第2話 二人の姫
はっと我に返って後ろを振り返れば、サラの髪を梳く手を一旦止めた、ストロベリーブロンドの柔らかそうな髪と琥珀の瞳が特徴的な、長身の美女が僅かに表情を曇らせていた。
入浴の手伝いもしてくれた女性で、クラリーチェと名乗っていた。
侍女とメイドの違いは、しがない一般市民のサラにはよくわからないが、濃紺のクラシカルなワンピースと白いエプロンを身に纏い、動きやすいようにきっちりと結い上げた髪型から察するに、おそらくメイドだろう。
「そ、そんなことありません。ただ……わたしには、その……畏れ多いといいますか……」
もごもごと口ごもりつつも正直な心境を吐露すれば、クラリーチェはころころと笑った。
「まぁ、姫さまったら。そう謙遜なさらずとも、そのドレスは可憐な姫さまによくお似合いですわ」
「……どうもありがとうございます」
お世辞だと重々承知しているものの、褒め言葉はありがたく受け取っておく。
それに、似合っているかどうかは別として、今サラが着ているドレス自体は、結構気に入っている。
袖もスカートもふんわりと膨らんだ空色のドレスは、身体を締め付けないから、ひどく着心地が良い。
フリルやレースを幾重にも重ねたスカートは、レースの色がネイビーブルーであるおかげか、少女らしい可愛らしさを演出しつつも、そこまで子供っぽい印象になっていない。
襟元も露出度が皆無であるため、安心して着ていられる。
靴もヒールのないアイボリーのフラットシューズだから、足を挫く心配がない。
(なんというか……すごく守られてる感じがする)
溺れかけたサラを真っ先に助けてくれたシュウの双眸と、どうしてか全く同じ色のドレスに身を包んでいるから、そんな気がするだけだろうか。
そんなことを考えつつ正面に向き直ると、クラリーチェが優しい手つきでまたサラの髪を梳かしてくれた。
「姫さまの髪はまっすぐで癖がありませんから、アレンジの甲斐がありそうですわね。できることなら、もっと時間をかけて凝った髪型にしたいところですけれど……今日のところは、ポニーテールに致しましょうか」
「クラリーチェさんにお任せします」
サラが頷くや否や、クラリーチェは栗色の髪を手際よくポニーテールにまとめていく。そして仕上げに、髪の結び目に勿忘草を模ったバレッタが留められた。
「姫さま、本当にお可愛らしいですよ。どうか自信を持って」
確かに、クラリーチェが気合いを入れて飾り立ててくれたおかげで、鏡面に映し出された今のサラは、良いところのお嬢さんといった仕上がり具合だ。
しかし、元の顔立ちのせいで、どうしても頼りない印象は拭えない。
(ないものねだりをしても仕方ない……気合いだ、気合い!)
