第19話 訓練
――屋内の訓練場で、サラは銃を両手で構えていた。
弾倉に詰め込んだのはゴム弾だが、黒いラインが入った全体的に白い銃――ベスティア・ガンは、対アヤカシ用の本物の銃だ。一般的な拳銃よりも、一回り近く大きい。
サラの視線の先では、徐々にアヤカシのホログラムが展開されていく。そして、薄墨色と白い体毛に覆われ、琥珀の双眸を持つ、巨大な狼によく似たアヤカシ――フェンリルの形を成したかと思えば、サラに向かって威嚇するような唸り声を上げた。
より実戦に近い訓練を行うため、このホログラムは音も匂いも備え、本物そっくりの動きを取る。実体がないとはいえ、時に飛びかかってこようとすることもある。
ごくりと生唾を飲むと、改めて銃を構え直す。
右手でグリップをしっかりと握り、左手の掌底もグリップに密着させて包み込む。
左の人差し指はトリガーガードの下に押しつけ、銃のフレームに押しつけ過ぎないように気をつけながら、左の親指をそっと添える。
シュウに基礎を教わった上で模索した、サラにとっても最もしっくりくる銃の握り方を反芻し終えたところで、再びフェンリルのホログラムに意識を集中する。
フェンリルは前傾姿勢に移行しており、今にも飛びかかってきそうだ。
思わず肩を跳ね上げた途端、ふわりと後ろからぬくもりに包まれた。
「――臆するな、目の前の獲物を仕留めることだけを考えろ」
シュウは指示を出しつつ、銃を構えるサラの両手を自身の両手で包み込んだ。
「そう。ちゃんと重心を前に移動させて、軽く前傾姿勢を取ってるな。右足は、そこまで下げなくていい。左足の半歩後ろだ。両足は肩幅程度に開け。もう少し……そう、そのくらいだ」
シュウの教え通りに態勢を立て直し、フェンリルの眉間に狙いを定める。
その直後、フェンリルが大きく跳躍してサラに飛びかからんとしてきたため、引き金に添えていた右の人差し指を迷わず押し込む。
すると、途端に銃口からゴム弾が発射され、フェンリルの眉間に吸い込まれていく。目の前のフェンリルはホログラムであるにも関わらず、眉間を撃ち抜かれるなり、絶叫を上げながら血や脳漿を撒き散らした。
フェンリルの頭部から噴き出したものも実体はないのだが、臭いだけはやけに鮮明に漂ってくるため、つい眉根を寄せる。
フェンリルが床に倒れ伏した直後、ホログラムは瞬く間に霧散していった。
ホログラムが掻き消えると、いくつもの的が並ぶ中、ゴム弾が撃ち込まれたことによって中心がへこんでいるものがあった。
構えを解くや否や、サラは細く息を吐き出す。
「……手元を気にしすぎると、足元が疎かになる。気をつけないと……」
シュウに指摘された点を改めて頭に叩き込んでいたら、吐息と共に清涼感のある低い声が耳朶をくすぐった。それと同時に、爽やかでほのかに甘い香りが鼻先を掠めていく。
「でも、命中率は高いだろ」
「こうやって立って撃つ時や座って撃つ時、寝そべって撃つ時とか、じっとしながら撃てる状況ではね。ネージュの背中に乗ったまま撃つ時は、まだ全然駄目。撃ってすぐに動けるかっていうと、そっちもまだ自信ないし……」
訓練を重ねれば重ねるほど、自分の至らない点が浮き彫りになっていく。
だから、次はどのようにすれば改善に繋がるかと、思考を巡らせているうちに、シュウがサラから離れていった。
「そうは言っても、サラは着実に成長してるだろ。射撃の訓練を始めたばかりの頃は、撃った反動に耐えられなくて、ひっくり返ってたのに」
「あ、あれは……! 重心をちゃんと前に出せてなかったから……!」
そう――初めて射撃訓練に臨んだ際、引き金を引いた後の反動があんなにも大きなものだと想定していなかったサラはその場に踏ん張れず、思いきり尻餅をついてしまったのだ。
それ以来、サラの銃を構えた時の姿勢を矯正するため、度々シュウに後ろから抱きしめられるようにして指導を受けるようになった。
できることならば、あんなにも密着して教えを乞うのは恥ずかしいから、やめて欲しいのだが、サラの射撃の腕前は未熟だから、あまり強く文句も言えない。
もっと訓練を積まなければと心に誓いつつも、一旦休憩に入る。
訓練場の隅にちょこんと腰を下ろし、水筒に入れておいたスポーツドリンクを口に含むと、思っていた以上に喉が渇いていたことを自覚させられた。
サラの隣に座ったシュウも、ごくごくと水分補給をしている。
今、サラもシュウも揃いの紺色のジャージを身に着け、青いラインが入った白い屋内用シューズを履いているからだろうか。何だか、学生時代に戻った気がする上、もしシュウと同じ学校に通っていたら、こんな感じだったのだろうかと、ぼんやりと考える。
水筒を床の上に下ろし、何となくシュウの横顔を眺めているうちに、ふと薄く形の良い唇が目に留まった。
すると、大胆にも自分から互いの唇を重ね合わせた夜を自然と思い起こされ、一気に全身が熱くなる。
――シュウと地上に降りてデートした日から、もう二週間近くが経つ。
それなのに、あの日の記憶が一向に色褪せないものだから、サラはしょっちゅう思い出に振り回されてしまう。
立てていた両膝を両手でぎゅっと抱え込み、シュウから顔を背けようとした寸前、運が悪いことにサラの視線に気づかれていたらしく、空色の眼差しとエメラルドの眼差しがぶつかり合ってしまった。
途端に目を泳がせるサラに何を思ったのか、シュウは立てていた片膝の上で頬杖をつくと、実に意地悪そうな笑みの形に唇を歪めた。
「……どうした?」
何もかも見透かしていそうな口振りが腹立たしく、むぅっと頬を膨らませる。
(この野郎……!)
