第18話 夜空の中で
「――ふぅ……満足、満足」
予定通り、パンケーキを二人でシェアして食べ、その後はシュウの誕生日プレゼントを探しがてらウィンドウショッピングを堪能した。
そして、シュウがあらかじめ予約しておいてくれた、高級な焼肉店の個室で夕食を済ませる頃には、サラはすっかり上機嫌になっていた。
もしかすると、昼間のあの一件は、単に空腹で怒りっぽくなっていただけかもしれない。
「たくさん食べておいてあれだけど……シュウ、お昼もお夕飯もご馳走になっちゃって、よかったの? 割り勘でも、わたしは大丈夫だったよ?」
シュウと並んで飛行カプセルの発着場を目指して歩きながら、そう訊ねれば、前を向いていた空色の双眸がちらりとサラを見遣る。
久しぶりに見るネオンの光は眩しく、目に痛いくらいに感じたが、その光に照らされて薄闇に浮かび上がるシュウの横顔は綺麗だ。
「サラより俺の方が保有資産額は上なんだから、気にするな」
「……セレブっぽい発言だね。じゃあ、お言葉に甘えて……今日は、ごちそうさまでした。どれもおいしかったよ」
でも、実際にシュウの言う通りに違いない。
地上にいた頃、サラは部活と勉強に明け暮れていたから、バイトをしたことなんてないし、自分の貯金の管理も全て親任せだった。ラカージュにおけるサラの資産も、間違いなく誰かが管理してくれているのだろう。
それに引き換え、シュウは既に騎士として報酬をもらっている立場だ。
サラよりシュウの方が金持ちというのは事実である上、ついこの間まで高校生だった小娘の小遣いを巻き上げようとするほど、守銭奴ではないのだろう。
「それに……少しは俺に格好をつけさせろよ」
だが、サラが納得して引き下がった直後、先刻とは違ってぶっきらぼうな声がそう続けた。
きょとんと瞠目したのも束の間、シュウの年相応の青年らしい言動に、つい頬が緩む。
(……可愛い)
声に出して言ったら、きっと拗ねてしまうに違いないから、心の中だけでひっそりと呟く。
しかし、それだけでは飽き足らず、今度はサラの左隣を歩くシュウの腕にまた頭をぐりぐりと押しつけた。
「……どうした?」
「何でもなーい」
「……まさかサラ、俺の目を盗んで酒飲んでないだろうな」
現代の法律では、十八歳以上から飲酒が可能だ。
それでも高校生は飲酒を禁じられているものの、もう卒業したサラは自由に飲める。
「飲んでないよ。飲んでたら、お会計の時にさすがにバレるでしょ」
そうやって、じゃれ合いつつ歩いているうちに、あっという間にサラたちが乗ってきた飛行カプセルを停めた発着場に辿り着いてしまった。
「――おかえりなさいませ。サラ姫さま、シュウさま」
今日の操縦は行きも帰りも自動人形に任せることにして、サラたちが用事を片付けてきた間はここで待機してくれていたのだ。
「ただいま」
「帰りも、よろしく頼むな」
「はい、お任せください」
サラたちの姿を見つけるや否や、わざわざ出迎えてくれた自動人形に声をかけると、飛行カプセルの後部座席のドアが自動で開いていく。
今日、サラたちが乗ってきた飛行カプセルは、操縦席と後部座席が壁で完全に仕切られた仕様のものだ。
シュウに促されてサラが先に乗り込み、二人とも後部座席に納まったところで、微かな振動が床から伝わってきた。そうかと思えば、飛行カプセルはゆっくりと走行を始め、夜空に向かってふわりと浮かび上がった。
それから、飛行カプセルが上昇していくにつれ、徐々に浮遊感は薄れていく。
「……わたし、夜に飛行カプセルに乗るのは、初めてだよ……」
窓から見える、遠ざかっていく地上の光と近づいていく月や星の光に溜息を吐くと、清涼感のある低い声が耳朶を打つ。
「サラは高いとこは平気だよな」
「……これで駄目そうに見えるなら、シュウの目は節穴だよ」
窓からシュウへと視線を動かしながらそう答えれば、密やかな笑い声が鼓膜を震わせた。