そう自分で自分に喝を入れたところで、サラにあてがわれた客間のスノーホワイトの扉をノックする音が控えめに聞こえてきた。
でも、サラやクラリーチェが返事をするよりも早く、静かに扉が開かれた。
ややつり気味の涼しげな目元が特徴的な、藤色の瞳。ふっくらと柔らかそうな、形も血色も良さそうな唇。雪のように白い肌。サイドテールにまとめた、緩やかに波打つ濡れ羽色の髪。
扉の向こうから現れた目を見張るほどの美女は、上機嫌に微笑んだ。
「あら。サラったら、とっても似合ってるじゃない。良い仕事をしたわね、リーチェ」
「恐悦至極に存じます、レイラ姫さま」
サラの全身を隈なく眺め、満足そうに頷く美女――レイラに、クラリーチェは恭しく頭を下げた。
(色気たっぷりの美女二人に褒められても、あんまり自信に繋がらないものなんだな……)
これまで、サラの周りにはこういう美人がいなかったため、知らなかった。
(あのドレス……確か、エンパイアドレスっていうんだっけ)
友達の一人が服飾史に詳しかったから、サラも多少の知識はあるのだ。
ラベンダー色のドレスはサラが身に着けているドレスとは異なり、胸元が大きく開いている。ハイウェストで絞られ、滝のように流れ落ちるスカートは優美だ。
もし、用意されていたのがあのドレスだったら、サラは絶対に袖を通さなかった。
断言しよう。レイラもクラリーチェも、世の大抵の女性の自信を根こそぎ奪っていくタイプの美女だ。
気さくに声をかけてもらったものの、どう反応したら良いのかわからず、とりあえず慌てて腰を上げたサラに、レイラはくすりと微笑む。
「あなたはわたくしに対して、そんなに恐縮しなくていいのよ。サラ。同じ姫と呼ばれる立場なのだもの、仲良くしましょう?」
「そのことなんですけど……あの、本当にわたしが殺め姫なんですか……?」
どんな方法を使ったのか知らないが、突如としてラカージュに連れてこられてからずっと、サラは「殺め姫」として丁重に扱われている。
(いや、湖に落とされたのは、丁重とは言えないけど)
だが、その一件を除けば、一貫して文字通りお姫様扱いを受けている。
もし、サラが未就学児だったならば、夢のような出来事の数々を純粋に楽しみ、浮かれていたに違いない。
しかし、十八歳の娘としては、この突拍子のない展開に居心地の悪さと気味の悪さを禁じ得ない。
細くて形の良い眉の間に皺を寄せたレイラに、サラは急いで言葉を付け足す。
「レイラ姫さまの言葉を疑ってるわけじゃありません。ただ……わたしが、自分が姫と呼ばれる立場にいることに、自信がないだけです」
そう、他人の言葉よりも、サラは自分自身を信じられない。
ある日突然、「あなたは、実は姫だった」という説明をあっさりと受け入れてしまうのもどうかと思うが、こんなにも自信のない小娘を姫として仰がなければならない周囲の人々が可哀想だ。
少しでも気を抜けば、俯いてしまいそうになるところをぐっと堪え、レイラをまっすぐに見据えると、藤色の瞳がぱちりと瞬いた。
「会って間もない相手の言葉を鵜呑みにするものではないと思うけれど、あなたが殺め姫だというのは、間違いなく事実よ。だって、あなたのお母様はかつて殺め姫だったのだから」
「……え?」
ラカージュに足を踏み入れてから驚くことばかりだったが、ここに来てさらなる衝撃を与えられることになるとは夢にも思わなかった。
二の句が継げずにいるサラに、レイラは深々と嘆息した。
「……アンナさまは、本当にサラに何も言わなかったのね」
アンナとは、サラの母親の名前だ。
特に珍しくもない、ありふれた名前である上、殺め姫を襲名した女性の本名は一般人には公開されないから、自分の母が殺め姫かもしれないなど、当然のことながらサラは一度たりとも考えたことがない。
「それでも、どうしても信じられないというなら、アンナさまは今、玉座の間にいらっしゃるから、直接確かめるといいわ」
そう告げると、レイラは優雅な所作で身を翻した。その拍子に、裾に向かっていくにつれて色味が濃くなっていくグラデーションが美しい、ラベンダー色のスカートが控えめに揺れる。
ちらりと寄越された流し目は、何かを試すような気配を帯びていた。
レイラに提示された選択肢を前にしたら、サラが大人しくこの部屋に留まる必要があるとは、微塵も思えなかった。
