第17話 地上デート
「――シュウー。荷物の整理、大体終わったよー」
サラがダンボール箱を手に二階の自室から出ると、足元に気をつけながら階段を降りていく。
月影邸の新しい部屋には、生活に必要なものは全て、既に揃っている。
だから、サラが持ち出したものは、どうしても手元に置いておきたい思い出の品だけだ。
シュウを待たせていたリビングに入れば、ココアブラウンの戸棚に飾られているトロフィーや表彰状を興味深そうに眺める姿があった。
てっきり、暇を持て余しているに違いないと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。
シュウが羽織っていたスカイグレーのジャケットがかけられている、アイスグリーンのソファの足元に箱を一旦下ろすと、サラも戸棚へと向かう。
「いかがですか? 五年ぶりの我が家のリビングは」
「前とあんまり変わってないな」
「そりゃあ、五年くらいじゃ、そこまで大きく変わらないよ」
「それもそうか……話は変わるけど、サラは弓道の大会では団体部門で準優勝して、薙刀の大会では個人部門で優勝したんだな」
トロフィーや表彰状に向けられていた空色の眼差しが、隣に並んだサラへと注がれる。
「弓道の団体戦では一緒に組んだ子たちの的中率が高くて、薙刀の個人戦では対戦相手がちょうど本調子じゃなかったの。だから、運が良かったとこも結構大きいんだ」
清涼感のある低い声に滲む感嘆の色を感じ取り、くすぐったさから肩を竦める。
それに、サラが口にしたことは、紛れもない事実だ。
弓道の大会では、三人一組で団体戦に臨むのだが、サラは顧問から期待されていた割には、大会中、プレッシャーに負けて実力を存分に発揮することができなかった。一緒に組んだ二人が的中数を稼いでくれなければ、決勝戦に進出できたかどうかも怪しい。
薙刀の大会では、今度こそプレッシャーに負けないよう、弓道部に所属していた頃よりも練習に打ち込んだものの、決勝戦当日、サラの対戦相手は大会に出場する前の怪我が治ったばかりだったのだ。
それにも関わらず、決勝戦まで上り詰めてきた対戦相手には尊敬の念を覚えたし、もし相手が万全を期していたら、十中八九サラは優勝できなかっただろう。
両親は娘の健闘を純粋に称え、こうしてトロフィーや表彰状を目につくところに飾ってくれたのだが、サラは見る度にほんの少しだけ苦い気持ちが込み上げてくるのだ。
「運も才能のうちだろ。それに、ツキに恵まれたからって、必ずしもそれに見合った結果を出せるとは限らねぇよ」
複雑な思いで自分の戦績を眺めていたサラは、弾かれたように隣へと振り向く。
変わらずサラに向けられていたらしい空色の眼差しと、エメラルドの眼差しが交わる。
「だから、これらは間違いなく、サラが自分の持ち得る全てで勝ち取った戦果だ。殺め姫としては、ツキも環境も利用できるくらいじゃないと、むしろ困るな」
ありのままの事実を述べるように淡々と言葉を紡いでいたシュウが、不意ににやりと薄く形の良い唇を笑みの形に歪めた。
「サラ、やっぱり殺め姫としての才能に恵まれてたんだな」
「……殺め姫としての資質があるって締めくくられても、素直に喜びづらいよ」
そう憎まれ口を叩きつつ、シュウから目を逸らす。
そうでもしなければ、何故か泣いてしまいそうな気がしたから。
「……わたし、別に殺め姫になりたくてなったわけじゃないよ。わたしの意思に関係なく、なることがもう決まってたし、逃げられないことくらいわかりきってたから、腹を括っただけ」
「……ああ、そうだな」
「でも……最近はね、殺め姫になること、そんなに悪くもないかなって思ってるんだ。ラカージュ、景観だけは最高だし、おいしいごはんを毎日食べられるし、可愛い服も綺麗なドレスを着ることもできるし。それに――」
ラカージュに来てよかったことを指折り数えながら、再度シュウへと顔を向ける。