内心口汚く罵りながら、ぷいっとそっぽを向く。
それから、うっかりシュウを罵倒しないよう、何度か深呼吸を繰り返してから、慎重に口を開く。
「……休憩が終わったら、ネージュに乗る練習とネージュに乗りながらの射撃の訓練をしようかなって考えてただけ!」
本当は、そんなことは微塵も考えていなかったのだが、力強く言い放つ。
そして口に出してから、確かにそれは名案だなと、心の中で自画自賛する。
気持ちを落ち着かせるため、再び水分補給をしてからシュウに視線を戻せば、すぐにまた目が合う。
「シュウって……本当に、わたしのことよく見てるよね……飽きないの?」
気恥ずかしさを通り越し、ある意味感心してしまう。
素朴な疑問を投げかければ、シュウは小首を傾げつつ考える素振りを見せてから、あっさりと答えた。
「サラ、表情がくるくると変わるからな。見てて飽きない」
「そんな、喜んでいいのかどうかわからないこと、言われても……」
反応に困って眉を下げたら、シュウは屈託なく笑った。
「ほら、また変わった」
「もう……」
そうやって少年めいた笑顔を見せられると、何もかも許せてしまいそうな気がするから、本当に勘弁して欲しい。
「……それで? 休憩が終わった後の訓練の内容に、異論はありますか? シュウ先生」
咳払いして気持ちを切り替えてから、訓練について話を戻せば、何故かシュウは眉根を寄せた。
「……先生か」
「あ、そう呼ばれるの嫌だった?」
「嫌に決まってるだろ。先生と生徒じゃ、恋愛できない」
そう文句を垂れながらシュウは頬杖をつくのをやめ、サラに向かって手を伸ばしたかと思えば、ポニーテールの先をやんわりと掴まれた。シュウの指先は、そのまま栗色の髪を弄ぶ。
「じゃあ……シュウ先輩?」
一応、シュウはサラよりも一学年上なのだから、同じ学校に在籍していたら、そう呼んでいたかもしれない。
そもそも、冗談で口にした呼称になにをムキになっているのかと、内心呆れる。
「いつも通りがいい」
でも、拗ねたような口調がだんだんと可愛く思えてきて、つい笑みが零れてしまった。
「はいはい。それで、シュウの意見はどうですか?」
「そうだな……確かに、これからは今まで以上に実戦に近い訓練をしていかないとな」
先程までは拗ねた子供みたいな顔をしていたシュウは、不意に表情を引き締めた。ポニーテールを弄っていた指も離れていき、サラの髪の先がさらりと肩に触れる。
「――サラ、来月の半ばには初陣に臨んでもらうことになった」
真剣な面持ちで告げられた言葉に、思わず息を呑む。
――いつか、こんな日が来ることは当然、予想していた。
そのために、サラの意思を無視してまで、レイラは月影一族の生き残りをラカージュに召喚したのだから。
だが、戦うための訓練をしつつも、ここで過ごす日々があまりにも穏やかだったせいだろうか。
そう遠くない未来に、自分が命のやり取りをするのだという実感が今一つ湧かないまま、ここまで来てしまった。
「――わかった、ちゃんと心積もりしておく。だから……シュウも、わたしがアヤカシと対峙してもまたここに戻ってこられるように、生存率を上げる方法を教えて」
一度きつく唇を引き結んでから発した声は、緊張のせいで自然と硬くなってしまった。
そんな自分が情けなくて、両手で頬をぱんぱんと叩いて気合を入れ直していたら、シュウの手が再度伸びてきた。それから、宥めるように頭を撫でられる。
「……落ち着け。元々、どの一族も初陣に臨む奴には無理はさせないって、暗黙のルールがあるんだ。それに、月影一族で戦えるのは、もうサラだけなんだ。レイラからも、絶対にサラを守り抜けって命令を受けてる」
「そう……なの?」
そこまで手厚い待遇を受けるのはどうかとも思ったが、確かに最初から危ない橋を渡らせたら、後継者が育つ前に命を落とす恐れがある。もう後がない月影一族は、余計にそのリスクを避けたいと思うだろう。
「ああ……それに、命令なんかなくても、サラをみすみす死なせるような真似はしねぇよ」
サラの頭に触れていた手が引っ込められたかと思えば、シュウはおもむろに腰を上げた。
「でも、確かに生存率を上げる方法はいくら叩き込んでおいても、損はないな。次は外に出て、訓練を続けるぞ」
シュウに撫でられていたところを自分の手で確かめるように触れていたサラは、続けられた言葉に慌てて立ち上がる。
「……うん!」
――そうだ、サラは一人ではない。シュウがいるのだ。
先刻の口振りから察するに、サラの初陣にもシュウはきっと共に来てくれるに違いない。
そう思ったら、少しだけ緊張が薄れてきた気がした。