もし母が――あるいは両親揃ってサラに隠し事をしていたのだとしたら、その理由を知りたい。既にこれだけ翻弄されたのだ。そのくらい確かめる権利が、サラにはあるはずだ。
迷わず前に足を踏み出してレイラに続くと、ふっくらとした柔らかそうな唇がふっと綻んだ。
「……わたくし、あなたとは仲良くやっていけそうな気がするわ」
「そう言っていただけると、光栄です」
「もう、だからそんなにかしこまらなくていいってば。わたくしたち、歳もそう変わらないのよ?」
「え」
てっきり、少なくともレイラの方が五歳くらいは年上だと思っていた。
でも、レイラの口振りから察するに、もしかしたら一、二歳くらいしか違わないのかもしれない。
レイラのひどく大人びた美貌と雰囲気に圧倒された直後、自身の子供っぽさに落ち込みそうになる。
驚愕と落胆が顔に出ていないことを祈りながら、レイラと共に菖蒲色の絨毯が敷かれた廊下に出る。
慣れた足取りで進んでいくレイラの隣を歩いていたら、クラリーチェと同じデザインのお仕着せ姿の女性が目に留まった。
美しい仕草でこちらに向かって頭を下げたメイドらしき女性の前を、レイラは一瞥すら寄越さずに通り過ぎていく。
「……あの子、自動人形だよね。あと、クラリーチェさんも」
頭を下げたままのメイドをそっと横目に窺ってから、三歩後ろに控えているクラリーチェをさりげなく見遣りつつ、そう囁きかけると、レイラが意外そうにサラの顔を見た。
「気づいたの?」
「うん。クラリーチェさんは表情が豊かだし、動きも滑らかだから、確信が持てなかったけど……生身の人間にしては肌が綺麗過ぎるし、目が不自然な気がしたから」
自動人形とは所謂、外見を人間によく似せたアンドロイドだ。今の時代では、主に雑用や肉体労働に使われることが多いため、城の使用人として扱われていることにも納得がいく。
「うちにも一人だけだけど、家事代行の自動人形の子がいるから。だから、見れば何となくわかるよ」
遠慮がちな態度や敬語を使ったことをたしなめられておきながら、これ以上かしこまった口調で話したら、かえって失礼に当たるかもしれないと思い、開き直って砕けた口調で答えると、レイラが目を丸くした。
「……サラは地上にいた頃、富裕層として生きてきたの?」
「ううん。ごく一般的な中流家庭より、ちょっと裕福くらいだったと思うよ。今時、大抵の家に一人は自動人形がいるんじゃないかな」
自動人形の性能も、ピンからキリまである。人間らしさをそこまで追求しなければ、購入額も維持費もぐっと抑えることができるのだ。
「それに、接客業をする子も清掃スタッフになる子も多いから、外でもよく見かけるじゃない」
ラカージュの住人といえども、一度くらいは地上に降りたことがあるはずだ。現に、歴代の殺め姫はわざわざ地上に降り立ち、アヤカシの討伐をしてくれている。
それに、シュウやその家族と会ったのだって、ラカージュではなく地上だ。
シュウたちが避暑のために別荘を訪れたところに偶然、サラと出会ったのが、知り合ったきっかけだ。
だから、軽い気持ちでそう付け加えたら、レイラが軽く肩を竦めた。すると、雫型にカットされたダイヤモンドのイヤリングが揺れ、窓から差し込む陽光を弾いて鮮やかな輝きを放つ。
「……わたくし、地上には行ったことがないの。生まれてから一度もね」
「え……」
「わたくし――庇護姫には、ラカージュの地と住人を守る責務があるから、ここから離れられないのよ……昔から、そう掟で決まってるの」
イヤリングと同じ形のダイヤモンドがあしらわれたネックレスを弄りつつ、レイラはゆっくりと磨き抜かれた階段を降りていく。
「その代わり、庇護姫はラカージュの番人でもあるから、相応の権限を持ってるわ。だから、サラ――お願いだから、ここから逃げようだなんて思わないでちょうだいね」
そして、階上で足を止めてしまったサラへと、くるりと振り返る。
「さもないと、あなた……どんな目に遭わされるか、わからないわよ」
レイラ自身も、その身に纏うものも、セレスティア城も、溜息が出るほど美しい。
だが、レイラやこの環境に賞賛を送ることは、籠の鳥を愛でることに酷似しているのではないかと、そう思わずにはいられなかった。
本日18時に次話更新します