「それもそうだな。じゃあ……これでも平気か?」
シュウがドアについているボタンを押したかと思えば、サラたちを取り巻く光景がふっと様変わりした。
「え……!?」
驚きのあまり、サラの左隣に腰かけていたシュウの腕に咄嗟にしがみつく。
だって、サラの目には――床も座席もドアも天井も――飛行カプセルを構成する何もかもが突然消失したように見えたのだから。
でも、座席に腰を下ろしている感触も、パンプスが踏みしめている床の感触も未だにある。それに、ラカージュに召喚された日みたいに、全身を風で嬲られつつ落下する気配も砂粒ほどにもない。
これはどういうことかと、シュウへと振り向くと、ずっとサラの反応を観察していたらしい空色の眼差しとエメラルドの眼差しが絡み合う。
「この飛行カプセルには、透明化モードが搭載されてるんだ。実際には何も変わってないんだけど、後部座席に乗ってる奴にだけ床も座席もドアも天井も透明になったように見えて、何にも遮るものがない状態で景色が見えるって、脳が錯覚してるんだ」
「……操縦者にまで影響がなくて、よかったよ」
「操縦者にも影響があったら、間違いなく墜落するな」
「自動人形にも影響はあるの?」
「これは、飛行カプセルのあちこちに取り付けられてるカメラの映像を、脳に直接送り込む仕組みになってるんだ。頭部にAIを搭載してる自動人形も映像の情報を受け取れるから、後部座席にいたら、俺たちと限りなく近い状態になる」
「なるほど……」
だが、そこまで説明を受けたところで、ふとある不安が胸を掠めていく。
「それって……実害は特にないよね……?」
「そういうのは絶対にないから、安心してくれ」
シュウの揺るぎない口調は確かな安全を保証してくれているように感じられ、心の底から安堵する。
「それにしても……ラカージュ製の飛行カプセルって随分、高性能なんだね。こういうのに乗るの、わたし生まれて初めてだよ」
人心地ついたところで、再度夜景に視線を投げる。
先程は驚きと恐怖でそれどころではなかったものの、改めてこうして見てみれば、宙に浮かびながら夜空の散歩をしているかのようだ。
何事もなく安定して座っていられる状態から、安全が確保されているのだと、身を以て理解していくにつれ、だんだんと夜空も地上の光景も楽しめるようになってきた。
シュウの腕にしがみついていた手を放し、今は見ることができない座席の上に置いた途端、サラの左手に不意にぬくもりが触れた。
外の景色から視線を引き剥がすと、サラの左手にシュウの右手が重ねられていた。
「……今日はシュウの誕生日プレゼントを買うために、わざわざ地上に降りたのに、むしろわたしがプレゼントをもらってばかりだね」
そう言いながら、シュウの首に飾られている革製の黒いチョーカーを、右の指先でとんと叩く。
これは、サラが気に入っている雑貨屋で購入した、一点もののハンドメイドのチョーカーだ。鳥の羽を模ったシルバーの飾りが何だかシュウらしくて、一目でこれだと思ったのだ。
しかし、こうして装着しているところを見ると、チョーカーというよりは首輪みたいになってしまったかもしれない。
それに、高校を卒業したばかりのサラにとっては高い買い物だったが、シュウからしてみれば安物だろう。
荷物の引き取りに関しては、当初の目的だったから別として、ランチもディナーもご馳走になり、こうして滅多にできない貴重な経験までさせてもらった今、その気持ちに余計に拍車をかけてくる。
「ねぇ、シュウ。何か他に、わたしがプレゼントできるものってある?」
あと一つでもプレゼントをすれば、少しは釣り合いが取れるのではないかと思って質問すると、シュウは考え込む素振りを見せた後、良いことを思いついたと言わんばかりの悪戯っぽい顔になった。
「なら――サラ、キスしてくれるか」
「……は?」
