第21話 殺め姫
刃を抜いた薙刀の柄を握り直すと、腹這いになっていたネージュの背に膝をつき、上体を起こす。
そして、改めてネージュの背に跨ったところで、サラより前方で戦っていたシュウが不意に振り返り、目で合図を送ってきた。
応えるように頷くなり、ネージュの脇腹を左足で強く蹴り、望む進路へと誘導する。
――目指すは、今シュウに意識を向けているフェンリルだ。
だが当然ながら、突如として接近してくる敵の気配を感じ取れば、いくら今まで狙っていた獲物がまだ目の前にいたとしても、多少は集中を削がれる。
案の定、シュウに狙いを定めていたフェンリルのうち、一頭がサラを乗せたネージュを目掛けて突進してきた。
「――ネージュ、避けて!」
サラがそう命じれば、ネージュは身を捻って進行方向を変えようとする。
そして、サラは走るネージュの背から振り落とされないように注意を払いつつも、その場に立ち上がり、勢いをつけて跳躍する。
サラが浮遊感を味わったのも束の間、ちょうど接近してきたフェンリルの背に無事着地を決める。
突如として背に衝撃を受けたフェンリルは、背に張り付いた異物を振り落とそうと、滅茶苦茶に暴れ回った。
サラはむしり取るくらいの強さでフェンリルの薄墨色の体毛を掴み、揺れをやり過ごしながら、態勢を整える。
「はっ!」
それから薙刀の柄を構え直すや否や、突きを繰り出して殺生石の刃でフェンリルの首を刺し貫く。
薙刀は、突きと薙ぎ払うことに特化した得物だ。その勢いを殺さぬまま、真横に刃を薙ぎ払う。すると、サラの眼前で色鮮やかな血飛沫が舞う。
後ろから不意を突かれて急所を攻撃されたフェンリルは、ろくに抵抗もできないまま、地に倒れ伏す。
しかし急所を突かれ、切り裂かれ、致命傷を受けても尚、最後の悪足搔きと言わんばかりにフェンリルは辛うじて繋がっている首を捻り、卑怯な襲撃者に牙を剥く。
サラは両手で握り締めていた薙刀を躊躇なくフェンリルの左の眼球に突き立て、その頭を踏みつける。その際、頬や軍服にフェンリルの返り血を浴びたが、視界を奪いさえしなければ、気にする価値もない。
そして返り血を浴びたまま、ガンホルダーから素早く引き抜いた銃を両手で構え、迷わずフェンリルの頭部に弾丸を撃ち込んだ。
「……誰が、獲物を仕留めるのに、武器は一つだけじゃなきゃ駄目だって言った?」
硝煙を立ち上らせる銃を右手だけで持ち直し、左手の甲で頬を汚した鮮血を拭い落しつつ、片頬だけ歪めて笑い交じりの吐息を零す。
それから、再びベスティア・ガンをガンホルダーに戻し、フェンリルの左目を串刺しにしていた薙刀を引き抜く。その際、刃から血糊を払い落としてから、再度背負う。
ふと、周囲が静まり返っていることに、ようやく気づく。
既に事切れたフェンリルに落としていた視線を持ち上げれば、サラが大立ち回りをしている間に、先程まで繰り広げられていた戦闘が収束していたみたいだ。あちこちに、フェンリルの遺骸が転がっている。
負傷者はいないかと、辺りに視線を走らせていたら、どうしてかサラが軍人たちの注目を集めていることにも気づき、目を瞬かせる。
もしかして、殺め姫らしからぬ姑息な戦い方が顰蹙を買ったのかと思っていたら、聞き慣れた獣の足音がこちらへと駆け寄ってきた。
振り返れば、ネージュとシュウを乗せたノワールが、サラのすぐ近くで足を止めた。そして、シュウがノワールの背からすぐに飛び降り、サラの元へとやって来た。
「――サラ、怪我はないか」
「うん、わたしは大丈夫。シュウは?」
「俺も、掠り傷一つない。負傷者はゼロじゃないみたいだが……少なくとも、重傷者も死者も出てない」
「よかった……」
事前に、シュウからフェンリルはアヤカシの中でも比較的危険度が低く、殺め姫の初陣に選ばれることが多いのだと聞かされていた。
でも、それでも戦闘中には不測の事態がつきものだ。
現に、怪我人を出さずに初陣を終わらせることはできなかったが、命を落とした人はいないと知り、心の底からの安堵の吐息が唇から零れ落ちていく。
「サラ、なかなか様になってたぞ。殺め姫らしい、容赦のない野性味溢れる戦い方だった」
「……殺め姫って、そんな野蛮なイメージを持たれてるの?」
頬を汚した血がまだ付着していたらしく、シュウの指先に拭い落されながら告げられた言葉に、複雑な心地になる。
「それだけ、格好良かったって話だ。姫というより、あれは女王だったな」
「そ、そう?」
女王みたいだったという発言には多少引っかかったものの、格好良かったという賞賛の言葉は素直に嬉しい。
「ああ。実際、軍の奴らから憧れと羨望の眼差しを集めてるだろ」
「あ……それで、じろじろ見られてたんだ」
「そういうこと。あとは、フェンリルの遺骸を回収して、殺生石の反応があるか確認するから、俺たちは先に撤退――」
シュウの指先がサラの頬から離れた直後、背後から突然大きな物音が聞こえてきた。まるで先刻までよく耳にした、巨大な生き物が地面に倒れ込む音に酷似していた。
弾かれたように振り返った先には、針葉樹が群生する森には棲息していないはずの、ブラックマンバとタイパンを融合させた二つの首を持つ蛇型のアヤカシ――ヒュドラの姿があった。しかも、一頭や二頭の話ではない。複数の個体を、ここからでも視認できた。
「どうして……」
「――サラ、逃げるぞ」