「――ずっと会いたかったシュウに会えて、そのシュウはわたしの夢を叶えてくれる手助けをしてくれるんだもんね? 今のわたし、考えてみたら、結構恵まれてるね?」
やはり、我ながら神経が図太いと思う。
しかし、ラカージュではこのくらいでないとやっていけないとも思うのだ。
それに、イヴという名のヒト型のアヤカシであるサラが、もしあのまま地上で生活し続け、ある日突然正体が露見していたらと考えると、ぞっと背筋が冷える。
きっと他のアヤカシ同様、駆除の対象とされて迫害を受けたのではないか。
いや、その程度で済めばいい。もしも、命を奪われてしまったら――。
(……だから、みんなは空中浮遊都市に住んでるのかな)
人類と共存するため、自分たちの正体を悟られぬよう、住み分けをはっきりとしているのかもしれない。
「……サラがそう思えるようになって、よかった」
シュウは安堵の吐息を漏らすと、踵を返してサラが二階から持ってきたダンボール箱を見下ろした。
「持ち帰る荷物は、これだけでいいのか?」
「うん。どうしても手放したくないものは、ちゃんと詰めたよ。お母さんたちに頼まれたアルバムも、ちゃんと入れたし」
「今時、珍しいよな。アナログのアルバムを持ってるなんて」
「データで保存もしてるんだけど……お母さんが趣味でアナログのアルバムも作ったの。こっちの方が気軽に見れるからって」
シュウの元へと歩み寄りつつ説明したら、ふと碧眼がサラを捉える。
「……今度、見てもいいか?」
「じゃあ、その代わり、シュウのアルバムも見せて。それなら、いいよ」
自分の過去を覗き見られるのは恥ずかしいから、等価交換しようと条件を提示すれば、シュウは眉間に皺を寄せた。
「うち、あんまり写真撮る習慣がなかったんだよな……」
「じゃあ、あるのだけでいいよ。だから、ね? お願い」
いつの間にか形勢逆転した展開に、シュウは柄が悪いことに舌打ちを零した。
シュウが時々口が悪くなったり、こういう態度を取ったりするのは、レオの影響かもしれない。
「あと、シュウに見せたら、お母さんたちのとこに持ってくから。その時は、また付き添いをお願いね」
サラはまだ飛行カプセルの操縦ができないから、軟禁されている両親の面会に行くだけでも誰かの付き添いが必要だ。
いちいち他者の手を煩わせるのは申し訳ないから、そういう意味でも早く操縦技術を身につけなければと考えていたら、シュウがぽつりと言葉を零した。
「……今度は、俺は面会が終わるまで席を外そうか」
「え、次も一緒に来てよ。第三者がいてくれた方が、お互いに感情的にならなくて済むから」
そう――前回、両親が取り調べを受け始めてから初めて面会する際、シュウにも立ち会ってもらったのだ。
おかげで、ラカージュに召喚された日みたいにサラが声を荒げることはなく、両親の無事を確かめられたし、今の落ち着いた心境も伝えることができた。
それに、母はシュウのことがいたく気に入ったみたいで、「また二人で会いにきてね」と帰り際に念を押してきたほどだ。
だから、次回の面会もぜひシュウにも来てもらいたいのだが、何故か渋面を作っている。
「……サラの親父さん、絶対俺のこと気に食わないって思ってるだろ。面会時間中、ずっと険しい顔してたし」
「お父さんの顔が怖いのは、元からだよ」
サラの父であるカイは彫りが非常に深い顔立ちだからなのか、別に怒っているわけでもないのに、常に怒っているように見えるのだ。
だから、気のせいだと伝えれば、シュウはますます眉間に深い皺を刻んだ。
「いーや、あれは確実に娘に寄りつく悪い虫を威嚇する父親の顔だったな」
「シュウは特に悪いとこないし、虫じゃなくてアヤカシでしょ」
「そういう正論、今は求めてない」
よくわからないが、シュウがサラの言い分に納得していないことだけは理解できた。
「じゃあ、用事が済んだなら、そろそろ行くか。腹も減ったし」