予想の範疇を超えた返事に、思わずぽかんと口を開く。
でも、シュウの言葉の意味を次第に理解していくにつれ、じわじわと頬に熱が込み上げてくる。
「な――」
「――サラが好きだから」
何故と問おうとした直前、シュウにサラへの好意を告げられ、二の句が継げなくなる。
「小さい時からサラのことが好きで、今も好きだから。だから、サラには色々プレゼントしたいし、デートもしたいし、キスもしたい……そういう理由じゃ、駄目か?」
――今、自分の身に何が起きているのかと、脳が完全に混乱を来している。
ラカージュで再会を果たしてからというもの、シュウはサラの努力や能力、存在そのものを認めてくれ、支え、導いてくれた。
ずっと会いたいと願っていた上、サラの夢まで全て叶えてくれようとしている人に今、満天の星空の中、愛の告白を受けた。
こんな――世の恋に夢見る乙女たちの理想を体現したかのようなシチュエーションを、まさか自分が体験する日が来るとは、それこそ夢にも思わなかった。
だが、シュウの問いに答えるべく、困惑しつつも首を横に振る。
涼しい顔をしているようにしか見えないが、シュウだって勇気を振り絞って自分の気持ちを伝えてくれたはずなのだ。だから、せめて意思表示くらいして、その想いに応えたい。
(わたしは――)
――シュウに恋をしているのだろうか。
本音を言えば、よくわからない。
女の子としか深く関わってこようとしなかったサラは、恋心というものがどういうものなのか、知らずにここまで来てしまったのだ。
しかし、わからないことを言い訳に、シュウの気持ちから逃げたくないと、心の底から思っていることだけは確かだ。
「……サラが好きなのは本当だけど、キスは冗談だ」
顔を火照らせたまま黙りこくるサラを、気の毒に思ったに違いない。
サラの左手に重ねていた右手を退かし、シュウが身を引こうとした矢先、考えるよりも先に身体が動いた。
離れていこうとしたシュウの頬をすかさず両手で包み込むと、逃がさないように薄く形の良い唇に自分の唇を重ね合わせた。それからすぐに離し、ぎゅっときつく瞑っていた瞼をおそるおそる持ち上げる。
目を開けた先では、空をそのまま閉じ込めたかのごとく美しい碧眼が驚愕に見開かれていた。
――サラのキスは、互いの唇を軽く触れ合わせるだけの本当に拙いものだった。
だから、シュウの唇の感触もぬくもりも、感じ取る余裕なんて露ほどにもなかった。
(でも……い……嫌じゃ、なかった……)
以前、学校の友人の誰かが、相手を異性として本当に好きなのかどうか確かめるためには、キスをしてみればいいと言っていたのだ。
当時は、そんなことでわかるものなのかと、疑ってかかっていたが、相手がシュウならば、試してみる価値はあると思ったのだ。
その結果、心臓はばくばくと音を立てて暴れ狂っているものの、嫌悪など微塵もない。むしろ、もう一度キスをして、シュウの唇をもっとよく味わってみたいという欲まで芽生えてしまっている。
今、自分がどんな目でシュウを見ているのか、考えただけで恐ろしくなり、勢いよく顔を背ける。
サラの視界に改めて映る夜景は、息を呑むほど美しいはずなのに、今はもうよくわからない。
それでも、シュウの顔を直視することができなくて、ただひたすら夜空に視線を固定していたら、やんわりと左手を掴まれた。そうかと思えば、するりと互いの手が繋がれていく。
「今すぐじゃなくていいから。俺は……いつまででも待てるから」
清涼感のある低い声に引き寄せられるように振り返れば、思いの外、穏やかな面持ちのシュウと目が合う。
「だから……いつか、さっきの答えをサラの言葉で聞かせてくれるか?」
どうしてだろう。先刻の告白よりも今の言葉の方が、サラの心を揺さぶってやまない。
だからだろうか。青空みたいな瞳に魅入られたまま、こくりと頷き、返事の代わりに繋がれた手をそっと握り返した。