予想外のアヤカシの登場に動揺するサラとは裏腹に、落ち着き払ったシュウの声が指示を出した。
咄嗟に振り向くと、剣吞な目つきになったシュウに手首を掴まれて引っ張られる。
「ネージュに乗って、撤退しろ。早く」
「え、でも……」
「あいつは高い毒性と攻撃性を持ってるんだ。今のサラの手に余る敵だ。サラがここにいても、足を引っ張るだけだから、今はとにかく逃げることに専念しろ。――いいな?」
口早に伝えられた言葉はどれも紛れもない事実で、サラが反論する余地なんて欠片もない。
シュウの言う通りに動くべきだと判断したサラは、急いでネージュの背に跨る。サラ同様、シュウもノワールの背にひらりと飛び乗った。
「ぅ……うわあああああああああああああああああああ!」
だがその直後、軍人の叫び声が耳をつんざいた。
状況を把握するために視線を動かせば、シュウの説明通りの高い攻撃性をさっそく発揮したヒュドラが、歩兵や騎兵部隊に襲いかかるところだった。
さすが訓練を受けた軍人というべきか、戦車の大砲や銃、銃剣で即座に反撃に転じたものの、ヒュドラは巨体に似合わぬ俊敏な動きで、まずは尾で戦車を勢いよく引っくり返したのだ。
――今のサラの手に余る敵だ。
咄嗟に援護に向かおうとしたが、先程シュウがサラの実力を断言した声が、耳の奥に鮮明に蘇り、寸でのところで踏み止まる。
「行くぞ、サラ」
反射的に動きかけたサラの内心を、見透かしたのだろうか。あるいは、サラの気が変わらないうちにと思ったのか。
シュウの厳しい声に促されるがまま、サラは断腸の思いでヒュドラから距離を保ったまま逃走を開始した。
「この森を抜けた先に、救護班が待機してるテントがあったのは覚えてるな? サラをそこまで送り届けたら、俺は援護に向かう。何かあったら、通信機で連絡してくれ」
サラを背に乗せたネージュと並走しつつ、もう一度指示を出してきたシュウを見遣る。シュウはノワールの背に揺られながら顔をこちらに向け、まっすぐにサラを見据えていた。
「……わたしだけ、安全な場所でのうのうと待ってろって?」
「サラもわかってるだろ。今、月影一族の命は一人も取り落とすわけにはいかないんだ。唯一、殺め姫の役割を果たせるサラは、尚更だ。ラカージュの誰よりも保護されるべき存在なんだよ」
シュウの言う通り、理解はしている。
しかし、自分に与えられた役目を考えれば、果たして共に戦ってくれた人たちを見捨ててまで逃げることが正しいことなのかと、疑問が生じる。
「納得できなくても、理解さえしてくれればいい……それで、返事は?」
シュウは、やはりサラのことをよく見ている。それとも、すぐ感情が顔に出てしまうサラが、ただわかりやすいだけだろうか。
唇をきつく噛み締めると、小さく頷く。
「……うん、シュウの言う通りにする」
不承不承ながらもそう答えたら、シュウはほっと安堵に表情を緩め、すぐに正面へと顔を向けた。
本当に――サラに求められていることは、矛盾している。
殺め姫として、アヤカシを討伐して欲しい。でも、月影一族の数少ない生き残りとして、子供も産んで欲しい。
後者に関してははっきりと言われたことはないが、ラカージュで生活していれば、嫌でもそういった期待もかけられていることに気づかざるを得ない。
そして――サラが子供を残す相手には、絶対に望んだ人は選ばれないのだ。
(だって……どうしても結婚して子供を作らなきゃいけないなら……その相手は、シュウがいい……シュウじゃなきゃ、やだ……)
だが、シュウは子供を作ることを禁じられている身の上だから、間違いなくサラの生涯を共にする相手にはなってくれない。
(どうして、今なの……)
何故――今、シュウが好きだと、きっとずっと前から恋をしていたのだと、気づいてしまったのだろう。
今はこんなことを考えている場合ではないのに、まるで別れを予感させるかのようではないか。
一際強く唇を噛んだ直後、何の前触れもなく灰色のぬるりとした鱗に覆われた巨大な蛇の頭がサラの目の前に現れた。
「――ネージュ!」
サラの声掛けに、ネージュは心得たと言わんばかりに急停止し、身体を捻って大きく後退し、ヒュドラから距離を取った。
「……サラ、こいつは俺とノワールで引きつける。だからネージュ、その間にサラを連れて避難しろ。いいな?」
舌打ちをしたシュウは即座に態勢を立て直し、碧眼でサラを捉える。
「もし、俺と連絡がつかなくなったら、レイラと連絡を取れ。そうすれば、テレポート技術で回収してくれるはずだ……今なら、サラを湖に落としたりしないから、安心しろ」
確かに、今のサラは他のラカージュの住人と同じように、右腕に極小のGPSチップが埋め込まれている。だから以前とは違い、簡単にサラの現在地点を特定できるはずだ。
「うん……わかった。でもその代わり、約束して。あとで……絶対に会おうね」
返事と共にそう念押しをすると、シュウは軽く目を見張った後、ふわりと微笑んだ。
「……ああ、またあとでな。ネージュにちゃんとノワールを返してやらないといけないしな」
それから、すぐにヒュドラに向き直ったかと思えば、ノワールが威嚇するように青い炎を吐いた。ヒュドラの双頭は、共に真っ黒な口腔内を晒し、こちらも威嚇の声を上げた。
その隙に、サラはネージュの背に掴まりつつ、逃走を再開した。