でも、シュウはこの話をこれで終わりにしたみたいで、眉間の皺を解いたかと思えば、ソファにかけていたジャケットを手に取った。
「……うん!」
サラも異論がなかったから、シュウと二人揃って懐かしい我が家を後にした。
***
「わぁ……! 懐かしい」
荷物を一旦飛行カプセルに乗せてから、住宅街から都市部に徒歩で移動すると、超高層建築物や、縦横無尽にあちこちに繋がっている透明なチューブ、その中を滑るようにして進む走行カプセルなど、地上にいた頃は日常的に目にしてきた光景に、懐かしさを覚える。
(ここに戻ってくるのは、まだ一か月ぶりくらいなのに……もう懐かしいなんて)
だが同時に、ゆとりのある空気が流れるラカージュとは対照的に、狭い土地に密集しているビル群や視界を覆い尽くしそうなほどのチューブの数、それから行き交う人の多さに、圧迫感に襲われた。
「やっぱり人が多いな……サラ、手を放すなよ」
「もう、シュウってば……大袈裟だなぁ。わたし、今までこの辺に住んでたんだよ?」
「こんなごみごみしたとこに、よく住んでられたよな……」
「でも慣れれば、アクセスが良くて便利だよ」
そう反論しつつも、今のサラは暮らすのであれば、地上よりもラカージュの方が断然良いと、胸中で呟く。
「それで……サラは何か食べたいものはあるか?」
「あのね、あそこのビルに入ってるカフェなんだけど、パンケーキがすっごくおいしいの! オーソドックスな生クリームたっぷりのもおいしいんだけど、全粒粉を使ったお食事系パンケーキもおいしいんだー」
以前、友達と一緒に食したパンケーキの味を思い出し、うっとりと目を細める。
「なら、そこで二種類頼んで、二人でシェアして食べるか」
「え……いいの?」
「ああ。俺にはどれが美味いのかわからないから、サラが選んでくれるか?」
「シュウ……あなた、実は神様だった?」
思わず真顔で大真面目に問いかけたのだが、シュウは「何を言い出すんだか」とでも言いたげな、呆れを多分に含んだ視線を寄越しただけだった。
そんな他愛もない雑談をしながら、シュウと手を繋いで綺麗に舗装された歩道を歩いていたら、ふと視線を感じた。
何かと思ってさりげなく視線を巡らせれば、シュウをまじまじと見つめ、何事か囁き合っている二人組の女性の姿が目に留まった。
二人とも、サラやシュウよりも少しだけ年上に見える、大人っぽくて綺麗な女性だ。
しかし、サラとしっかりと繋がれている手と、ぴたりと寄り添い合うような距離に気づくと、残念そうではありつつも、あっさりと視線を外した。
よくよく意識してみると、シュウは通行人の女性たちの注目をかなり集めていた。
そして、隣を歩くサラの存在が、時に無関心を、時に嫉妬や羨望を促しているみたいだ。
(最近すっかり見慣れちゃってたけど……やっぱりシュウ、格好良いよね……)
ちらりと隣を見上げれば、シャープな顔の輪郭が美しい、シュウの横顔が視界に映る。
そう、シュウは男性でありながら、美しいという表現がぴったりと似合うのだ。
その上、エメラルドグリーンの長袖のカットソーにアイボリーのスラックス、ジャケット、ダークブラウンの革靴という今日のシュウの組み合わせは、ほどほどにカジュアル、ほどほどに上品で洗練された印象を見る者に与える。
シュウは全く眼中にないみたいだが、もう少し注意を払った方がいいと思う。
先程までパンケーキに心躍らされていたというのに、何だか急に面白くない気分になってきた。
わかりやすく膨れっ面になったサラは、無言でシュウの左の二の腕に頭突きをかます。
「なんだ、急に」
「……べっつにぃー?」
「そんなことしてると、せっかく綺麗にセットした髪型が崩れるぞ」
「そうしたら、シュウが直してよ」
シュウは、サラよりも余程手先が器用なのだ。そのくらい、お手の物だろう。
膨れっ面のまま何度も頭突きを繰り返すサラをシュウは怪訝そうに見下ろしていたものの、特に怒る素振りもなく、好きにさせてくれた。




