余計な手出しはしないだろ)


 それに、月影家はサラの母親であるアンナの生家だ。家も、殺め姫の座も捨て、花婿と駆け落ちした身勝手な女が、娘のことも自分勝手な理由で振り回していると知れば、当代の殺め姫であるマリアが養女として引き取ってくれるかもしれない。


 その結果、将来サラが殺め姫にならなければいけない可能性が生まれてしまうが、マリアの娘であるシャノンは既にイヴ本来の力に目覚めているのだ。何も知らないサラを殺め姫に仕立て上げるメリットは現状、皆無に等しい。


 だから、今のラカージュであれば、サラにとってそれほど悪くない環境のはずだと考え、すたすたと歩き始めたシュウの手が急に引っ張られた。


「ま……待って、待って! シュウ、落ち着いて!」


「落ち着いて考えた結果、この結論が出た。文句あるか?」


「確かに、シュウが言ったことは正論かもしれないけど! でも、今わたしがいなくなったら、お父さんたちを困らせちゃうから!」


「現在進行形で、サラは親に困らされてるのに?」


「そうだとしても……今のわたしの保護者は、お父さんとお母さんだよ。赤の他人で子供のシュウが、勝手にわたしのことをどこかに連れていくのは、どうかと思う」


 サラのこれ以上ないくらいの正論が、シュウの胸に突き刺さった。


 シュウは幾度も人生を繰り返し、父親になったこともある。


 だから、親として無責任なカイとアンナの話を聞かされたら、まだ子供であるサラを放っておけないと思ってしまうし、責任能力がある大人に保護してもらい、真っ当な養育環境で生きていくべきだと考えてしまう。


 だが、サラの指摘通り、今のシュウも子供だ。

 シュウの考えを実現するためには然るべき手順を踏み、大人たちの手を借りなければならない。それには、手間も時間もかかる。


 アンナたちには、ラカージュから逃げ出したという前科がある。

 初動でもたついていたら、その間にサラを連れてまた雲隠れしてしまうかもしれないが、シュウは子供だから、自分一人の力ではどうにもならない。


「それにね、シュウ……お父さんもお母さんも、一応……わたしの家族だから。あんまり事を荒立てたくないの」


 困ったように微笑むサラに、胸が鈍く痛む。

 その物分かりの良さに、両親に付け込まれているのではないのかと、つい声を荒げたくなってしまう。


「だからね、わたし……高校を卒業してから、お父さんやお母さんの人生から、少しずつフェードアウトしていこうと思うんだ」


 しかし、一転して悪戯っぽく笑ってみせたサラに、今度は虚を突かれた。

明日は6時・12時・18時の1日3回更新する予定です

どうぞ最後までお付き合いください

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